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1763年、パリ。ラモー、幻の最後のオペラ、『レ・ボレアド』。 [before 2005]

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さて、順調に遡っております。そして、1763年、パリ...
ところで、音楽史を50年ごとに、その断面から見つめてみて、感じたのだけれど。って、例の如く、ほとんど思い付きなのだけれど。どうも、XX13年、XX63年という年は、転換点?フォーレのオペラには色濃くワーグナーの影響が残る一方で、ストラヴィンスキーはそうした過去を破壊する『春の祭典』というエポック・メーキングを生み出した1913年... ビゼーがブレイクを果たした年の、ベルリオーズのグランド・オペラには、どこか前世紀のグルックの匂いが漂う1863年... そして、ベートーヴェンの7番の交響曲、ロッシーニの『タンクレーディ』が初演された1813年は、まさに過渡期... 古典主義からロマン主義へ、新たな時代を迎えようとする葛藤のようなものが、作品にパワーを与えていて、新旧がスパークする感覚が刺激的!そして、1763年は、どんな転換点?
今から250年前、モーツァルト少年が初めてパリへと訪れた年、フランス・バロックの巨匠、ラモーの死の前年、パリのオペラ座では、ラモーの最後となるオペラのリハーサルが行われていた。そのオペラ... ジョン・エリオット・ガーディナー率いる、イングリッシュ・バロック・ソロイスツの演奏、モンテヴェルディ合唱団らによる、ラモーのオペラ『レ・ボレアド』(ERATO/2292-45572-2)を聴く。

ロッシーニが国際的に大きく羽ばたく、第一歩、『タンクレーディ』から、50年遡ると、バロックの巨匠、ラモーの最後のオペラに辿り着く... この距離感が、とても興味深い。時間軸において、ロッシーニ(1792-1868)とラモー(1683-1764)は意外と近い。そして、このふたりの間に、すっぽりと古典派の時代が収まってしまうというあたりが、また興味深い。バロックは、一世紀半という長い時間を掛けて、発展、熟成されたことを考えると、古典派の進化の速さと、繁栄の短さというものが際立つ。で、ここで取り上げるのは、まさにバロックの最期の瞬間とも言えるオペラ... 大バッハが逝って13年が経ち、すでに古典派の準備が様々に成されていた頃、1763年、春、パリ。79歳のラモーは、北風の神の末裔を巡る物語、『レ・ボレアド』のリハーサルをパリのオペラ座で行っていた。が、初演はキャンセルとなってしまい、さらに4月には当時のオペラ座(サル・デュ・パレ・ロワイアル)が火災に遭い、翌年にはラモーが亡くなり、作品はそのまま忘れ去られてしまう。そんな作品を蘇らせたのが、ここで聴くガーディナー... 初演がキャンセルとなって200年目、1963年、オペラ座ではなかったが、フランス放送協会によるラジオによって、とうとう初演が果たされる(ここで取り上げる全曲盤の録音は、1982年... )。
ガーディナーならではの、洗練された響きが、ラモーの音楽をストイックに捉えて、そのベースにあるであろう、リュリ(1632-87)のオペラを思わせるような感覚を浮かび上がらせる。それは、ラモーのオペラ・バレなどで聴く、ロココの優雅でリッチな気分とは一味違い、よりバロックを意識させるのか。10年後にはグルック(1714-87)がパリに進出(1773)し、疾風怒濤のオペラでパリを熱狂させるなど想像が付かないくらいに、爛熟期以前の、下手に飾ることのない清ら気なドラマを紡ぎ出し、まさにリュリの時代の密度へと還るような... 一方で、3幕から4幕へとつながる、北風の神、ボレアスが荒れ狂う嵐のシーン(disc.2, track.19, 20)では、グルックの疾風怒濤を思わせる激しさを見せ、グルックがラモーの後継者として認識されていたことに納得させられる。リュリの鋭いドラマテシズムは、ラモーを経て、グルックの迫真へと進化したと言えるのかもしれない。で、そんな音楽に乗って描かれる物語がまた印象的。バクトリアの女王、アルフィーズは、北風の神、ボレアスが定めた許嫁を拒み、真に愛する人と添い遂げるために、突き進む。この力強いヒロイン像は、『フィデリオ』のレオノーラを思い起こさせ、ロマン主義的な一途さを感じ。そう言う点で、古典派の時代を飛び越して、先駆的であるのかもしれない。
よりバロックを意識しつつ、その中にロマン主義を感じる... ガーディナーが繰り広げる『レ・ボレアド』の音楽は、不思議な温度感を持っている。オーセンティックなイングリッシュ・バロック・ソロイスツの演奏が、時に冷たく感じるところもあるのだけれど、冷徹にスコアを洗って捉えるラモーの音楽の繊細な美しさは、肉厚なヘンデルや、華麗に飾られたヴィヴァルディのオペラにはない、清廉な真摯さを力強く響かせていて、フランス・バロックの真髄を徹底して追及して来るよう。さらに、アルフィーズを歌うスミス(ソプラノ)、その恋人、アバリスを歌うラングリッジ(テノール)らの、丁寧かつ、クリアな歌声が、『レ・ボレアド』の舞台である、ヘレニズム文化圏のアルカイックさを見事に醸していて。そこから発せられる端正さは、枠組みこそバロックではあっても、古典主義のクールな精神そのものにも思える。そして、それらが相俟って生まれる、次の次の時代の兆し... 音楽の芯に、仄かな熱っぽさを感じ、"最後のバロック"にそっと佇む、過渡期の葛藤が、ロマン主義の種火にも思える。この全曲盤が録音された頃、まだ若かったガーディナーのストイックな指向は、ラモーを特徴付けるロココのフワフワとした浮遊感を削ぎ落す。改めてそのあたりに触れると、それでいいのか?となるのだけれど、削ぎ落されて現れる、ラモーの精悍さに、ゾクっとさせられて、思い掛けなく、魅了されてしまう。

RAMEAU
Les Boréades
JOHN ELIOT GARDINER

ラモー : オペラ 『レ・ボレアド』

アルフィーズ : ジェニファー・スミス(ソプラノ)
セミル : アンヌ・マリ・ロッド(ソプラノ)
ポリムニ : エドヴィージュ・ブルディ(ソプラノ)
ニンフ : マルティーヌ・マルシュ(ソプラノ)
アバリス : フィリップ・ラングリッジ(テノール)
カリシス : ジョン・エイラ(テノール)
ボレー : ジャン・フィリップ・ラフォン(バス)
ボリレー : ジル・カシュマイユ(バリトン)
アダマス : フランソワ・ル・ルー(バリトン)
アポロン : スティーヴン・バーコー(バリトン)
ラムール : エリザベス・プライデイ(ソプラノ)
モンテヴェルディ合唱団

ジョン・エリオット・ガーディナー/イングリッシュ・バロック・ソロイスツ


ERATO/2292-45572-2




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