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ロッシーニの挑戦と達観... [before 2005]

半世紀を目安に、順調に音楽史を下っております。
で、この年の瀬に、音楽史を復習うというのが、何だかちょっとセンチメンタルを誘うようで、"音楽"の歩みに、妙に愛おしいものを感じてしまう。普段、当たり前のように満ち溢れている音楽だけれど、時代を少し遡れば、けしてそんなことは無かったわけで、音楽はもっと特別なものであって... 幸か不幸か、そういう記憶は、今や、まったく忘れ去られている。けど、それもまた音楽史なのだと思う。そういう21世紀から、改めて振り返る音楽史... 日頃、何気なく触れている音楽が、如何にして我々の手元に至ったか... ということをつぶさに見つめ、改めて考えてみると、感慨深いものがあって、ふと、"音楽"への感謝のようなものが心に浮かぶ。
さて、感傷はここまでにし、1810年代から1860年代へ。この2つの年代を生きたロッシーニの、それぞれの時代の作品を取り上げる... ゴージャスに、チェチーリア・バルトリ(メッゾ・ソプラノ)を迎えての、リッカルド・シャイーの指揮、ミラノ・スカラ座による、ロッシーニ、1814年のオペラ、『イタリアのトルコ人』(DECCA/458 924-2)と、マーカス・クリードが率いた、RIAS室内合唱団による、1863年に作曲された、ロッシーニの小ミサ・ソレムニス(harmonia mundi FRANCE/HMC 901724)を聴く。


1814年、ミラノ・スカラ座、若きロッシーニの挑戦、『イタリアのトルコ人』。

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18歳で、ヴェネツィアのサン・モイゼ劇場からスカウトされ、まずはファルサ(1幕物の笑劇... )で注目を集めると、20歳で、ミラノ・スカラ座にデビュー。オペラ・ブッファ『試金石』(1812)で早速の成功を収めると、21歳にして、オペラ・セリア『タンクレーディ』で、ヴェネツィア、フェニーチェ劇場にデビュー(1813.2.6)し、大成功!その後、間髪置かずに、同じくヴェネツィア、サン・ベネディット劇場にて、オペラ・ブッファ『アルジェのイタリア女』を初演(1813.5.22)、さらなる大成功!その名は、一躍、ヨーロッパ中に知れ渡り... そして、1814年、ミラノ・スカラ座にて、『イタリアのトルコ人』を初演。が、評判は良いものではなかった。
今なら、続編モノは、成功の鍵にすらなりそうだけれど、『イタリアのトルコ人』は、『... イタリア女』の二番煎じと見られてしまったようで... 『... イタリア女』の裏返しとなるのが、『... トルコ人』、イスラム圏から見つめるヨーロッパ像というのは、新鮮なものがあったはず。ポスト・コロニアリズムとまでは行かなくとも、若きロッシーニのチャレンジングな姿勢を感じられるストーリー... が、本当にチャレンジングだったのは、その音楽!ロッシーニのオペラというのは、ナポリ楽派の延長線上にあるものだと感じるのだけれど、『... トルコ人』では、ナポリ楽派の流麗さ、キャッチーさはそのままに、それまでのナンバー・オペラ的な展開から踏み出し、たっぷりと聴かせるアリアや、魅惑的なカヴァティーナはほぼ無く、とにかくアンサンブルで聴かせる!キャラクターの全てが有機的に機能して、ひとつの物語を紡ぎ出す様子は、ヴェルディ最後のオペラ、『ファルスタッフ』(1893)を予兆するようでもあり、ロッシーニして、ロッシーニらしからぬ雰囲気を放つのか... だからこそ、当時の評判は奮わなかったのかもしれない。2年後の『セヴィーリャの理髪師』(1816)、3年後の『チェネレントラ』(1817)よりも、先を行く展開は、今を以ってしても刺激的で、改めて聴き直すと、ロッシーニの隠れた傑作にも思えて来る。
という、『... トルコ人』を聴かせてくれた、シャイー指揮、ミラノ・スカラ座。およそ200年前の先人たちが初演した作品への自負だろうか、意気込みを感じる演奏で... そのあたりが、幾分、この作品の持つ、独特の有機的な流れを整理してしまうような帰来も感じられるのだけれど、それでも、パリっとした、ロッシーニならではの弾けるような音楽を繰り広げていて、さすが!そして、ゴージャスにして、見事に実力派を取り揃えたキャスティング!ペルトゥージ(バス)、バルトリ(メッゾ・ソプラノ)、バルガス(テノール)まで... だからこそ、アンサンブルがこの上ないものに仕上がり、このオペラを魅惑的なものとしている!

