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時代を振り返り、また先へと進み... [2009]

幻想交響曲ケクランメシアンと、フランスものが続いたので、次はロシア...
というわけでもないのだけれど、昨年、秋から冬に掛けて、NAXOSからリリースされ、気になっていた、タニェエフとショスタコーヴィチのアルバムを手に取る。
NAXOSのタニェエフ担当?トーマス・ザンデルリングが指揮する、タニェエフのカンタータ『ダマスコの聖イオアン』(NAXOS/8.570527)。ロシアからの新たな逸材、ヴァシリー・ペトレンコと、彼が率いるロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団による、ショスタコーヴィチの交響曲のツィクルス、第2弾、5番、「革命」と、9番(NAXOS/8.572167)。重箱の隅をつつくのに余念の無いNAXOSならではのタニェエフ... そのNAXOSが大きな期待を掛ける新星、ヴァシリーによる、ショスタコーヴィチの第2弾... 楽しみにしながらも、聴きそびれていた2タイトルを聴く。


輝かしき19世紀、タニェエフ...

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セルゲイ・イヴァノヴィッチ・タニェエフ(1856-1915)。
2006年の生誕150年のメモリアルあたりから、じわりじわりスポットが当たり始めている?何気にプレトニョフあたりが力を入れ、度々、取り上げており、そのあたりをきっかけに、その存在を知ったのだけれど... 19世紀から20世紀初頭に掛けて、ロシアが生んだ作曲家たちというのは、実にヴァラエティに富んでいる。そうした中、タニェエフという存在もまた、聴き逃せないひとり...
そんなタニェエフの、最初の成功作となったのが、カンタータ『ダマスコの聖イオアン』(track.1-3)。ダマスカス(ダマスコ)の聖ヨハネ(イオアン)によって書かれた死者のための祈祷文を、トルストイが翻案し、それをカンタータに仕上げたとのこと... ということで、「ロシアのレクイエム」とも呼ばれるらしい(と、wikiにありました... )。なるほど、ロシア正教の聖歌のトーンで、19世紀における"レクイエム"を歌う感覚がある。カンタータは3つのパートから成り、荘重に始まる第1部、フォーレのレクイエムを思わせるような、瑞々しさが印象に残る第2部(track.2)、ドラマティックに盛り上がる第3部(track.3)は、ベルリオーズのレクイエムのような迫力もあり、聴き応えは十二分。特に、最後、第1部で歌われた聖歌のメロディが、力強くフーガで歌われるあたり、かなりクール... 「終末の日」というタイトルそのままに、黙示録なサウンドが、圧巻。
さて、カンタータからは一転、華麗な音楽を楽しませてくれる、ヴァイオリンとオーケストラによる協奏的組曲(track.4-15)。「ヴァイオリン協奏曲」としてもいいところを、協奏的"組曲"としているだけに、なんとも盛りだくさん!前奏曲(track.4)の、ロシアン・ロマンティックなあたりに、すっかり酔わされるも、続くガヴォット(track.5)では、愛らしく18世紀をリヴィヴァルし... かと思えば、妙に謎めくメルヘン(track.6)があり... 主題と変奏(track.7-15)では、次から次へと華麗に変奏されて、ヴィルトゥオーゾたちの黄金の時代に思いを馳せ... 最後は陽気に、リズミックに、タランテラ(track.16)で締める。そんな組曲は、まるで、古き良き時代の音楽の楽しみを、全てを詰め込んでしまったおもちゃ箱のよう... どこか、愛らしくすらある。
そんな、おもちゃ箱の楽しみを、余すことなく、華麗に響かせてくれるのが、イリヤ・カーラーのヴァイオリン。彼の花のある音色が、盛りだくさんのメロディを余裕綽々で拾い上げ、表情、豊かに、時に薫るように、美しく響かせる。で、これぞ19世紀!とでも言いたくなるような、風格とウィットと、ジェントルな雰囲気... さすが、カーラー!作品と絶妙の相性を見せる。そこに、トーマス・ザンデルリング+ロシア・フィルの好サポート!このコンビ、2006年のショスタコーヴィチのメモリアルで、ショスタコーヴィチがアニメ映画のサントラ用に準備していたという『司祭とその下男バルダの物語』(Deutsche Grammophon/477 6112)で、予想外に魅力的な演奏を繰り広げ、以来、あまり目立つことは無いものの、常に気になってしまう。そして、タニェエフでも、侮り難い存在感を示す。

TANEYEV: Suite de concert ・ Ioann Damaskin

タネーエフ : カンタータ 第1番 『ダマスコの聖イオアン』 Op.1 *
タネーエフ : 協奏的組曲 Op.29 *

グネーシン・アカデミー合唱団 *
イリヤ・カーラー(ヴァイオリン) *
トーマス・ザンデルリング/ロシア・フィルハーモニー管弦楽団

NAXOS/8.570527




新しき21世紀、ショスタコーヴィチ...

