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ロシアへ、愛をこめて... 聴き直す。 [2007]

さて、2007年を改めて聴き直す... ということを始めて、つくづく思う。CDは寝かすといい...
初めてプレイヤーに掛けた時と、どういうわけか印象が異なる。そのギャップに、やたら新鮮な思いがして、新譜を聴くより刺激的?とすら感じてしまう今日この頃。4年前後という、たっぷりと取った時間が良かったのか?ワインと同じで、寝かせれば寝かせるほどに... なんて... もちろんCDに物理的な変化などあり得ず(しいていうならば、劣化のはずだけれど... )。この作用は一体、何なのだろう?
ということで、2007年のリリース。ブラームスのピアノ付き交響曲を聴いたポストリュードとして... プラメナ・マンゴーヴァのピアノを中心に、若手演奏家たちによる演奏で聴く、ショスタコーヴィチの2番のピアノ三重奏曲(FUGA LIBERA/FUG 525)と、ヴァルター・ヴェラー率いる、ベルギー国立管弦楽団による、グラズノフの5番の交響曲(FUGA LIBERA/FUG 521)。ロシア/ソヴィエトの音楽、2タイトルを聴き直す。


ロシアン・クライム・サスペンス?ショスタコーヴィチ。

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前回、取り上げた、ブラームスの1番のピアノ協奏曲(FUGA LIBERA/FUG 573)を楽しませてくれたばかりだが、そのプラメナ・マンゴーヴァという存在に注目する切っ掛けを与えてくれた1枚、ショスタコーヴィチの2番のピアノ三重奏曲(track.1-4)。ショスタコーヴィチが繰り出す丁々発止のスリリングな音楽を、ピアノから大いに盛り上げて、そのヴィヴィットなサウンドに驚かされ、惹き込まれ、マンゴーヴァという新たな逸材に、すっかり魅了されてしまった記憶が残っているのだけれど... 改めて聴き直して感じるのは、音楽のおもしろさ!
スターリン・ゴシック(この様式名自体が、何やらクール!)のソヴィエト連邦外務省本館ビルを後ろに、ピカピカのソヴィエトの国産車、ヴォルガが乗り付け... が、そこに、意味深な銃弾の跡... というジャケットからして魅力的なのだが。何だか、米ソ冷戦下を舞台に繰り広げられるスパイ映画のポスターのようでもあり... いや、そのままのテイストだったりする2番のピアノ三重奏曲。全体にノワール感漂いつつ、アクション(を思わせる... )あり、絶体絶命あり、最後は、グロテスクにもユーモアが滲む意外な展開が待っていて... と、脚本が書けそうなくらい、ドラマ性を帯びる音楽。それは、映画音楽のようでもあり、そうしたヴィヴィットな性質が、実に魅力的。
そのあたりをより際立たせるのが、若手の演奏家たち... マンゴーヴァのピアノはもちろん、ナターリャ・プリシェペンコのヴァイオリン、セバスティアン・クリンガーのチェロも鮮烈で。ソヴィエトを生々しく経験していないであろう世代だからこその、達観したような場所から捉える鮮烈さ!苦い歴史を断ち切って奏でられ、露わとなる、ショスタコーヴィチの音楽、そのもののおもしろさというのか... そのインパクトは大きかった。
そして、ピアノ三重奏曲の後、そのピアノ・トリオたちの伴奏、タチヤナ・メルニチェンコ(ソプラノ)が歌う、アレクサンドル・ブロークの詩による7つの歌曲(track.5-11)では、一転、ミステリアス。で、ちょっとシュールな響きが印象的。ピアノ・トリオでの伴奏は、最後、7曲目、音楽(track.11)だけで、残りは様々な組合せで伴奏されるのだけれど、ヴァイオリンだけでの2曲目、チェロだけでの3曲目は、かなりチャレンジングであり、なおかつソプラノとの相性は、何とも不安定?いや、その居心地の悪さのようなものが、味になっているからこそ、ショスタコーヴィチ芸術なわけだけれど。2番のピアノ三重奏曲と並べると、その異質さが強調され、またおもしろい。

Shostakovich ― Trio Nr. 2 ― 7 Blok Romances
Melnychenko ― Mangova ― Prischepenko ― Klinger


