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ベートーヴェン、と、ロッシーニ。 [before 2005]

ヨーロッパが大きく動いた頃、1810年代の音楽。の、続き...
ウェーバーベートーヴェンのオペラを聴いたので、その流れで、ベートーヴェンとロッシーニの序曲を聴いてみることに。で、改めてこの2人を並べてみると、とても興味深い。苦難の末に高みへと至った楽聖と、ヨーロッパ中のオペラハウスを沸かせたヒット・メーカー、そのイメージは対極にあるわけだけれど、「序曲」からこの2人を聴いてみると、そう遠くない距離感を感じる。そもそも、この2人の活躍した時期は、意外なほど重なる。1810年代、ベートーヴェン(1770-1827)が「ウィーンの巨匠」という地位を確立する頃、ロッシーニ(1792-1868)は20代にして大ブレイク!ウィーンの巨匠すら苦しめる存在に... そして、1827年、ベートーヴェンが逝くと、その2年後、ロッシーニも引退する。何だろう、この同調性... 偶然とはいえ、不思議な巡り合わせを感じてしまう。
さて、1810年代(の前後の作品も含むのだけれど... )を、序曲から見つめる... ということで、デイヴィッド・ジンマン率いる、チューリヒ・トーンハレ管弦楽団の演奏で、ベートーヴェンの序曲全集(ARTE NOVA/82876 57831 2)と、ロイ・グッドマンの指揮、イギリスのピリオド・オーケストラ、ハノーヴァー・バンドの演奏で、ロッシーニの序曲集(RCA RED SEAL/09026 68139 2)を聴く。


劇場人、ベートーヴェン... ジンマン+チューリヒ・トーンハレ管の序曲全集!

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ベートーヴェンの本業は、交響曲の作曲であり、ピアノを弾くことであり、劇場人ではない。オペラがひとつしかないことが、それを如実に物語っている。その唯一のオペラも、ロッシーニの軽やかに紡がれてゆくオペラを聴いてしまえば、何とも不器用で、手慣れたものとは言い難い。という、楽聖のステレオタイプはひとまず置いといて、改めてベートーヴェンの「序曲」を聴いてみると、また違った印象を受ける。そこには、劇場が孕む生々しい緊張感が立ち込めるかのようで、刺激的。オペラこそひとつしか作曲しなかったベートーヴェンではあるけれど、劇伴に関しては『エグモント』に代表されるように、すばらしい音楽を残しており。あるいは、芝居を見て、そこから強いインスピレーションを受けて作曲された「コリオラン」序曲といった作品もある。そういう点で、ベートーヴェンは、イタリア生まれの華麗なオペラよりも、よりストイックな芝居を指向していたと言えるのかもしれない。
そんなことを思わせる、ジンマン+チューリヒ・トーンハレ管の演奏!かつて、ベーレンライター版の交響曲全集で、クラシック・シーンを大いに揺さぶった彼らだけに、この序曲全集でも、「楽聖」のステレオタイプに捉われない、ありのままの音楽を繰り広げて、マイペース... それはもう、海千山千といった雰囲気で、いい調子で響かせる。が、細部にはチューリヒ・トーンハレ管のメンバーひとりひとりの器用さが聴き取れて、それが鮮やかに伊達に、いなせに鳴って、大いに魅了されてしまう!また、全集ということで、普段はあまり耳にすることの無い序曲も含まれているのだけれど、有名無名、関係なく、ひとつひとつの序曲を、満遍なく、彼ら流に読み解いて、『プロメテウスの創造物』序曲(disc.1, track.1)から、『献堂式』序曲(disc.2, track.5)まで、余裕綽々で魅惑的に仕上げて来る。そうして浮かび上がる、ベートーヴェンの音楽にもある蓮っ葉さ!それは、ロッシーニがヒットを連発した頃の、時代の臭いだろうか?その蓮っ葉さをエッセンスに、序曲の束の間、芝居の生々しさを見せてくれるかのよう。交響曲では見せない、短い序曲に籠められた、ベートーヴェンの人間臭さ、そこから発せられるドラマ性に、今さらながら目を見張り、またそこにロマン主義というものを強く意識させられる。いや、ベートーヴェンこそ「劇場人」であって、ロッシーニは「歌劇場人」と言うべきか?ジンマン+チューリヒ・トーンハレ管による序曲全集は、また違うベートーヴェン像を出現させて、驚かせてくれている。

