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フランス近代音楽のパラレル・ワールド... [2009]

正月七日も過ぎ、2009年にもケリを付けねば。と、思いながら、やっぱり、新譜を追って、追いきれなくて... 何気に、12月に入ってからも、おもしろそうなアルバムのリリースが続き、頭を抱える。で、そうした中で、気になったのが、フランス近代音楽を取り上げるアルバム、2つ...
hänsslerが手掛けるケクランのシリーズ、最新盤、ハインツ・ホリガーと、SWRシュトゥットガルト放送交響楽団による、『バンダール・ログ』(hänssler/93.221)。と、今や、NAXOSのフランス近代音楽部門担当?ジュン・メルクル率いる、リヨン国立管弦楽団、アンネ・シュヴァネヴィルムス(ソプラノ)が歌う、メシアンの『ミのための詩』(NAXOS/8.572174)。ドビュッシーでもラヴェルでもなく、フランス6人組でもない、フランス近代音楽のパラレル・ワールド?を聴いてみる。


ドイツから繰り出される、ケクラン・サウンドは...

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ケクランに力を入れるドイツのレーベル、hänssler... ここのところ、ピアノや、室内楽にシフトしていたこともあって、その主軸たるホリガー+SWRシュトゥットガルト放送響によるアルバムは、『ペルシアの時』(hänssler/93.125)以来、3年ぶり。ということで、何とも新鮮な思いで、ケクランのオーケストラ作品と向き合う。で、その1曲目、『バンダール・ログ』の始まりの、ケクランならではのトーンに、まず魅了されてしまう。この"クラシック"離れしたアンビエント感、まさにケクラン!
ドビュッシー(1862-1918)の5つ年下、ラヴェル(1875-1937)の8つ年上で、マスネ(1842-1912)、フォーレ(1845-1924)に学び、次世代、プーランク(1899-1963)、タイユフェール(1892-1983)らを指導したシャルル・ケクラン(1867-1950)。印象主義のすぐ傍にあって、独自のサウンドを築きつつ、擬古典主義を担う6人組たちを育てたというポジションは、フランス近代音楽において、なかなか興味深い。が、どこかドイツ的な臭いを感じなくもない... ホリガー+SWRシュトゥットガルト放送響による演奏を聴いていると、そんな印象を受ける。というより、ドイツ人たち(ホリガーはドイツ語圏のスイス人... )だからこそ、そんなケクラン像が浮き上がるようでもあり... また興味深いところ。
フォーレの延長線上にある、もうひとつの印象主義... そんな認識でいたケクラン・サウンドの独特さ。ホリガー+SWRシュトゥットガルト放送響の『バンダール・ログ』を聴いていると、色彩的で、より直観的にも感じるフランス近代音楽にあって、アカデミックというのか、良い意味での硬質さを、ケクランの音楽から感じる。その硬質さが、アンビエントなあたりから盛り上がるモダニスティックな表情に、スタイリッシュな感覚を生み出していて。擬古典主義のヒンデミット(1895-1963)や、12音技法のシェーンベルク(1874-1951)のような、どこか無機的な輝きを放つようでもあり、気になる。印象主義風でありながら、磨き抜かれたサウンドで、シャープな音楽を繰り広げてゆくケクラン。久々だからこそ、より感じたのか、ホリガー+SWRシュトゥットガルト放送響の、滅法、近現代音楽に強いコンビならではの、高機能性が生み出すシャープさに、ケクラン・サウンドが思いの外はまっていて、クール!フランスにして、ドイツ向きの音楽?なんても思う。
で、2曲目には、「バッハの名前による音楽の捧げもの」(track.2-19)。b-a-c-hのテーマによる、まさにアカデミックな(ドイツ人が好みそうな?)、律儀で壮大な変奏曲(対位法の博物館?)が展開される。それでいて、バッハの『音楽の捧げもの』のように、様々な編成で、b-a-c-hを変奏するのがおもしろいところ。大オーケストラから、次第に規模を絞って、やがてピアノ1台のみ(track.8)で奏でられ。そこからまた規模を大きくし、再び大オーケストラで締めるという凝った構成。バッハ(b-a-c-h)という素材しかり、ケクランの教育者としての面目躍如(和声法、対位法に関する著作を、いろいろ遺したといことに、納得... )。そんなあたりが、このアルバムでの、「ドイツっぽさ」を、多少、強めている?一方で、壮大な変奏には、オルガンや、オンドマルトノなど、多彩な楽器が並び、そのあたりはフランスならではか...

