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モーツァルト、シューマン、マーラー、 [2007]

やっぱり、クラシックのメインストリームは、ドイツ―オーストリアか...
いや、そういう当たり前の考え方を捨て去ってみたい!という思いに駆られるのだけれど。クラシックにおけるドイツ―オーストリアというラインは、やっぱり最強なのかも。古楽から現代まで、まったく以って多様であるクラシック。それは、まるで銀河のよう... 聴けば聴くほど、そんな風に感じる。そして、そんな銀河そのものが好き!なのだけれど、最も密度の濃い銀河の中心は、やっぱりドイツ―オーストリアか。フランスも、イタリアも、ロシアだって欠かせないクラシックではあるけれど、ドイツ―オーストリアの音楽へ還ってくると、その密度に感心させられることがある。バッハ以来、連綿と紡がれて来た骨太の伝統は、クラシックのメインストリームとしての揺ぎ無さを感じずにはいられない。ふと、そんなことを思った、モーツァルト、シューマン、マーラーというライン。
ルネ・ヤーコプスの指揮、フライブルク・バロック管弦楽団による、モーツァルトの交響曲、「プラハ」と「ジュピター」(harmonia mundi FRANCE/HMC 901958)と、カペルマイスターに就任したリッカルド・シャイー新体制、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団による、マーラー版によるシューマンの2番と4番の交響曲(DECCA/475 8352)。昨年のメモリアルの成果を聴く。


モーツァルトと、ヤーコプスと、フライブルク・バロック管と、みんなで一緒にプラハを走る!

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歌手出身なればこその感性で、オペラやオラトリオに他のマエストロではあり得ないような魔法を掛けてゆく、ヤーコプス。が、ハイドンの交響曲(harmonia mundi FRANCE/HMC 901849)を取り上げると聞いた時は、びっくりした。いや、半信半疑。だったが、仕上がったものを聴けば、感嘆せざるを得なかった。となれば、当然、期待が高まるヤーコプスによるモーツァルトの交響曲。それも、「プラハ」と「ジュピター」という、真っ向勝負な組み合わせ。「超」の付く名曲だけに、大丈夫?という心配も無かったわけではないのだけれど...
まず、1曲目、「プラハ」(track.1-4)。弾むリズムに乗って、走り抜ける1楽章。そのワクワクさせられるような楽しさが、ヤーコプスに捉えられると、さらに、さらに走り抜けてゆくようで。ピリオドならではの快速な演奏... ではあるのだけれど、そういうレベルを突き抜けて、屈託なく走り抜けてゆくヤーコプス+フライブルク・バロック管。その演奏からは、何を急いでいるのかはわからないけれど、まるでモーツァルトそのものが、プラハの街を、全速力で駆けてゆくような、ちょっとシュールなイメージが浮かぶ... たまらず、聴く側も、一緒になって後を付いて駆けてゆく。そうして、流れてゆく街の景色と、吹き抜ける風を感じる心地良さ!それは奇妙なランナーズ・ハイ?モーツァルトと、ヤーコプスと、フライブルク・バロック管と、ただ一緒に走っていることが楽しくてたまらない。
みんなとワァーッと走っていることが無条件に楽しい... そんなこどもの頃に体験したような感覚を呼び起こされる、不思議な快演。こんな「プラハ」を体験するのは、始めてかもしれない。一方の「ジュピター」(track.5-8)は、何だろう?ワァーッと走っているのだけれど、鬼ごっこでもしているのか、みんな縦横無尽に、あっちへ、こっちへ... 次の動きが読めないからこそ、次から次へと驚かしてくれて、その驚きが楽しい?いや、時にヤリ過ぎ?で、躓きそうになる感覚も無きにしも非ず。だけれど、くどいくらいにしっかりと"繰り返し"をこなしていても、変化に富み、スルスルと次から次へと表情を変えて見せて、飽きることが無い。どころか、目が離せない!
そんなモーツァルトを繰り広げるヤーコプス... やりたい放題のようで、やり切ってしまって、楽しさを炸裂させる!そして、それを実現させるフライブルク・バロック管の見事な軽さ。軽さが生む俊敏さ。めくるめく展開するモーツァルトの交響曲を、より自由闊達に、愛嬌を振りまいて、肩の力が抜けきったところにある、無邪気な輝きをすくい上げる。ブラスは、ピリオドにして、しっかりと派手。弦はきっちりノン・ヴィブラート。でも、艶やかで、どこかまろやかですらあって、それでいて力強い!彼らの機能性、鳴りの良さには、改めて感服させられる。が、ヤーコプスのようなマエストロに弄られて... いや、多少、掻き回された方が、断然、良い音がしてくるような... それにしても、モーツァルトって、頭で考える以前に、本能的に楽しい...

MOZART SYMPHONIES 38 "Prague" & 41 "Jupiter" R. JACOBS

モーツァルト : 交響曲 第38番 ニ長調 K.504 「プラハ」
モーツァルト : 交響曲 第41番 ハ長調 K.551 「ジュピター」

ルネ・ヤーコプス/フライブルク・バロック管弦楽団

harmonia mundi FRANCE/HMC 901958




シャイー新体制、ゲヴァントハウス管、シューマンの交響曲を、マーラー版で...

