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ロマン主義、最終章... フランツ・シュミット... [2005]

そろそろ、ロマン主義にも疲れて来る...
いや、それほどまでに、「ロマン主義」として、その時代の作品と向き合ったのは始めてかも。ドイツ―オーストリアの、クラシックの背骨とも言えるラインを見つめたのも始めてかも。それらは、まさにクラシックそのものだった!そして、疲れながらも、ダメ押し的に、まだ先を行く... で、興味深いことに気付く... あれほどクラシックの中心であったはずのムーヴメントが、盛期を過ぎると、妙に、マニアックな袋小路へと入り込む。ロマン主義はヨーロッパ全体を覆い、もはや、ドイツ―オーストリアというラインは求心力を失い始め、ローカルな位置へと落ちてゆくのか?そんなローカル性を漂わせる、ウィーン世紀末を彩った音楽などは、特に独特で。やがて20世紀となり、近代音楽に取り囲まれながらも、不思議な存在感を示し、命脈を保った末期ロマン主義。改めてその位置を見つめると、思い掛けなく興味深い。で、そんな、末期ロマン主義、フランツ・シュミットを聴く。
ファビオ・ルイジと、彼が率いたMDR交響楽団による、フランツ・シュミットの4つの交響曲。2005年にリリースされた、1番(Querstand/VKJK 0503)、2番(Querstand/VKJK 0504)、3番(Querstand/VKJK 0505)、4番(Querstand/VKJK 0506)を、一気に聴き直す。


1899年、1番。若きロマンティスト、フランツ!

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フランツ・シュミット(1874-1939)。
スロヴァキアの首都、ブラチスラヴァ(当時は、オーストリア・ハンガリー帝国のハンガリー領、ポジョニ)にて、ドイツ系の父とハンガリー人の母の間に生まれる。ちなみに、ラフマニノフ(1873-1943)がひとつ年上、シェーンベルク(1874-1951)とは同い年、ひとつ年下のラヴェル(1875-1937)とは同学年にあたる。ロマン主義と近代音楽がせめぎ合う、そんな世代のフランツは、母から音楽の手ほどきを受け、ピアノで早くに才能を見せ、一家はウィーンへと移る(1888)。が、音楽学校へ入る経済的余裕はなく、フランツは、バレエ学校のバレエ・ピアニストのアルバイトなどをしていたとのこと。その後、ウィーン音楽院へと入学(1890)を果たし、作曲、チェロを学び、ブルックナー(1824-96)にも一時、師事。卒業(1896)すると、ウィーン帝室-王室宮廷歌劇場(現、ウィーン国立歌劇場)のチェリストの仕事を得て、マーラー(1860-1911)の下で演奏(フランツがオーケストラに加わった翌年から、1907年まで、マーラーは芸術監督として活躍... )。作曲家としては、最初の交響曲を、ウィーン楽友協会で、自身の指揮で初演。1914年には、代表作のひとつであるオペラ『ノートル・ダム』を、宮廷歌劇場で初演。着実にキャリアを積み、やがて、ウィーン音楽院の教授となり(1914)、作曲の傍ら、教育者としても働き、院長も務めた(1927-31)。というのが、フランツ・シュミットの略歴。世紀末から新世紀へ、爛熟のウィーンの只中に在って、その経歴の豪華さに唸ってしまうのだけれど、クラシックにおけるフランツ・シュミットの存在は、薄い...
遅れて来たロマンティストの、歴史によるペナルティだろうか?しかし、歴史の箍が外れた21世紀、そういう発展史観的歴史観を取っ払ってクラシックを見渡せば、また違ったイメージが浮かび上がる。そうして、ここから一気に、20世紀に初演された、ロマンティックなフランツ・シュミットの4つの交響曲を聴いてみるのだけれど。その1曲目、1番の交響曲。チェリスト、フランツ、25歳の時に完成した最初の交響曲は、何となくハンス・ロットの交響曲を思い出させる。思いっきりメローで、ロマンティックで、19世紀の音楽の様々な記憶を詰め込んで、たゆたうようなウィーン情緒も漂わせて、一筋縄ではいかない、独特のごった煮感。これもまた、若さなればこそ。そして、この若さこそ、魅力。取り澄ましていない、音楽への欲求は、ある意味、よりシンフォニックな幅を見せるのか?マーラーの4番の交響曲(1900)の前年に完成した交響曲だと考えると、またおもしろい。