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ツィクルス、第1弾となった前作、11番、「1905年」が、独特のリアル感で以って捉え直され、驚かされ... ツィクルスの今後が、俄然、楽しみになってしまったヴァシリー・ペトレンコ+ロイヤル・リヴァプール・フィルによるショスタコーヴィチの交響曲。第2弾は、5番、「革命」(track.1-4)と、9番(track.5-9)という組合せ... で、早速の、代表作にして人気作、5番、「革命」の登場。どんな風に聴かせてくれるのかと、興味津々。なのだが... その5番、「革命」。1楽章の冒頭や、終楽章の冒頭の、いかにもなヘヴィーさ、終楽章の派手なフィナーレと、そのコテコテ感に、ぼんやりと苦手意識もあったのだが... またそういうイメージのまま、作品全体も捉えていて、どこかでこの交響曲に、安易なレッテルを貼っていたのかもしれない。そんな風に、再考を促すヴァシリー+ロイヤル・リヴァプール・フィルの演奏。彼らの演奏で、改めてこの交響曲に向き合うと、これまでとはまったく違う感覚を見出して、驚くことに。
丁寧かつ緻密に、5番、「革命」の、隅々までをよく捉えて、さらっと演奏してしまう。そのニュートラルな姿勢は、ソヴィエトの生々しい記憶が薄い世代(ヴァシリーは1976年生まれ、ソヴィエトの崩壊は、中学生の時... )ならでは?だからこそ、純音楽としてのショスタコーヴィチの交響曲の魅力を、再発見させられる思いも。「革命」という重々しいタイトルはどこかへ消え、プロパガンダ(ばかりでない、ショスタコーヴィチ流の反逆も含まれているわけだが... )としての保守性も薄れるようで、スターリンにより抹殺されることになるロシア・アヴァンギャルドのDNAは、そこかしこに浮き上がり、より刺激的な音楽に聴こえてくる。終楽章の派手なフィナーレなどは、ロシア本来のバーバリスティックな感性が放つ、原色の洪水... というのか、色彩が溢れて、鮮やか!こういうショスタコーヴィチもあったのかと、再発見させられる。
ヴァシリーが描き出す「ショスタコーヴィチ」というのは、革命の騒乱で煤け、泥まみれでがんばった、プロレタリアートな芸術とは一線を画す。全体を明るく光で充たし、作品の持つピュアな色彩を、丁寧に強調し、音楽そのものの喜びを、ポジティヴに繰り広げる。そんな色彩が躍る、5番という交響曲は、まるでおとぎ話の世界を描くような、そんな雰囲気すら漂い。ストラヴィンスキーの『火の鳥』や、リムスキー・コルサコフの『金鶏』と、そう遠い音楽ではないような... とかく大仰に語られる「革命」だが、ヴァシリーによって見つめ直される姿は、予想外に瑞々しく、間違いなく新鮮。
一方、軽さが強調される9番(track.5-9)では、かえってヘヴィー?な仕上がりがおもしろく。諧謔に孕むシニカルさが、独特の軽さとなって現れる9番だが、ヴァシリーの手に掛かると、シニカルさは断ち切られるようで、諧謔は屈託の無さに置き換えられて、大真面目に挑むヴァシリー+ロイヤル・リヴァプール・フィル。すると、体制を笑う、斜に構えた音楽は、また違う表情を見せて、マッドで、パワフルで、スリリング!より、ロシア・アヴァンギャルドのDNAを見るようで、刺激的。
世紀が変わって、作品のイメージが変わる... 多少、複雑な思いも滲みつつ、時間を経て辿り着いた、未来への視座というのか、ヴァシリーが垣間見せてくれた新鮮なショスタコーヴィチ像は、新しい魅力を放っている。で、やはり、次が楽しみに...

SHOSTAKOVICH: Symphonies Nos. 5 and 9

ショスタコーヴィチ : 交響曲 第5番 ニ短調 Op.47 「革命」
ショスタコーヴィチ : 交響曲 第9番 変ホ長調 Op.70

ヴァシリー・ペトレンコ/ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団

NAXOS/8.572167




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