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モーツァルト・イヤーの、PARIS, BRAZIL... [2006]

モーツァルト・イヤー!ブラヴィッシモ!
何ですか?これは?!という、"モーツァルト"まで出てきてしまうメモリアル。メモリアルの醍醐味とは、やはり、そういうものだと思う。いつもより気合を入れて、いつもよりたくさん、ステレオタイプをありがたく拝聴していては、先には進まない... メモリアルだからこそ、これまで見落としがちであった、その人物の様々な面を探る。そうして見えてきたものが、次の時代の新たな人物像を作っていく。ような、定期健診が、メモリアルだと思うのだけれど... 2006年、生誕250年のモーツァルト・イヤーは、どうだろうか?
演奏し尽された観も無きにしも非ずなモーツァルトだけに、ただ新しいディスクをリリースしていては、注目は集まらない... とばかりに、次々と興味深いアルバムがリリースされている。2006年もやっと春を迎えたところだが、こういう状態が、年内、まだまだ続いていくのかと思うと、ワクワクする反面、財布がキツくなるのだろうな... いや、すでにキツイ!が、止められない... ということで、前回に続いてのモーツァルト・イヤー!ブラヴィッシモ!モーツァルト、波乱の1778年、パリにて... を綴る、フライブルク・バロック管弦楽団のアルバム"CONCERTANTE"(harmonia mundi FRANCE/HMC 901897)。ジャン・クロード・マルゴワール率いる、ラ・グラン・エキュリ・エ・ラ・シャンブル・デュ・ロワらによる、驚くべきリオ版... モーツァルトのレクィエム(K617/K617 180)。メモリアルなればこそ!極めて興味深い2タイトルを聴く。


苦労と努力のモーツァルト、1778年、パリにて...

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フライブルク・バロック管による"CONCERTANTE"には、花々しいモーツァルトの数々の作品の中でも、特に華やかな作品が並ぶ... フルート、オーボエ、ホルン、バスーンのための協奏交響曲、フルートとハープのための協奏曲、31番の交響曲、「パリ」。1778年、パリに挑んだ、青年、モーツァルトによる、パリで作曲された3曲は、"パリ"という括りで聴いてしまうからだろうか、どこか、パリっぽい...
モーツァルト・サウンドのイメージは、往々にしてあると思う。個人的なイメージとしては、吹き抜けてゆく風のようなイメージ(オーストリア・アルプスの風?)だろうか。しかし、パリでは、そういう爽やかな風は吹かない。ちょっとスノッブな、ロココのたおやかな匂いが漂い(例えば、フルートとハープのための協奏曲)、故郷、ザルツブルクとは違う、大都会の豪奢さと喧騒(例えば、パリ交響曲)が広がるような... 何となしに、他のモーツァルト・サウンドとは違うイメージが広がる。そして、どこか、青年、モーツァルトの一生懸命さが伝わってくるようであり。
生誕250年、という時を経てのモーツァルト像は、神々しいまでに高められている。が、22歳、パリにやって来たモーツァルトは、単に若い作曲家の1人に過ぎなかったのだろう。ヨーロッパ中から音楽家が集まってくる、国際音楽センターとしての当時のパリの音楽シーンを賑わせていたのは、グルック(イタリアで成功、ウィーンでキャリアを積む... )と、ピッチンニ(ナポリ楽派の巨匠... )の対決。ザルツブルクの片田舎から、ひょっこり出てきた若い作曲家に活躍の場はあまり無かった。いくら少年時代に、神童としてパリ・ツアーを成功させたとはいえ、着実にキャリアを築いてパリに乗り込んできた巨匠たちを前に、モーツァルトは、大きな壁を感じたはず...
コンセール・スピリチュエル(テュイルリー宮を本拠地としたパリを代表するオーケストラ)の支配人、ル・グロの依頼で作曲された協奏交響曲(track.1-3)は、初演を前にカンビーニの作品に差し替えられ(妨害工作あり?)、スコアも返却されることなく、紛失(そのため、現在、演奏されているものは、モーツァルト未満な状態であったりする... )。その後、何とか収入を得ようと作曲したフルートとハープのための協奏曲(track.4-6)は、作曲料の支払いが遅れ... 悪戦苦闘のモーツァルト。そして、ル・グロの依頼による、再びチャンスを得たパリ交響曲(track.7-9)の、晴れがましいこと!パリの聴衆に照準を合わせ、まさに"パリ"用の交響曲を仕立て、大成功を勝ち取る。それが、モーツァルトの1778年。そこに、無邪気な天才、モーツァルトの姿はなく、苦労と努力が滲む。
というモーツァルトの姿を見せてくれたフライブルク・バロック管。ハープのマーラ・ガラッシを除き、コンチェルト/コンチェルタンテのソリストは、皆、オーケストラのメンバー... というから、さすがの名手揃い!どのソリストも、鮮やかな妙技が光る。そして、名手が揃ってのアンサンブルも見事。ディレクター、フォン・デア・ゴルツ(ヴァイオリン)の下、重厚感もあるしっかりとしたモーツァルトを響かせ、そこに、当時のパリを想起させるような雰囲気が漂い、独特の臨場感も生み出す。さらには、若い作曲家の心境をも透かすようで... 生身のモーツァルトを捉え、パリの華やぎとともに、心に響く演奏を聴かせてくれる。