ROSSINI: IL TURCO IN ITALIA
BARTOLI/PERTUSI/LA SCALA/CHAILLY


ロッシーニ : オペラ 『イタリアのトルコ人』

セリム : ミケーレ・ペルトゥージ(バス)
フィオリッラ : チェチーリア・バルトリ(メッゾ・ソプラノ)
ジェローニオ : アレッサンドロ・コルベッリ(テノール)
ナルチーゾ : ラモン・バルガス(テノール)
詩人 : ロベルト・デ・カンディア(バリトン)
ザイダ : ラウラ・ポルヴェレッリ(メッゾ・ソプラノ)
アルバザール : フランチェスコ・ピッコリ(テノール)
ミラノ・スカラ座合唱団

リッカルド・シャイー/ミラノ・スカラ座管弦楽団

DECCA/458 924-2




1863年、パリ、ピレ・ヴィル伯爵邸、ロッシーニ、達観の小ミサ・ソレムニス。

HMC901724
37歳で、ロッシーニは第一線から引退した。まったく驚くべき若さではあるのだけれど、10代の末から活躍していたことを考えると、作曲活動20年は、もう十分に才能を出し尽くしたと言えるのかもしれない。何より、ナポリ楽派の伝統はもはや遠い遠い昔となり、ヨーロッパ中が「ロッシーニ」だった頃も過ぎ、ロッシーニが時代に合わせる番がやって来る... となれば、引退は至極まっとうな判断だったのかもしれない。が、よくよく見てみると、必ずしもそうではなかったことを知る。パリに拠点を移していたロッシーニは、『ギヨーム・テル』(1829)で、鮮やかにフランス流のグランド・オペラを作曲し、ロマン主義すら滲ませて、見事に新境地を切り拓く。そして、この『ギヨーム・テル』を含む、5つのオペラを作曲するという契約を、フランス国王(『ランスへの旅』で即位が祝われた、シャルル10世... )と結んでいたとのこと。『ギヨーム・テル』の次作には、すでに『ファウスト』(聴いてみたかった!)が決まっていたらしい... が、7月革命(1830)で、その国王がイギリスに亡命、全ては流れてしまう。結果的に、『ギヨーム・テル』が最後のオペラとなり、パリで、グルメを極めた引退生活を送ることになった。
それから、34年後、ロッシーニは、友人の銀行家、ピレ・ヴィル伯爵邸で、小ミサ・ソレムニスを初演(1864)。伝説の巨匠の新作ということで、マイアベーアや、オーベール、トマら、当時の名立たる作曲家も訪れ、プライヴェートなコンサートではあったものの、盛況だったらしい... その後、作曲家自身によりオーケストレーションがなされ、1869年、パリのイタリア座で演奏された(ロッシーニは、その3ヶ月前に亡くなっている... )。で、ここで聴くのは、オリジナル版、2台のピアノとハルモニウムの伴奏によるもの... いや、このミサの繊細さは、間違いなくオリジナル版でこそ活きる!ロッシーニならではの流麗なメロディと、フランスのメローさが絶妙に綾なして、ふんわりとした天国的な気分を醸しつつ、ベルカントで、素直な音楽を響かせる。そのシンプルさは、清々しさを生み、隅々までクリアであり、そこから発せられる輝きの美しさは、若きロッシーニのチャレンジングだった頃とは違う、達観を感じさせつつ、まったく瑞々しさを失っていない。時代は疾うに"ヴェルディの時代"だったが、19世紀の泥臭さとは違う、18世紀の記憶を留めるロッシーニの音楽は、突き抜けた存在感を見せる。
そんな音楽を、本当に美しく歌い上げた、クリード指揮のRIAS室内合唱団!ドイツの室内合唱の高機能性を最大限に活かし、圧倒的な透明感を響かせながらも、フランスの教会音楽が持つふんわりとした雰囲気も醸して、ちょっと夢見心地なくらい... そうした雰囲気をより際立たせるのが、1858年製と1869年製のプレイエルのピアノ!ピリオドのピアノがもたらす温かなトーンは、ハルモニウムのほのぼのとした表情とも相俟って、全体をやさしく包むよう。クリスタルのように澄んでいて、温かという、何だか今の季節にぴったり。クリスマス用の音楽ではないけれど、そんな気分を味あわせてくれる。

Rossini ・ Petite Messe Solennelle ・ RIAS-Kammerchor

ロッシーニ : 小ミサ・ソレムニス

クラッシミラ・ストヤノヴァ(ソプラノ)
ビルギット・レンメルト(アルト)
スティーヴ・ダヴィスリム(テノール)
ハンノ・ミュラー・ブラッハマン(バス)
マーカス・クリード/RIAS室内合唱団
フィリップ・メイヤーズ(ピアノ : 1869年製、プレイエル)
フィリップ・モル(ピアノ : 1858年製、プレイエル)
諸岡涼子(ハルモニウム : 1869年製、ドゥバン)

harmonia mundi FRANCE/HMC 901724




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