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"deep silence"、笙とアコーディオンによる、響きの極北... [before 2005]

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明けまして、おめでたいということで、生誕200年のスッペだ、オッフェンバックだと、景気の良い、お祭り騒ぎのような音楽を聴いて来たお正月。も、明けましたので、ここで少し襟元を正すような、スキっとした音楽を聴いてみようかなと... で、和楽器、笙による音楽!いや、お正月というと、笙。初詣で漏れ聴こえて来る響きが、そのイメージを形作っているように思う。のだけれど、笙という楽器を面と向かって聴くようなことは、ほとんどない。だから、いざ聴いてみると、びっくりする。まず、神社から聴こえて来る印象と大分違う!そのあまりに澄んだ響きに、何の楽器を聴いているのかわからなくなってしまう。それは、東洋でもなく、西洋でもなく... 下手をすると、人工的に作られた音?なんて思いかねないほどにニュートラル。突き抜けている... 何なんだ、この楽器は... いや、楽器というより、サウンド・マシーン?見つめれば、見つめるほど、不思議な存在なのです。
ということで、現代邦楽を代表するマエストラにして、現代音楽界のミューズ、宮田まゆみによる笙と、鬼才、シュテフン・フッソングのアコーディオンという異色の組み合わせで、細川俊夫と雅楽からの作品集、"deep silence"(WERGO/WER 6801-2)を聴く。

笙。奈良時代、雅楽とともに中国から伝わった管楽器... 簧(した)と呼ばれるリードの付いた17本の竹筒を、匏(ホウ)と呼ばれる丸い風箱の上に立て、その風箱に開けられた吹き口から息を吐き込み、また吸い込み、竹筒を共鳴させて、音を発する。それは、パイプ・オルガンに良く似たメカニズム... というより、パイプ・オルガンを掌サイズにしたのが、笙と言えるのかも... が、パイプ・オルガンのように闊達にリズムを刻んだり、雄弁にメロディーを歌ったりすることはできない。一方で、ドローンとなる音を軸に、持続的に和音を織り成す(というあたりは、バグパイプを思わせる... )ことができて、雅楽特有の雅やかな背景を描き出す。だから、サウンド・マシーンのようなイメージになるのか?いや、それこそが魅力!他の楽器には無い制約があって、不思議な佇まいを見せる。改めてその響きを見つめ直すと、ただならずスペイシー... そのスペイシーさには、スペクトル楽派の音楽に通じるような感覚があって、思い掛けなく斬新。そのあたりに目敏く反応したのが現代音楽の作曲家たち... 武満を筆頭に、多くの日本の作曲家が笙のための作品を書き、さらには、ケージやラッヘンマンといった海外の作曲家も笙を用いた作品を作曲している。で、現代音楽の専門レーベル、WERGOが取り上げると?
という、"deep silence"。日本の"ゲンダイオンガク"の顔、細川による笙のための作品を、雅楽からの音楽で挟んで、さらには、笙に留まらず、アコーディオン(まったく違う楽器のようで、実は原理的に極めて近かったり... )も用い、雅楽=古典と現代音楽、東洋=笙と西洋=アコーディオン、その境界を魔法に掛けたように消失させ、驚くべきニュートラルな世界を出現させてしまう。その始まりは、雅楽から、盤渉調の調子... 日本の音律、十二律の基音、壱越(西洋の音階のレ=ニの音にあたる... )から10番目、盤渉の調(西洋風に言うならロ調... )による、舞楽の始まり、舞人が登場する場面、「調子」(バレエのアントレみたいな感じ?)。その笙のパートを、アコーディオンと笙で奏でるのだけれど、いやー、何という響き!澄み切って鮮烈で、音楽というより、もはや大気... 高音による美しい音響が、ゆっくりと流れて行き、まるで神々が住まう雲上の風景を見せられるかのよう。で、しっかりと音が発せられているのだけれど、リズムもメロディーも無い笙ならではの静かな世界が広がって、タイトルにある"deep silence"に納得。で、驚くべきは、笙とアコーディオンの響きの差異が完全に消失し、何者でもないものに統合されていること... またそこに響きの極北が示されるようで、圧倒される。
そこから、細川の雲景・月夜(track.2)が続くのだけれど... 笙の性格を活かしての音楽作りは、雅楽のようにたゆたう流れを生み出し、盤渉調の調子の雰囲気を壊さない。けれど、雲上を思わせる明るさに包まれた盤渉調の調子からすると、雲が影を作るように仄暗く... その仄暗さに、細川作品らしさを感じ取る。またそこに、盤渉調の調子には無かった音楽らしさも味わえて... アコーディオンはアコーディオンらしさを取り戻し、笙には楽器としての存在感が生まれ、2つの楽器の差異が明確となり、そのコントラストに情緒が生まれ、雲は流れ、月の光が揺らぐ様を、ポエティックに表現して行く。またその陰影に、盤渉調の調子以上に、日本的な気分が醸し出されるのがおもしろい。いや、我々が感じる「日本的」というのは、後発のイメージなのかもしれない。そんなことを、さらに感じてしまうのが、笙のみによって奏でられる、黄鐘調の調子(track.3)!盤渉調の調子のように明るく、それでいて、より色彩に富んでいて、どこかキラキラとした印象を受ける。で、このキラキラ感が、何気にポップにも思えて、独特!雅楽では、盤渉調が冬を表現し、黄鐘調が夏を表現するとのこと... うん、わかる。響きの透明度と色彩感に、季節の空気感が巧みに表現されている!いや、「日本的」というイメージ以前の、イニシエを生きた人々の、科学的とすら思える季節の捉え方というか、鋭い観察眼と鋭敏な感性に息を呑む...
そして、イニシエの人に負けていない、現代音楽のスペシャリスト、2人!まず、宮田の笙の恐るべき透明感... ただならず突き抜けている!もはや人が奏でているとは思えないほどの、浮世離れした佇まいに、吸い込まれてしまいそう。聴く者を包むようであり、射抜くようであり、やわらかさと鋭さを持った、単に美しいだけではない、クラリティの高さが生む神々しさに、音を聴きながら、光を浴びるような感覚を味わう。その宮田に対して、フッソングのアコーディオンがまた凄い!アコーディオンという西洋の楽器を、究極的に笙の響きに近付けて行くテクニック... あまりの同化っぷりに、ひとつの楽器の演奏を聴いているような瞬間さえあり、アコーディオン・ソロによる双調の調子(track.5)では、完全に笙と化してしまう。一方、細川の線V(track.4)では、アコーディオンらしさももちろん響かせ、楽器の可能性を圧倒的に示す。いや、アコーディオンも恐るべき楽器だなと、今さらながらに感じ入ってしまう。それにしても、絶妙過ぎる。雅楽から細川作品へ、細川作品から雅楽へ... 両者の見事な共鳴と、共鳴することで文化の垣根を消し去ってしまう魔法!消し去られて響くのは、剥き出しの音か?剥き出しの音の作為の無いピュアな表情に魅了され、浄化されるよう。

Toshio Hosokawa | Gagaku Deep Silence

盤渉調の調子 **
細川俊夫 : 雲景・月夜 **
黄鐘調の調子 *
細川俊夫 : 線 V *
双調の調子 *
細川俊夫 : 光に満ちた息のように *
壱越調の調子 **

宮田まゆみ(笙) *
シュテフン・フッソング(アコーディオン) *

WERGO/WER 6801-2




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