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象徴主義の魔法に掛かった森で出会う、ペレアスとメリザンド。 [before 2005]

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春の野原にピクニックに行ったようなプーランクの後で、じっくりとドビュッシーを聴いてみようかなと... ところで、ドビュッシーなのだけれど... 強い個性に眩惑されて、実は、その実体を掴み損ねて来たような... 改めてこの作曲家と向き合ってみると、そんなことを思わされる。長らく「フランス」としての個性を忘れていたフランスの音楽が、再び覚醒する、ドビュッシーの出現。ドイツのロマン主義に対抗する、フランスの印象主義の音楽、アンチ・ワーグナーにしてプレ・モダンのドビュッシー... 漠然と捉えていたそのイメージを、今一度、洗い直して見ると、そう簡単に構図化できるほどドビュッシーの音楽は一筋縄ではないことを思い知らされる。印象主義というよりは、象徴主義に傾倒したドビュッシー。アンチ・ワーグナーとはいえ、かつては熱烈なワグネリアンであり、その音楽は間違いなくワーグナーの延長線上に存在しているというパラドックス。この、聴く者を煙に巻くような態度から、強い個性が生み出されているわけだ。いや、だからこそ、眩惑されるような感覚が生まれるのかもしれない。
というドビュッシーに眩惑される春。春眠、暁を覚えず、覚めることのない夢を見続けるようなオペラ... クラウディオ・アバドの指揮、ウィーン国立歌劇場による、ドビュッシーのオペラ『ペレアスとメリザンド』(Deutsche Grammophon/435 344-2)を聴く。

ベルギーの象徴主義の作家、メーテルランクの戯曲を台本に、19世紀末に作曲が進められ、20世紀となってまもなくの1902年、パリ、オペラ・コミック座で初演された『ペレアスとメリザンド』。語り=レシ(叙唱)で綴られるストイックな展開は、アリアで飾られた過去のオペラと決別する、まさに新しい世紀の到来を告げる音楽。一方で、重厚なオーケストラの響きにはワーグナーを感じ(ドビュッシーによる印象主義とワーグナーの意外な近さ!)、滔々と歌われるレシにはムソルグスキーのオペラを思い起こさせ、象徴主義というムーヴメントを含め、19世紀に現れた先駆的なセンスを巧みにまとめ上げた、ある種、過去の集大成的な音楽にも思えるからおもしろい。そうして生まれる、夢現をたゆたうような独特な感覚!何と言っても、豊潤なる象徴主義の魔法!
正直に言うと、アリアの無いオペラに馴染めないところがあったのだけれど、じっくりとこのオペラに向き合えば、じわりじわりと魔法に掛かるような感覚があって... 切れ目無く続く音楽と、そこに浮かぶレシ(叙唱)を聴いていると、迷宮に迷い込むようであり、それがまた、ミステリアスな『ペレアス... 』の物語と重なり、聴き進めば聴き進むほど、抜け出せないような、何とも言えない引力がある。『ペレアス... 』の誕生は、フランス音楽の覚醒とも言える瞬間でありながら、そこにはフランスらしいメローさ、キャッチーさは皆無。そればかりか、仄暗く曖昧模糊とした音楽は、まるで表現主義の先駆のようであり、シェーンベルクの『期待』 (1909)はもうすぐそこ(逆を言うと、シェーンベルクが如何にドビュッシーにインスパイアされていたかを再確認させられる!)。物語が煮詰まって行く後半は、ウィーンの世紀末を思わせる熱気を孕み、「フランス」というイメージはあっさりと逸脱してしまうのか。一方で、フランス語の響きを丁寧に捉えながら、音楽に囚われないレシの姿は、自由なゲドロンの昔に還るような瑞々しさがあって、「フランス」の真髄とも言える姿を示す。いや、聴けば聴くほどイメージは攪乱される!
で、この攪乱を魅力としてしまうドビュッシーのずるさ!ドビュッシーという個性が確立される作品のひとつとされる『ペレアス... 』だけど、そこには新しい世紀を切り拓いたドビュッシー像とは違う、19世紀の異端(象徴主義や、それに霊感を与えたワーグナーの楽劇、あるいは辺境のロシアで生まれたムソルグスキーの独特な感性... )に傾倒したドビュッシー像というものを強く感じる。巧みに王道を外して、散らばっていた異端を拾い集め、まとめ、自分の音楽としてしまう策士、ドビュッシー... 久々に『ペレアス... 』を聴いてみると、様々なイメージが次々に浮かび上がり、強い個性を放つ作品でありながら、実体が掴めないような悩ましさが漂う。そうしたあたりに、この作曲家の天の邪鬼っぷりを感じてしまうのだけれど、その悩ましさが放つ、豊潤な香り!滅法、鼻の利くドビュッシーの、冴え渡るブレンド力の賜物とでも言おうか、聴く者をただならず眩惑してしまう。
そんなドビュッシーを強調する、アバドの指揮、ウィーン・フィルの演奏... 「フランス」とは距離のある、ウィーンという場所だからこそのニュートラルな視点が引き出す、天の邪鬼、ドビュッシーのおもしろさ。そこかしこに漂うワーグナー、その延長線上にある後期ロマン主義の爛熟、その果ての表現主義... ウィーンという性格が生むケミストリーもあるのかもしれない。その万華鏡のように展開されるサウンドは、聴き込めば聴き込むほど発見があり、新鮮!そこに、メリザンドを歌うユーイングのピュアなソプラノ、そのメリザンドに恋してしまうペレアスを歌うル・ルーの伸びやかなテノール、ペレアスの兄で、メリザンドを妃に迎え、苦悩し翻弄されるゴローを歌うヴァン・ダムの深いバリトン... 彼らの、繊細にして的確な芝居が、『ペレアス... 』の魔法をより深いものにしていて、夢幻... いやー、今さらながらに、惹き込まれる。

Claude Debussy
PELLÉAS ET MÉLISANDE
Claudio Abbado


ドビュッシー : オペラ 『ペレアスとメリザンド』

メリザンド : マリア・ユーイング(ソプラノ)
ペレアス : フランソワ・ル・ルー(テノール)
ゴロー : ジョゼ・ヴァン・ダム(バリトン)
アルケル/羊飼い : ジャン・フィリップ・クールティス(バス)
ジュヌヴィエーヴ : クリスタ・ルードヴィヒ(アルト)
イニョルド : パトリツィア・パーチェ(ソプラノ)
医者: ルドルフ・マッツォーラ(バス)
ウィーン国立歌劇場合唱団

クラウディオ・アバド/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

Deutsche Grammophon/435 344-2




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