Ludwig van Beethoven: Complete Overtures

ベートーヴェン : バレエ 『プロメテウスの創造物』 Op.43 序曲
ベートーヴェン : 劇音楽 『エグモント』 Op.84 序曲
ベートーヴェン : 序曲 「コリオラン」 Op.62
ベートーヴェン : 『レオノーレ』 序曲 第1番 Op.138
ベートーヴェン : 劇音楽 『アテネの廃墟』 Op.113 序曲
ベートーヴェン : 『レオノーレ』 序曲 第2番 Op.72a
ベートーヴェン : 序曲 「命名祝日」 Op.115
ベートーヴェン : 『レオノーレ』 序曲 第3番 Op.72a
ベートーヴェン : オペラ 『フィデリオ』 Op.72b 序曲
ベートーヴェン : 劇音楽 『シュテファン王』 序曲 Op.117
ベートーヴェン : 劇音楽 『献堂式』 Op.124 序曲

デイヴィッド・ジンマン/チューリヒ・トーンハレ管弦楽団

harmonia mundi/HMU 807553




単なるヒット・メーカーじゃない、ロッシーニ。グッドマン、ハノーヴァー・バンドの序曲集。

09026681392
1810年代、ロッシーニの彗星のような出現が、19世紀のオペラの新時代を強く印象付けるのだけれど... 一方で、その前の時代、18世紀、オペラを主導したナポリ楽派のオペラに触れる機会が増えて来ると、ロッシーニの位置付けというのは、これまでと少し違って来るような気がする。ロッシーニの流麗なオペラ・セリア、弾けるオペラ・ブッファというのは、ナポリ楽派の伝統を受け継ぐものであって... ロッシーニの出現、前夜を彩った、ナポリ楽派、最後の巨匠、パイジェッロ(1740-1816)のオペラなどを聴いてみると、そこには、すでにロッシーニの音が存在しているように感じられる。となると、ロッシーニは、19世紀における旧時代の作曲家であって、イタリア・オペラの新時代は、やはり、ヴェルディ(1813-1901)の登場を待たねばならないのかもしれない。そして、ヴェルディという存在こそ、イタリア・オペラにおけるロマン主義の始まりなのかもしれない...
って、ちょっと話しがズレてしまったので、軌道修正。で、グッドマン、ハノーヴァー・バンドによるロッシーニの序曲を聴くのだけれど、1812年、『絹のはしご』(track.1)に始まって、1827年、最後のオペラ、『ギヨーム・テル』(track.7)まで、定番の序曲を、年代順に、7曲、並べて... という風に、改めて年代順に聴いてみると、ロッシーニの成長、そして進化が感じられ、なかなか興味深い。また、それら、思い掛けなくシンフォニックでもあって... 交響曲が、かつてのオペラのシンフォニアから細胞分裂した記憶(というあたりが、旧時代を思わせるのか... )が蘇る?あるいは、ロマン派の交響曲に通じるような雰囲気も漂い、前時代と新時代が結ばれているようで、おもしろい。そんな過渡期的性格が浮かび上がるのも、ピリオド・アプローチならではの効果か。
モダンのオーケストラでは、軽く演奏されがちなロッシーニの序曲だけれど、ピリオド楽器の、万能でないあたりが、かえって、どっしりとしたロッシーニを展開し、モダン以上の聴き応えをもたらすからおもしろい。そうして、じっくりと奏で、ロッシーニの旨味をしっかりと引き出す、グッドマン。まず、過去からの遺産の重みを、きっちりと響かせつつ、後半になるにつれて、シンフォニアが、オペラの序曲へと精錬されてゆく過程を見せるようでもあり、その先に、ロマン主義の姿も浮かぶ。最後の『ギヨーム・テル』(track.7)の、ドラマティックかつ豊かな表情には、新たな時代の到来を感じずにはいられない。また、そうした展開そのものが、劇的であり、単なるヒット・メーカーでは無かったロッシーニの充実した音楽を見事に響かせている。

ROSSINI-OVERTURES ・ THE HANOVER BAND ・ ROY GOODMAN

ロッシーニ : オペラ 『絹のはしご』 序曲
ロッシーニ : オペラ 『アルジェのイタリア女』 序曲
ロッシーニ : オペラ 『セビリャの理髪師』 序曲
ロッシーニ : オペラ 『どろぼうかささぎ』 序曲
ロッシーニ : オペラ 『セミラーミデ』 序曲
ロッシーニ : オペラ 『コリントの包囲』 序曲
ロッシーニ : オペラ 『ギヨーム・テル』 序曲

ロイ・グッドマン/ハノーヴァー・バンド

RCA RED SEAL/09026 68139 2




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