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クラシックの雛型が形作られた時代、古典主義の時代... [2008]

クラシックというジャンルは、グレゴリオ聖歌から現代音楽まで、気が遠くなるほどの長い歴史を抱えている。一方で、クラシックのイメージというのは、19世紀の名曲で形作られている。他の世紀に比べ、それだけ多くの名曲を生み出した世紀であるわけだけれど、クラシックの19世紀偏重の傾向は、少し残念な気がする。そんなクラシック、その雛型が形作られたのは、18世紀、古典主義の時代。交響曲、弦楽四重奏曲が形成された時代であり、ピアノが普及し出した時代でもある。クラシックに欠かせない要素は、古典派が生み育てたわけだ。だから、クラシックは、クラシック(=古典的)なのか?てことはないのだけれど、後少し、クラシシズム(=古典主義)が注目されるようになれば、おもしろいのにな... 来年は、古典派の巨匠、ハイドンの没後200年のメモリアルだし...
ということで、古典主義!鈴木秀美率いる、古典派の専門のピリオド・オーケストラ、オーケストラ・リベラ・クラシカ(以後、OLC... )の演奏で、モーツァルトの「ジュピター」(Arte dell'arco/CC-AD 028)と、ハイドンの「熊」(Arte dell'arco/TDKAD-025)を聴く。


ハイドンの5番から、モーツァルトの「ジュピター」へ、古典主義の交響曲の大いなる飛躍。

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ハイドンの5番の交響曲(track.1-4)と、モーツァルトの41番、「ジュピター」(track.5-8)を取り上げるライヴ盤。で、アンコールに演奏されたという、ハイドンの47番の2楽章(track.9)のおまけが付くのだけれど... それにしても、両極端な選曲!ハイドンの20代の頃の珍しい初期の交響曲(1761年以前?)に、モーツァルトの最晩年にあたる最も有名な最後の交響曲(1788年)。ある意味、古典派による交響曲の始まりと終わりにも思える。もちろん、ともに18世紀、古典主義の内にある作品だけれど、2つの交響曲の、およそ四半世紀の開きが生むギャップというのが、実に興味深く、黎明期から爛熟期へ、古典主義の発展を鮮やかに炙り出す。
で、若きハイドンの交響曲を聴いてからの、モーツァルト、最後の交響曲の壮観さは、より際立って響くようで... 特に、終楽章(track.8)のフーガは、普段よりもくどくすら感じてしまうほどにシンフォニック!2つの交響曲を並べて聴いてみると、古典主義の黎明期から爛熟期へ、その大躍進を見せつけられるよう。となると、ハイドンの5番(track.1-4)は物足りないのか?けしてそういうことはなく、生気に溢れる鈴木秀美+OLCの演奏もあって、十二分に魅力的!緩、急、緩、急というバロックの名残を見せつつ、しっかりと古典主義ならではの明快さに彩られて、小気味良く弾ける音楽が素敵。響きの重厚さ、派手さこそまだなくとも、ハイドンらしい粋な表情はすでにあり、そこが微笑ましく、古典主義の交響曲の少年時代?そんな爽やかさがこぼれ出す。
そして「ジュピター」(track.5-8)なのだけれど... あまりに多くの録音があって、そうした演奏の数々を聴いて来ると、次はどんなことをしてくれるのだろうか?という、変な期待を抱いてしまう癖がある。奇を衒った... その「奇」を楽しむような... すると、OLCの「ジュピター」は、どうも肩透かしを喰らうようなところがあって、戸惑う。が、よくよく聴いてみれば、十二分にアグレッシヴでありつつ、極めて端正。「奇」に頼らない真摯な姿こそ魅力。終楽章(track.8)の、壮大なフーガも、ひとつひとつ綺麗に重ねて、それでいてテンションを保っての、クリアな輝きは、とにかく、すばらしく。単にヒートアップして終わるだけでない、きっちりと整えられた「ジュピター」は、今や、かえって「奇」?他では、聴けないものかもしれない...