ショスタコーヴィチ : ピアノ三重奏曲 第2番 ホ短調 Op.67
ショスタコーヴィチ : アレクサンドル・ブロークの詩による7つの歌曲 Op.127 *

プラメナ・マンゴーヴァ(ピアノ)
ナターリャ・プリシェペンコ(ヴァイオリン)
セバスティアン・クリンガー(チェロ)
タチヤナ・メルニチェンコ(ソプラノ) *

FUGA LIBERA/FUG 525




ロシアン・ヴィルトゥオージティに酔って... グラズノフ。

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グラズノフというと、ラフマニノフの1番の交響曲の初演をダメにした酔っ払い指揮者... ロシア・アヴァンギャルドの時代を、ロシア/ソヴィエトで過ごしながら、作風は保守的... と、どこかでネガティヴなイメージを持っていたのだけれど、そういうものを吹き飛ばしてくれたのが、ヴェラー+ベルギー国立管による、このアルバムだった。が、その時、あまり印象に残らなかったのが、1曲目、ゼーフェリン・フォン・エッカルトシュタインのピアノによる、1番のピアノ協奏曲(track.1-2)。2つの楽章からなり、1楽章より長い2楽章が、主題と変奏で書かれている... その「変奏」というあたりに、19世紀的なヴィルトゥオージティ、濃厚で、当然のことながらロマンティック。それでいて、1911年の作品である。何となく楽しめなかった。が、聴き直してみて、素直に楽しめる!世知辛い2011年を生きている身には、ヴィルトゥオージティに酔うことは、ある種の麻薬?何ても思ったり。
いや、ロシアにおける、甘く、センチメンタルなロマンティシズムというのは、ラフマニノフの専売特許ではない。グラズノフの1番のピアノ協奏曲は、その1楽章、冒頭から、ただならず魅了されてしまう。ナイーヴに切なげに始まりながら、やがて如何にも19世紀的な華やかさに包まれ、まさに「クラシック」。2楽章の主題と変奏では、ヴィルトゥオージティをすっかり楽しむ。ゴドフスキーにピアノ・パートの改訂を依頼したというあたりも興味深い点で、ゴドフスキーはコンチェルトを書くまでには至らなかったことを思うと、もし書いていたなら?なんてことが、頭を過ったりもし。変奏が進むにつれ、よりキラキラと輝きを増すピアノ・パートが素敵で。エッカルトシュタインのピアノも、くどくなることなく、軽やかにヴィルトゥオージティを捉えて。だからこそ、音楽も活き、聴後感(という言葉があるならば... )の清々しさが、何とも言えない。
そして、5番の交響曲(track.3-6)。チャイコフスキー以来の、西欧の修辞に適ったロシアのキャッチーなメロディで綴る交響楽というのか... そういう点において、枠をはみ出すようなことは無いにせよ、バランスの良さはピカイチで。改めて、作曲家、グラズノフの力量に感じ入る。もっと、演奏されてしかるべきと感じるのだけれど... 特に、終楽章(track.6)なんてのは、カッコよくすらあって... ベルギー国立管にとって、ヴェラー体制の最初のシーズンにリリースされた、ヴェラー+ベルギー国立管のコンビによる、最初の1枚だったわけだが、すでに彼らの独特さはこの演奏に表れ。その独特さ... 作品を突き放して、多少、つれないような姿勢から、作品のちょっとした表情を読み取り、そのキャラクターをくっきりと描き上げてゆくのだけれど... グラズノフもまた、イメージを突き放し、そのキャラクター性を立たせ、本当に魅力的に聴かせてくれる。
それにしても、終楽章はクールだ...

Glazunov ― Piano Concerto No. 1. Symphony No. 5
von Eckardstein ― National Orchestra of Belgium ― Weller


グラズノフ : ピアノ協奏曲 第1番 ヘ短調 Op.92 *
グラズノフ : 交響曲 第5番 変ロ長調 Op.55

ゼーフェリン・フォン・エッカルトシュタイン(ピアノ) *
ヴァルター・ヴェラー/ベルギー国立管弦楽団

FUGA LIBERA/FUG 521


ところで、話しを戻すのだが... CDは寝かすといい... という不思議。
楽しみにしていたアルバムを、勢い勇んで買って来て聴く耳というのは、どこかでピュアではないのかもしれない。数年後、思い掛けなく再発見する時の耳というのは、そのアルバムに対して、よりニュートラルに接することができるのかもしれない。そして、その時間の経過の間に、たくさんの音楽に触れ、聴く側の許容も知らず知らずに広がっているのかもしれない。なんて、ここに来て、いろいろ思い至るような...




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