W.A. MOZART "CONCERTANTE" PARIS 1778
FREIBURGER BAROCKORCHESTER / GOTTFRIED VON DER GOLTZ


モーツァルト : 協奏交響曲 変ホ長調 K.297b(Anh.9) 〔フルート、オーボエ、ホルン、バスーンと管弦楽のための〕 ****
モーツァルト : フルートとハープのための協奏曲 ハ長調 K299 **
モーツァルト : 交響曲 第31番 ニ長調 K.297(300a) 「パリ」

スザンネ・カイザー(フルート) *
アンネ・カトリーン・ブリュッゲマン(オーボエ) *
ジャビエル・サフラ(バスーン) *
エルウィン・ウィエリンガ(ホルン) *
マーラ・ガラッシ(ハープ) *
ゴットフリート・フォン・デア・ゴルツ(ヴァイオリン)/フライブルク・バロック管弦楽団

harmonia mundi FRANCE/HMC 901897




えっ?!リオ版、モーツァルトのレクィエム。

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出てしまったァ... これぞ、メモリアル!リオ版のレクイエムである。
モーツァルトのレクイエムといえば、彼の死の年に作曲されつつあった、クラシックというジャンルにおいて、最も伝説的な未完の作品。で、そのリオ版は、モーツァルトが逝って、28年の後、1819年、ミヒャエル・ハイドンの弟子だったというジギスムント・ノイコム(1778-1858)が、かのレクイエムをリオ・デ・ジャネイロで演奏するために「リベラ・メ」を補筆し、完成させたものとのこと。で、初めて聴くことになる「リベラ・メ」(track.15)なのだが... モーツァルト自身によるレクイエムのメロディ、聴かせ所がしっかりコラージュされていて、これはある種のダイジェスト?となれば、レクイエムの締め括りにふさわしい... いや、そうしたあたりに、多少、あざとさもあって、微妙?また、モーツァルトの死後、28年が経っての作曲ということで、モーツァルト的な世界からは明らかに前進した19世紀のサウンドがそこに響く。それまでの古典派の流れに対し、思いもよらずロマン主義が滲み出して濃い... で、いいのか?となるのだが。一方で、モーツァルトによる1791年のサウンドと、ノイコムによる1819年の「リベラ・メ」、28年というタイム・ラグが生む、鮮やかなコントラストが、なかなか興味深くもあり、おもしろい。
それにしても、こんなの、あったの?!てか、ありなの?みたいな、キワモノ感極まっての、メモリアルなればこそのリリース。ジュスマイヤー版ですら、納得がいかない... という空気があるような、ないような... そうした中での、ノイコムによる「リベラ・メ」のおまけが付く、リオ版。賛否両論、渦巻きまくりの1枚となるのだろう... が、こういうものも存在していて、発掘されて、改めて取り上げられて、演奏されて、録音されて、耳にできてしまうことに、まずは感激。ここは、ひとつ、許せない!あり得ない!とならずに、おもしろいっ!と、膝を打つくらいの心意気が求められるのかもしれない。個人的には、世紀を越えて、大西洋を越えて、モーツァルトのレクイエムがブラジルで演奏されていたことに感心したり。モーツァルトの音楽の広がりに、感慨深いものがある。