Orchestra Libera Classica / Hidemi Suzuki
Haydon: Symphony No. 5 / Mozart: Symphony No. 41 'Jupiter'


ハイドン : 交響曲 第5番 イ長調 Hob.I-5
モーツァルト : 交響曲 第41番 ハ長調 K.551 「ジュピター」
ハイドン : 交響曲 第47番 ト長調 Hob.I-47 から 第2楽章

鈴木秀美/オーケストラ・リベラ・クラシカ

Arte dell'arco/CC-AD 028




モーツァルト、ボッケリーニ、ハイドン、1780年代、古典主義が大きく花開く頃を俯瞰。

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モーツァルトの34番の交響曲(track.1-3)に、鈴木秀美のソロによるボッケリーニのチェロ協奏曲(track.4-6)。最後は、ハイドンの82番、「熊」(track.7-10)と、なかなかヴァラエティに富んだ1枚。で、モーツァルトが1780年、ボッケリーニが1780年から82年に掛けて、そしてハイドンが1786年に作曲されたということで、フランス革命(1789)を目前とした、古典主義が大きく花開く1780年代の音楽の歩みを辿るようで興味深く。また、ザルツブルク(モーツァルト)、マドリッド(ボッケリーニ)、エステルハーザ(ハイドン)と、ヨーロッパを東から西、そしてまた東へと俯瞰するのもおもしろい。ちらりとスペイン風を覗かせるボッケリーニ、フォークロワなダンスを踊って、おどけて見せるハイドンと、キャラクタリスティックな楽しみも籠められた1枚にもなっている。
そうした中で、前菜的に取り上げられる1曲目、モーツァルトの34番(track.1-3)の何気なさが、何とも言えず心に響く。どうしても、最後の3つや、そのひとつ前、38番、それから36番、35番、31番など、有名な番号にばかり耳は行きがちだけれど、そうではない地味な番号にもまたモーツァルトなればこその魅力はあって... いや、地味な番号だからこそ、モーツァルトの音楽の何気なさは際立ち... 何気ないところに、美しさを盛り込むモーツァルトの魅力が映える... はずなのだが、このOLCの演奏で聴くと、そうしたイメージは良い意味で裏切られ、有名な番号級のインパクトがしっかりとあって、ちょっと驚いてしまう。とにかく、最初の音から、大きな盛り上がりを見せていたアンシャン・レジームの音楽シーンのゴージャス感に溢れ、その時点でノックアウト。また、緩徐楽章にあたる2楽章、アンダンテ(track.2)の、モーツァルトならではの、美しく、やさしげに流れていく音楽は、リズミックにテンポ・アップで繰り広げられ、その軽やかさに軽く衝撃すら受けてしまう。が、何と魅力的なのだろう!鈴木秀美+OLCの演奏で変身させられた34番... この番号を、今、再発見させられた思いがする。
もちろん、ボッケリーニのチェロ協奏曲(track.4-6)も、ハイドンの「熊」(track.7-10)もすばらしい!鈴木秀美のチェロの艶やかさ!「熊」でのエンターテイメン性!きっちりとクウォリティを保って、とにかく、フルに楽しませてくれる鈴木秀美+OLCの古典主義は、やっぱり最高!

Orchestra Libera Classica / Hidemi Suzuki
Mozart: Symphony No. 34 / Boccherini: Cello Concerto G. 483 / Haydon: Symphony No. 82 'L'ours'


モーツァルト : 交響曲 第34番 ハ長調 K.338
ボッケリーニ : チェロ協奏曲 ニ長調 G.483
ハイドン : 交響曲 第82番 ハ長調 Hob.I-82 「熊」

鈴木秀美(チェロ)/オーケストラ・リベラ・クラシカ

Arte dell'arco/TDKAD-025





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