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エレクトロニクスで、夢の橋を渡って... [2009]

"クラシック"というと、まず、アコースティック!というイメージが強くある。だから、"クラシック"という世界に、エレクトロニクスが持ち込まれることに、強い抵抗感があった。はず...
なんて、振り返ってしまう。古楽から現代音楽まで、あんまりにも広過ぎる"クラシック"、いっろいろなサウンドに触れていると、多少のことでは驚かなくなる体質に。となれば、エレクトロニクスなんてものは、恐れるに足りず... いや、最高のスパイス!にすら思えてくる、今日この頃。で、21世紀を迎えて、そんなスパイス、ますます効いてきているような...
ということで、現代音楽にエレクトロニクス。ふんだんのスパイスで、クールなサウンドを聴かせてくれる2枚を手に取る。古文の時間を思い出す?あの『更級日記』を、大胆に音楽で綴る異色作... というか不思議作、ペーテル・エトヴェシュのサウンド・シアター『夢の橋を渡るように』(Budapest Music Center/BMC CD 138)と、スザンナ・マルッキ率いる、エキスパート集団、アンサンブル・アンテルコンタンポランに、現代作品に滅法強い、ヴィオラの鬼才、クリストフ・デジャルダンの演奏で繰り広げられる、フィリップ・マヌリ作品集(KAIROS/0012922KAI)を聴く。


日記を開けば... 夢の橋を渡るように... エトヴェシュ・ミーツ・ヘイアン。

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菅原孝標女による『更級日記』を、大胆にもオペラ化したハンガリーの鬼才、ペーテル・エトヴェシュ(b.1944)。昨年、リヨン歌劇場で初演された、そのオペラ『レディ・サラシナ』(2007)の話題は、日本にも漏れ伝わってきたが、エトヴェシュの新譜は、そのオペラの前段階の作品となるのか、また違う、もうひとつのエトヴェシュの『更級日記』。サウンド・スケープ『夢の橋を渡るように』(1998-99)。
コンピューター・ピアノが生み出すエレクトロニクスを駆使したサウンド・スケープに、アコースティックのアンサンブルが重なり、ミステリアスで、独特の空気感を生み出す。それは、和風ではないが、エトヴェシュなりにヘイアン(平安)の古(イニシエ)を咀嚼し、形にし、これもまた『更級日記』の風景なのかもしれない... という雰囲気を醸してくるあたりが、日本人としておもしろく、興味深く感じる。
そこに、淡々と物語を進めながらも、味わい深い存在感を見せるレディ・サラシナの語り(日記の朗読)。レディ・サラシナ役のエリザベス・ローレンスの語り口は、落ち着いたトーンもあって、渋い。が、豊かな表情も見せ、そこはかとなしに雄弁でもあり。そこに、"分身"やら、"分身の影"やら、"夢の声"など、様々な声が重なって、色を添え。時に、それは、レディ・サラシナの語りをなぞり、独特のハーモニーのようなものを聴かせる。その効果は、エレクトロニクスの音響とも相俟って、絶妙。レディ・サラシナが日記を読むと、読んだ先から、そこに綴れた過去の情景が、次から次へと蘇るようで、ファンタジック!
この感覚が、ちょっと他にはなく、エトヴェシュ流の平安日記文学は、想像以上に魅惑的。それは、深夜に聴く、ささやき系?ラジオ・オペラ... なんて、言ってみようか。日記を読むという、過去を辿るセンチメンタルさを含みながら、日記ならではの親密さを味わい。そこには、こどもの頃、夜、おとぎ話を聞かされたような懐かしさも漂い、サウンド・スケープの中に浮かび上がるささやきは、夜のしじまに立ち現れる亡霊たちのささやきにも聴こえて、少し怖くもあり。そんな不思議なサウンドを耳にしていると、まさに夢の橋を渡るように、夢を見るような心地にしてくれる。
それから、忘れてならないのが、ソリスティックに活躍するスヴォボダのトロンボーン。この人の演奏を聴くのも醍醐味(って、"分身"という役で、語りも聴かせてしまう器用さも... )。ささやきの合間、現れる、フリー・ジャズのような魅惑的な響きは、平安日記文学に、現代の夜の空気感をまとわせて、千年の時代の隔たりに、タイム・ホールを開けて、ダイレクトに『更級日記』につながってしまうよう。この感覚が、また魅力的。

