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百五十年目のドビュッシー。 [2012]

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何だか、永田町が騒々しいようですね。
騒々しいようだけれど、その騒音、我々の耳にはあまり届かない。オリンピックの声援にすっかり掻き消されてしまって。永田町の先生方も、「セイキョク」なんて面倒くさいこと言ってないで、オリンピック、見てればいいのに... どうせ、大した政治なんてできないんだから。それこそ、誰かを困らせるくらいで精一杯。一本が決められない煮え切らない展開、主審に副審、審判員、一本筋の通ったところを示せず、あっちに行ったりこっちに行ったり... あの柔道を見ている感じだよ。それで、国民の支持を集める?我々はストレスしか感じていないよ。目を覚ませ!なんて、もはや、贅沢は言いません。寝てろ... オリンピックでも見てろ...
と、くさってばかりいても始まらない。ので、綺麗な音楽を聴く!鬼才、アレクセイ・リュビモフによる、ドビュッシーのメモリアルに相応しい、ピリオドのピアノ(1913年製、スタインウェイと、1925年製、ベヒシュタイン... というのは、限りなくモダンであって、ベヒシュタインは、ドビュッシーの死後の製作ではあるのだけれど... )で聴く、前奏曲集(ECM NEW SERIES/476 4735)。

この暑い夏の、乾いた身体に、スーっと沁み込んでゆくようなドビュッシー... 冷たい石清水のような、清らかで美しいドビュッシー... そんな、これまでのイメージにないようなドビュッシーに、驚いてしまう。驚きつつ、その渇きを癒す瑞々しい一音、一音に、たまらなく心地良さを感じて... 鬼才、リュビモフの、印象主義の伊達者、ドビュッシーにして、あまりに瑞々しい音楽作りに、意表を突かれる。繊細で、密やかで、それでいてキラキラと輝くような... 何より、その透明感!ドビュッシーを、こうも透明にしてしまっていいのだろうか?と、少し怖くなるくらいだけれど、透明にして見えてくるものがあって。また、良くも悪くもあった「ドビュッシー」という雰囲気を拭い去って、より豊かなイマジネーションが広がって。まったく新しいドビュッシーを見せられるようで、ただならず新鮮な体験をすることに。そして、この新鮮さを生み出す鍵となったのが、2台のヴィンテージのピアノ。前奏曲集、第2巻が完成した年、1913年製、スタインウェイと、ドビッュシーの死後、7年目、1925年製、ベヒシュタイン。
ロシアのピリオド界を牽引するリュビモフだけに、こだわってのチョイス。だけれど、ピリオド・アプローチというのとは、ちょっと違うのか?ドビュッシーが弾いていたであろうピアノよりもほんの少し後のピアノとなるわけで... 何より、モダンのピアノとの差があまりない... ピリオドのピアノだと思って聴いてみると、目に見える個性のようなものは、もうないのかもしれない。そういう点で、少しガッカリはしたのだけれど、リュビモフのチョイスは、ドビュッシーを如何にして響かせるかという点で、徹底したこだわりを感じさせる。1925年製、ベヒシュタインによる第1巻(disc.1, track.1-12)、1913年製、スタインウェイによる第2巻(disc.2, track.2-13)、この弾き分けが、そこはかとなしにトーンを変えてきて、前半、後半と、絶妙なアクセントに... もうモダンのピアノと言っていいだろうベヒシュタインのクリアな響きは、聴き慣れたピアノに比べると、響きが少しドライで、そのドライさが、第1巻のファンタジックな世界を、さらさらとしたナチュラルな流れの中に捉え、一音、一音の美しさというものを丁寧にすくい上げる。一方、わずかにアンティークな色を残すスタインウェイの、モダンのピアノにはない風合が、よりモダンな感覚を持つ第2巻から、豊かな薫りを引き立たせて、第1巻とは違う、雰囲気のある音楽を展開してみせる。
で、さらにおもしろいのが、ズーエフが加わっての、スタインウェイ、ベヒシュタインの2台で弾く、夜想曲(disc.1, track.13-15)と、牧神の午後への前奏曲(disc.2, track.1)。同じ楽器ではあっても、わずかな差異が、作品に立体感を持たせてしまう?まるで、3Dを生み出す2つの像のブレのような... どちらもオリジナルはオーケストラ作品、それが2台のピアノに置き換わって、印象主義ならではの色彩的なサウンドはタイトに整理され、音楽がより掴み易くなって、さらに、不思議な立体感を感じさせ、単に2台のピアノというだけでは味わえない魅力が、繰り広げられるおもしろさ。特に、牧神の午後!オーケストラでは絶対に味わえない訥々とした音の連なりが織り成す、独特の艶やかさ。いや、惚れ直すくらいにそれは魅惑的で、何て美しいのだろう...
そんなドビュッシーを聴かせるリュビモフ。もちろん、こだわったピアノ選びだけではなく、そのピアノを活かし切るタッチもすばらしく。とにかく徹底してクリアであり、「ドビュッシー」という強いイメージに作品を埋没させない強い姿勢が印象的で、時に、雄弁に音楽を鳴らし、アグレッシヴさも。2枚組、前奏曲集、全曲という長丁場を、巧みに運ぶ器用さも印象に残る。また、1枚目の最後と、2枚目の始まりに持ってきた2台のピアノによる作品も絶妙で。リュビモフの教え子でもあるズーエフともしっかりと息を合わせ、デュオではまた一味違った魅力を見せる。しかし、ドビュッシーのメモリアルに相応しい、新鮮なドビュッシーだ。

CLAUDE DEBUSSY PRÉLUDES
ALEXEI LUBIMOV


ドビュッシー : 前奏曲集 第1巻 *
ドビュッシー : 夜想曲 〔ラヴェルによる2台ピアノ版〕 **

ドビュッシー : 牧神の午後への前奏曲 〔ドビュッシーによる2台ピアノ版〕 **
ドビュッシー : 前奏曲集 第2巻 *

アレクセイ・リュビモフ(ピアノ : 1925年製、ベヒシュタイン */1913年製、スタインウェイ *)
アレクセイ・ズーエフ(ピアノ : 1925年製、ベヒシュタイン */1913年製、スタインウェイ *)

ECM NEW SERIES/476 4735




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