FRANZ SCHMIDT | SINFONIE NR. 1 E-DUR

フランツ・シュミット : 交響曲 第1番 ホ長調

ファビオ・ルイジ/MDR交響楽団

Querstand/VKJK 0503




1913年、2番。オーケストラ・ピットから夢見る、フランツ。

VKJK0504
オーケストラ・ピットに入って、様々なオペラを演奏しただろう、フランツ・シュミット... 宮廷歌劇場を去る前年に完成したのが、2番の交響曲(1913)。だからだろうか、何かオペラの幕が上がるような、そんな雰囲気を見せるその始まり、1楽章。交響曲とは思えない、美しい扉絵を描くようなその冒頭は、特に印象的... そして、冒頭のみならず、交響曲の仰々しさよりも、20世紀初頭のゴージャスなサウンドに彩られたオペラをいろいろイメージさせるのか。特に、1911年にドレスデンで初演され、大ヒットとなった、リヒャルト・シュトラウスの『ばらの騎士』!あのキラキラとした感覚と、むせ返るようなスウィートさ、ただならずドリーミンなサウンド、それらが束となって、めくるめくドラマを繰り出すような、交響曲にして、独特の聴き応えをもたらしてくれる。
1番からは、明らかに成長の色を見せ、オーケストラ全体を巧みに鳴らし、こなれた音楽を織り成してみせるフランツ・シュミット。しかし、それは、交響曲というよりは、歌なしの楽劇?いや、そこに、「交響曲」の限界を感じたり... パリでは『春の祭典』がセンセーションを巻き起こした1913年、その年末、この2番は、1番と同じ、ウィーン楽友協会で初演された。交響曲を頂点とする19世紀的な音楽の構図は、崩れ始めていたのだろう。ふと、当時を代表するシンフォニスト、マーラーの交響曲を思い出すと... マーラーは交響曲と銘打ちながら、歌に逃げるようなところがあったように思うし。そうした中で、フランツ・シュミットは、オーケストラ・ピットに入っていた経験から、独特な境地を切り拓いていたように感じる。一方で、後の教授の風格、腕も見せる。
2楽章、アレグレット・コン・ヴァリアツィオーニ(track.2)は、1楽章のオペラを思わせる雰囲気とは趣きを変え、オーケストラによる大変奏!変奏だけあって、様々な表情を見せ、まるでカレイドスコープ。アレグレットの緩やかな中で、様々に変奏するテーマは魅惑的で、この楽章だけを切り取っても絵になる仕上がり。終楽章(track.3)は、随分と古風なフーガで始まって、びっくりさせられるものの、ハンガリーのメロディを織り込んで、さらなるカレイドスコープを見せてくれるようで、圧巻。フィナーレに向けての盛り上がりが凄くて、その巨大な響きが、末期ロマン主義の気分をこれ以上なく掻き立て、たまらない...

FRANZ SCHMIDT | SINFONIE NR. 2 ES-DUR

フランツ・シュミット : 交響曲 第2番 変ホ長調

ファビオ・ルイジ/MDR交響楽団

Querstand/VKJK 0504




1928年、3番。時代を遡って、フランツ、

VKJK0505
ひとりの作曲家の交響曲を一気に聴いてみる... なんてことは、そうできるものではないけれど、4曲くらいならば、何とか... で、一気に聴けるからこそ、そこに現れるひとりの作曲家の成長の道程が、実に興味深く... フランツ・シュミットの4つの交響曲、順を追って聴いてみれば、まさにその成長に触れ、何だか愛おしさすら感じたり。で、番号を経て現れる成長に、おおっ!?となってしまう。そして、3番の交響曲(1928)なのだけれど... ヤリ過ぎなくらいに盛り上がった2番のフィナーレの後で聴く、3番、1楽章の冒頭は、その洗練の度合いに息を呑む。そこには、良くも悪くも煮詰まったロマン主義を、少し時代を遡って焼き直すような感覚があって。前へ前へとつんのめることのない引いた視点が、大人のフランツ・シュミットを感じさせる。
「交響曲」も行き着くところまで行ってしまえば、遡ってみる?そんな切り返しが、絶妙で、心地良い保守性を見せる3番。弦楽をベースに、瑞々しいサウンドを響かせる1楽章は、肥大化したロマン主義を整理して、もう一度、清らかな流れを取り戻していて。また、その清冽さには、シベリウス(1865-1957)のような北欧の気分すら感じられて、新鮮!そこに、マーラーを思わせる、大河のような滔々とした流れが現れ、ここまでとは一味違う落ち着きが、フランツ・シュミット芸術の熟成を知らしめる。続く、2楽章(track.2)の、仄暗くも夢見るようなアダージョは、よりマーラーを思わせ、魅惑的。3楽章(track.3)では、スケルツォと、19世紀流、交響曲の定型をしっかりと守り、まったく以って「交響曲」らしい交響曲を展開。終楽章(track.4)では、ブラームス調に荘重に始まり、「交響曲」としての威厳をきっちりと聴かせ、その堂に入った様が、かえって気持ちいい!
すでにシェーンベルクは12音技法を発明しており、近代音楽はますます隆盛を極める中での、毅然とロマン主義を貫くフランツ・シュミット。その純度を俄然上げて来た3番。なのだけれど、この3番をおもしろくするスパイス?というのか、保守性の中にも、ぼんやりと同時代性が浮かび上がり、ルーセル(1869-1937)や、オネゲル(1892-1955)のような、派手ではないけれど、一味違う色のパレットを持った色彩感も印象に残る。またそれによって、ロマン主義の薫りを引き立てもし。そのバランス感覚に、フランツ・シュミットの巧さ、センスを感じずにはいられない。新ウィーン楽派の尖がったのとも、甘ったるいウィーンの匂いとも一味違う、キリっと空気を引き締めるそのテイストは、思い掛けなくクール。