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マーラー版のシューマンの交響曲と聞いて、驚く。そんなマニアックな版を取り上げるのは、一体、誰?!歴史と伝統を誇る、ゲヴァントハウス管のカペルマイスターに就任した、マエストロ・シャイー!いや、シャイーでなくちゃ取り上げないだろうな... ということで、マーラー版でのシューマンの2番(track.1-4)と4番(track.6-9)の交響曲。何と言っても、マーラーがどんなアレンジを施しているのか、興味津々で聴き始める。が、意外に大人しい?もっと、マーラーなればこその、濃厚で、ドラァグなサウンドを期待していたのだけれど...
始まりの2番、1楽章。マーラー版というインパクトは薄い。こんなものかと、肩透かしを喰らう。しかし、よくよく聴いてみると、オリジナルよりも、良く整理されていて、響きにまとまりが出ているのかも。で、それが、聴いていて、耳当たりが良く、何ともスムーズ。このスムーズさを体験してから、オリジナルに立ち帰ると、シューマンのサウンドに、エキセントリックなものを感じてしまう?いや、こういう感触を得られることが、もの凄く興味深い... 何より、指揮者としてのマーラーの鋭い感性を見出し、マーラーの職人的な熟練に、脱帽させられる。
が、終楽章(track.4)になる頃には、マーラーらしさも強く表れて来て。シューマンの時点では適わなかったパレットに並べられた色の多さと、その色の多さを駆使して得られる厚み、いい具合の派手さ。もちろん、オリジナルはすばらしいのだけれど、モダン・オーケストラの始まりの頃、マーラーによって新たな規模に仕立て直されて響くシューマンの聴き応え、充実感というのは、思いの外、魅惑的。いや、そのスケール感に納得。4番(track.6-9)では、切れ目なく演奏される劇的な展開が、よりマーラーのスタイルに合うのか、2番以上にナチュラルにスケール・アップされていて。この作品のドラマティックさが、巧みに拡張され、うねり、オリジナル以上に聴き入ってしまう。オリジナル主義全盛の時代にあって、こういう感触を得られたことが、何だかとても新鮮!
そして、そのマーラー版をチョイスし、取り上げるだけの魅力があることを示してくれたシャイー+ゲヴァントハウス管のすばらしいパフォーマンス!新体制となって、ますます魅力的なゲヴァントハウス管。もちろん、ブロムシュテット体制もすばらしかったけれど、シャイーの明晰な棒捌きが、オーケストラをよりスタイリッシュに鍛え、名門なればこその歴史、伝統を乗り越えて、また違った存在感を見せている。それは、とにかく高機能で、その機能美が放つ鋭い輝きが眩しい!なんてカッコいい響きだろう... いや、これこそが21世紀型のモダン・オーケストラなのだろう。大時代的なところが一切なく、一音一音をニュートラルに響かせて、スコアの隅々までを輝かせてゆく器用さ... そこから繰り広げられるマーラー版は、下手なマーラーっぽさに陥ることなく、絶妙なバランスを保って、作曲家としての強い個性を放つマーラーではなく、指揮者としてのマーラーの姿を掘り起こす。すると、シャイーにマーラーの姿が重なるようでもあり... 両者の時空を越えた共感が、このマーラー版に、思い掛けない化学変化をもたらし、「シューマン」を忘れて、楽しませてくれる。

SCHUMANN (ARR. MAHLER): SYMPHONIES 2 & 4
GEWANDHAUSORCHESTER/Riccardo Chailly

シューマン : 交響曲 第2番ハ長調 op.61 〔マーラー版〕
シューマン : オペラ 『ゲノフェーファ』 序曲 op.81
シューマン : 交響曲第4番ニ短調 op.120 〔マーラー版〕

リッカルド・シャイー/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

DECCA/475 8352


何気に思うのだけれど、近頃、クラシックは、ドイツ―オーストリアの古典派からロマン主義の前半あたりがブーム?あちらこちらのレーベルで、ベートーヴェンの交響曲のシリーズが展開中、これまで無視されがち?な、メンデルスゾーンの交響曲も、何となしにいろいろリリースされていて、やたらシューマンの交響曲のリリースが目立つような気もして... ピリオド、ハイブリットが定着しつつある中で、前世紀の古い演奏スタイルを乗り越えて、より新鮮なイメージをアピールし易いのが、このあたりなのか... と、同時に、そうしたメインストリームの周辺を彩った作曲家にもスポットが当たりつつあって、興味深いなと。
さて、モーツァルト、シューマン、マーラー... メインストリームという説得力は、やっぱり並々ならない。そこに、新たな感性で向き合う指揮者、オーケストラもまた、すばらしい。聴き古された作品なればこそ、21世紀の今、取り上げる意義は大きいのかもしれない。




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