PÉTER EÖTVÖS AS I CROSSED A BRIDGE OF DREAMS

エトヴェシュ : サウンド・シアター 『夢の橋を渡るように』 〔『更級日記』に基づく〕

ゲルゲリー・ヴァイダ/UMZEアンサンブル
レディ・サラシナ : エリザベス・ローレンス(語り)
分身 : マイク・スヴォボダ(アルト・トロンボーン、語り)
分身の影 : ジェラール・ブーケ(コントラバス・トロンボーン、スーザフォン、語り)
夢の声 : ブライス・ホルコム(ソプラノ)、ナディア・ハードマン(メッゾ・ソプラノ)、デイヴィド・ヒル(バリトン)

Budapest Music Center/BMC CD 138




マヌリ・ミーツ・ベーコン。の後で、せめぎ合う、エレクトロニクス、ヴィオラの圧巻!

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世界に先駆けて、作曲家たちにエレクトロニクスへ取り組む場を提供したIRCAM(パリ、ポンピドゥー・センターに属する音響音楽研究所)。その常連のひとり、フランスのエレクトロニクスの使い手、フィリップ・マヌリ(b.1952)の新譜... だが、お目当ては、作品よりも演奏だったり?
昨年、ブルーノ・マントヴァーニの7つの教会(KAIROS/0012722KAI)を聴いて、マルッキ+アンサンブル・アンテンルコンタンポランのスーパー・プレイにノック・アウト。ブーレーズが創設(1976)した、老舗、現代音楽専門アンサンブル... そのエキスパートぶりは、十分に認識していたつもりだったが、マントヴァーニ作品での圧倒的な個々の技量と、一糸乱れぬアンサンブルに、クラクラきてしまい... あの感覚をまた味わいたいと、手に取った新譜。その1曲目は、エレクトロニクス無しで、アンサンブル・アンテンルコンタンポランのスーパー・プレイを堪能。だが、そればかりでなかった... いや、マヌリ作品もおもしろい!
20世紀、イギリスを代表する画家、フランシス・ベーコン(1909-92)の『ベラスケスの、教皇、イノケンティウス10世の肖像による習作』(1953)にインスパイアされたという『肖像のための断章』(track.1-7)は、いつもの"ゲンダイオンガク"とはまた一味違う感触?"ゲンダイオンガク"にしては形のしっかりとした作品というのか、抽象全盛の時代、具象にこだわったベーコンという画家の指向と重なるよう... とはいえ、クラシカルなサウンドなどではあり得ない。やはりベーコンの絵画に似て、独特のハードさがあり。また、ベーコンの絵画がそのタイトルの通り、ベラスケスの『教皇、インノケンティウス10世の肖像』(1650)を基にしているように、マヌリの断章のあちらこちらで、20世紀音楽史の引用、断片らしきものが立ち現れて、興味深い。マヌリ作品にして、より多様な感覚を孕むあたりが、刺激的。
そして、エレクトロニクスが炸裂する2曲目、パルティータ I(track.8-16)。クリストフ・デジャルダンの力強いヴィオラの独奏と、エレクトロニクスが絡み合い、想像を越えた広がりを見せる。まず、エレクトロニクスにより生まれる鮮烈なサウンドが印象的で。その、S.F.的なテイストに、ゾクゾクきてしまう。一方で、デジャルダンのヴィオラがすばらしく。エレクトロニクス相手に、アコースティックであることは、分が悪いようにも思うのだが、エレクトロニクスよるサウンドに呑み込まれそうになると、踏み止まり、押し返し、逆にそのストイックさで音楽を制してみせて、圧巻。何より、エレクトロニクスとヴィオラのせめぎ合いがスリリングで、クール!いや、圧倒される... 凄い!

PHILIPPE MANOURY Fragments pour un portrait

マヌリ : 肖像のための断章 〔30人の音楽家のための7つの小品〕 *
マヌリ : パルティータ I 〔ヴィオラ独奏とエレクトロニクスのための〕 *

スザンナ・マルッキ/アンサンブル・アンテルコンタンポラン *
クリストフ・デジャルダン(ヴィオラ) *

KAIROS/0012922KAI




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