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地中海を巡って、グラゴル聖歌のミステリアス... [before 2005]

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オリンピックが終わると、現実が戻って来る。ニュースは、オリンピック前と変わらぬ、世の中のダメっぷりを丁寧に伝え、そんなものを目にするたびに、ゲンナリしてしまう。また、ゲンナリさせることが起こるんだわ、タイムリーに... メディアがネタにまったく困らんという状況を、もの凄く複雑な思いで見つめるオリンピック後であります。一方で、イタリアで地震、ミャンマーで地震と、居た堪れないニュースも飛び込んで来て、オリンピックの輝かしさが遠くに感じられてしまう。オリンピックの夢から醒めれば、現実は厳しいばかり... で、現実を前に、ちょっと逃避的な音楽へ走る。いや、中世のヨーロッパにも、そういう雰囲気があった?この世を離れ、あの世を旅する物語が一大ブームになったのだとか... そうしたムーヴメントの先に、ダンテの『神曲』もあるのだとか...
という『神曲』にも影響を与えたと言われる物語、『トゥヌクダルスの幻視』による音楽劇。でもって、"ZA KRIŽEM"に続く、クロアチア、ダルマチア地方の不思議な音楽から構成される興味深い音楽劇。カタリナ・リヴリャニッチ率いる、古楽ヴォーカル・アンサンブル、ディアロゴスが歌う、"LA VISION DE TONDAL"(ARCANA/A 329)。現実から、しばし離れ、あの世を彷徨う。

むかしむかし、アイルランドに、トゥヌクダルスという、それはそれは美しい青年がおりました。トゥヌクダスルスは、名家の出で、もちろん裕福で、宮廷で育ち、身のこなしは洗練され、武芸にも秀でた文句無しの人物... が、その実は、大したクソ野郎でして、遊び呆けて散財し、教会を蔑ろにするほどでありました。そんなトゥヌクダルスは、ある日、金を貸していた友人の家へ... そこで、大層な歓待を受けたものの、友人から、返す金が今は用意できないと聞かされると、怒り出し、友情などすっかり忘れ、帰り支度を始めてしまいます。しかし、せめて、最後に食事を、と友人に乞われ、その申し出を受けるトゥヌクダルス。その席で、突然、発作に襲われ、意識を失い、仮死状態に!そうして始まる、トゥヌクダルスの地獄巡り... このお話しは、中世の人々にとってポピュラーなものだったようで、海を渡り、アイルランドから大陸へも伝わり、1149年、アイルランドの修道士、マルクスが、南ドイツ、レーゲンスブルクの聖パウロ女子修道院長、ギゼラの依頼で、ラテン語で『トゥヌクダルスの幻視』を書き、物語としての形が整えられる。やがて、トゥヌクダルスの物語は、クロアチア、ダルマチア地方へも伝わり...
リヴリャニッチ+ディアロゴスによる"LA VISION DE TONDAL"は、このクロアチア、ダルマチア地方に伝わったものを、女声によるア・カペラの音楽劇として大胆に構築する。16世紀にベネディクト会の女子修道院のために書かれたトゥヌクダルス=トンダルの物語の歌を軸に、そこに、グラゴル聖歌(中世前半、コンスタンティノープル教会の指導により、スラヴ語圏に確立された独自の文字を用いた聖書による典礼のための、東方的にしてスラヴ文化に根差した聖歌... )、グレゴリオ聖歌を差し挿み、カトリック圏にして、東方正教会の影響を残す、クロアチア、ダルマチア地方の特色を存分に盛り込んで、トゥヌクダルス=トンダルの地獄巡りの不思議さを、圧倒的に醸し出す。という、"LA VISION DE TONDAL"、トンダルの幻視、始まりは、グラゴル典礼の聖歌の独特なハーモニーに包まれ、ミステリアス。東方的のようで、オリエンタルに浸ることなく、スラヴ風の柔らかさ、温もりを感じながら、イタリア的な明快さも見出すそのハーモニーは、聴く者の耳を聴いたことのあるイメージに誘い込みつつ、けして、どのイメージにも辿り着けないような、まさに「幻」を思わせる。で、これこそが、ダルマチア地方の空気感だろうか... 様々なイメージの揺らぎの中に、得も言えぬミステリアスな魅力を放つ!そこに、ラテン語のグレゴリオ聖歌が歌われると、ふわーっと明るさが増し、思い掛けなく、ドラマティック。グラゴル聖歌の「幻」と、定番であるグレゴリオ聖歌の対比が、前半、印象的に作用する。そして、クロアチア語によるトンダルの物語と聖歌を行き来することで、幽体離脱したトンダルの魂の心許無さ、彷徨う様子を見事に描き出し、その浮世離れした雰囲気に惹き込まれる。いや、突き抜けて摩訶不思議!限りなく美しいのに、どことなしのホラー感が、クール!
それを際立たせるのが、リヴリャニッチ+ディアロゴスの澄んだハーモニーと、たおやかな表情... 女声によるア・カペラが織り成す美しさが、グラゴル聖歌をベースとしたクロアチア、ダルマチア地方の音楽の不思議さを捉えると、ただならぬ空気が生まれる。ディアロゴスの歌声は、西洋的に澄んでいるのに、その歌声が明晰に捉えるハーモニーは、耳慣れた西洋的なものとは一味違う、東方性が滲む、スラヴ的ハーモニー... この不思議なコンビネーションが、これまでにない酩酊感を生み、トンダルのみならず、聴く者、皆、幽体離脱してしまいそうな、ちょっと不気味な心地良さが広がる。それは、騒音に塗れた現代人の耳にとって、得も言えぬ癒しにもなる。何だろう?耳で聴くのではない、魂が聴く音楽?"LA VISION DE TONDAL"を聴きながら、目を閉じれば、トンダルに誘われ、あの世を巡るような、そんな感覚すら覚える。

LA VISION DE TONDAL
DIALOGOS / KATARINA LIVLJANIĆ


トンダルの幻視

カタリナ・リヴリャニッチ/ディアロゴス

ARCANA/A 329




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