という、リオ版のレクイエムを掘り起こしたフランス・ピリオド界の鬼才、マルゴワール。このマエストロならではのリオ版とも言えるのだが、ラ・グラン・エキュリ・エ・ラ・シャンブル・デュ・ロワを率いての演奏が、なかなか快速運転で、心地よく、「リベラ・メ」も、ノイコムの濃い味付けをおもしろく仕上げており、印象的。また、リオ版、復活蘇演のライヴということもあってか、テンションは高め。けれど、変に熱っぽくはなく、ポジティヴにポップな感覚が、おもしろい疾走感を生んでいる。とはいえ、コーラスに関しては、もう少しきちっと歌えるところを使って欲しかった... このあたり、このマエストロならではの詰めの甘さというのか、残念... なのだけれど、慣れとは恐ろしいもので、その微妙なあたりが、葬送の音楽の辛気臭さをやわらげてしまって、海を渡ったラテン気質のモーツァルトに、ほんわか魅了?される?いや、これはこれで、素敵な"モーツァルト"だった。

W.A. Mozart Requiem K626

モーツァルト : レクイエム ニ短調 K.626 〔ノイコムによる「リベラ・メ」を含む、リオ・デ・ジャネイロ版〕

ヒャルディス・ティボール(ソプラノ)
ジェンマ・コマ・アラベール(メッゾ・ソプラノ)
シモン・エドワーズ(テノール)
アラン・ビューエ(バス)
カントライ・ザールルイース(コーラス)
ジャン・クロード・マルゴワール/ラ・グラン・エキュリ・エ・ラ・シャンブル・デュ・ロワ

K617/K617 180



モーツァルト・イヤーの、PARIS, BRAZIL...
神童、モーツァルトが、パリでもて囃され、ヴェルサイユにも出張した1763年から64年に掛けて、未だ、ラモーが健在で、パリのオペラ座のために新作オペラを書いていた。そして、1778年、モーツァルトがパリで壁にブチあたった頃、この音楽の都を盛り上げたのは、グルックとナポリ楽派のオペラ。耳の肥えたパリの音楽ファンの人気を二分し、喧々諤々の論争が巻き起こっていた。そして1791年、フランス革命が勃発、音楽の都、パリの華やぎは今や昔... ヨーロッパ中に革命と戦争の暗雲が垂れ込める中、モーツァルトは、自身のために書いたようなレクイエムの仕事をやり残し、ウィーンで逝くわけだ。そして、革命が脱線に次ぐ脱線を経て、ナポレオンすら消え、あらゆることが元に戻った後、1819年、ノイコムがリオ・デ・ジャネイロにて未完のレクイエムに補筆... 旅の多かったモーツァルトですら思いも付かなかったであろう、大西洋を渡ったブラジルでの、リオ版の初演。それは、第九が初演される5年前の話しであり、すでにロッシーニは、ヨーロッパ中のオペラハウスを席巻し、スターであった。
堅苦しい音楽史の1ページだが、こうして、1778年、1819年という、半世紀にも満たない時間差を見つめ直すと、実に興味深い。時の流れとは恐ろしく速く、振り返れば、また感慨深い。




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