KOECHLIN | Les Bandar-log / Offrande musicale

ケクラン : バンダール・ログ Op.176
ケクラン : バッハの名前による音楽の捧げもの Op.187

ハインツ・ホリガー/SWRシュトゥットガルト放送交響楽団

hänssler/93.221




21世紀から繰り出される、メシアン・サウンドは...

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ドビュッシー(NAXOS/8.570759, 8.570993)、ラヴェル(NAXOS/8.570992)と、興味深い演奏を聴かせてくれたメルクル+リヨン国立管。ドイツ出身のマエストロと、パリから離れたフランスのオーケストラによる、フランス近代音楽というのは、いつもの印象主義と一味違っていて... そうしたあたりから、メシアンが取り上げられると、どんな風に響くのだろうか?と、楽しみにしていたアルバム。シュヴァネヴィルムス(ソプラノ)が歌う『ミのための詩』(track.1-9)をメインに、「忘れられた捧げもの」(track.10)、「ほほえみ」(track.11)と、メシアンの初期と晩年の作品を、さらりとひとつにまとめて、この作曲家のエッセンスを薫らせる。のだが、メシアンが薫る?なんて、驚きの1枚に...
アンチ6人組的なところから、尖がってスタートしたメシアン(1908-92)の創作活動。やがて、フランス近代音楽の巨人として、20世紀後半に君臨するわけだが、その作品というのは、20世紀のモードを寄せ付けない、強烈な個性(深くオリンタルで、熱っぽくカトリックで、鳥と対話し、愛で充ち溢れ... )で、むせ返るような音楽を展開してみせたわけだ。で、以前は、そんなメシアンに、中てられるような感覚を持っていたのだけれど... 世紀も変われば、メシアンの強烈な個性も、音楽史の内に収容され、同時代に生きる作曲家としての生々しさは消え(早いもので、十七回忌も過ぎ... )、古典の風格を漂わせるよう。で、メルクル+リヨン国立管は、作曲家の強烈な個性に、身構えることなく、さらりと演奏してのける。
『ミのための詩』(1937)も、「忘れられた捧げもの」(1930)も、第二次世界大戦前の作品(先に取り上げた、ケクランの2つの作品は、これらの後の作品でもある... )、十二分に20世紀の古典なのだけれど、やはりメシアン作品だ。聴く側としては、多少、身構える。が、メルクル+リヨン国立管の手に掛かれば、不思議な心地よさと、フランスならではのエスプリが漂い、イメージが変わってしまう。例えば、『ミのための詩』(track.1-9)... こんなにもしなやかで、魅惑的だったろうか?それでいて、聴かせ所もしっかりと押さえられていて、これまでになく楽しめてしまう。そんな手応えに、驚かされる。さらに「忘れられた捧げもの」(track.10)では、突然の大太鼓の炸裂で、心臓が止まる思いをするのが常(メルクルはあまり強調しない... )だけれど、そうしたあたりよりも、クリアに、アグレッシヴな中間部を捉えていて、いつもと趣きを変えてくるあたりが気になる... それは、ストラヴィンスキーよりも保守的?ホルストの『惑星』のような、ムソルグスキーの『はげ山の一夜』のような... そんな雰囲気すらあって、印象的。
メルクル+リヨン国立管によるメシアン・サウンドは、予想外の新鮮な雰囲気に包まれ、魅了されてしまう。作曲家の手から完全に離れ、自分たちのものとして歌い、繰り広げられる演奏のニュートラルさが、かえって作品の本質を丁寧に掬い上げるのか。強烈な個性の角は取れて、ノスタルジックな色合いを含み始めたフランス近代音楽として、何ともお洒落な仕上がり!時代の流れというものを感じずにはいられない。

Messiaen: Poèmes pour Mi

メシアン : 歌曲集 『ミのための詩』 〔オーケストラ伴奏版〕 *
メシアン : 忘れられた捧げもの
メシアン : ほほえみ

アンネ・シュヴァネヴィルムス(ソプラノ) *
ジュン・メルクル/リヨン国立管弦楽団

NAXOS/8.572174




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