FRANZ SCHMIDT | SINFONIE NR. 3 A-DUR

フランツ・シュミット : 交響曲 第3番 イ長調

ファビオ・ルイジ/MDR交響楽団

Querstand/VKJK 0505




1933年、4番。娘の死に捧げる、フランツ...

VKJK0506
いきなり、トランペットの吹奏で始まる、4番の交響曲。その定まらないメロディの、何とも寂しげなあたりが、冒頭から強いインパクトを残す第1部。やがて、ティンパニが単調に刻むリズムに乗って、霧が湧くように弦楽が荘重な調べを静かに綴り、まるで葬送の音楽... というのも、この4番を作曲し始めた1932年、フランツの一人娘、結婚、間もないエンマが、出産で命を落とす。そして、この死を追悼する交響曲として、翌年、完成する。いや、こういう人生を交響曲に落とし込む形は、まさにマーラーを思わせて、そうして生まれるサウンドも、晩年のマーラーを思わせて、深い。そして、その深さは、ロマン主義の底を突き抜けて、近代音楽がじわじわと湧き上がるような、保守的な3番とはまた違うトーンに包まれる。それは、ツェムリンスキー(1871-1942)を思わせるような、ロマンティックではあるけれど、調性に挑戦するような、危うげな雰囲気を伴って、再び新たな時代に挑むフランツ・シュミットの姿を窺わせるのか。とても興味深い音楽を織り成す。
まず、楽章の壁は取り払われ、曲全体が有機的につながり(切れ目こそないものの、曲は4つの部分からなっている... )、よりスケールの大きな音楽を生み出すよう。それは、交響曲というより交響詩?第1部、冒頭で聴いたトランペットのメロディが、第4部(track.4)で戻って来るあたりは、何か、フランク(1822-90)の循環形式から得られるような感覚があって、独特の感動がふわーっと匂い立ち、何とも言えない心地に。また、そういう感覚をより強めるのが、より収斂されたフランツ・シュミットのサウンド... 直接的でないにしろ、フランス印象主義のパレットを思わせるような色彩感も見て取れて、けして色が混濁しないあたりは、ケクラン(1867-1950)を思わせ、フランツ・シュミットの音を選ぶ鋭さに感心させられる。3番を経て、良い意味でそれまでの価値観を捨てられているのか、より捉われない音楽を繰り広げる4番。もはや、ロマン主義とも言い切れない、孤高の境地へと至り、1番、2番、3番と、その道程を見つめて来たからこそ、より感慨も滲む。
で、忘れてならない、ルイジ、MDR響!有機的な音楽を紡ぎ出すことに長けたルイジは、末期ロマン主義にはうってつけ... MDR響の捌けたサウンドも、末期ロマン主義の濃いあたりには、ちょうどいい塩梅でもあって... 相当に濃いはずのフランツ・シュミットの4つの交響曲も、一気に聴けてしまう。その4つの交響曲に、晩年の代表作、オラトリオ『7つの封印の書』(Querstand/VKJK 0411)、珍しい左手のためのピアノ協奏曲集(Querstand/VKJK 0611)と、6タイトルものフランツ・シュミット作品をリリースした彼らだけれど、これほどまでにこの作曲家と向き合った指揮者、オーケストラが、他にあっただろうか?何だか、凄い思い入れのように思うのだけれど、下手に思いの丈をぶつけるのではない、シンプルに良い音楽をすくい上げようとする姿勢が、けしてメジャーとは言えない作曲家に、最良のスポットを当てたことは間違いない。そんな演奏に、改めて触れてみて、フランツ・シュミットの魅力を噛み締める4タイトルだった。

FRANZ SCHMIDT | SINFONIE NR. 4

フランツ・シュミット : 交響曲 第4番

ファビオ・ルイジ/MDR交響楽団

Querstand/VKJK 0506




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