SSブログ

二〇〇九、それでも森は生きている。 [overview]

2009年を振り返って... "クラシック"はどうだったろう?
間違いなく収縮している。10年前を振り返ってみれば、余計に感じる。いや、"クラシック"のゼロ年代そのものが、収縮の10年間だったような... それまで、派手にシーンを牽引したメジャー・レーベルが力を失い。まずワーナーが消え、SONYとBMGがひとつになり... しかし、メジャー・レーベルという大樹の陰から、マイナー・レーベルが次々に芽を吹き、成長し、大樹では難しいあたりにも、細かく根を張り、興味深い音楽を聴かせてくれたことは、大きな収穫だった。が、そんなマイナー・レーベルも、ここに来て、弱含んでいる... "クラシック"という森は、もはや、茂ることは無いのか?というより、今や、「森」と言えるのだろうか?

そんな森の主(ヌシ)、2009年に111周年を迎えた"クラシック"の盟主、Deutsche Grammophonの衰えっぷりが、この音楽ジャンルを象徴するようでもあり。次から次へと去ってゆくアーティストたち... ユンディ、ラン・ラン、フォン・オッターまで... 抱えているはずのアーティストたちは、「専属アーティスト」の欄に名を連ねるだけで、新録音なんて、随分とご無沙汰(それでも、オペラのスターたちは、何とか奮闘しているか... )。一方で、消費されるのが目に見えている、付け焼刃な新人たち。残るビッグネームは、鬼籍に入った(あるいは近い... )人ばかり?となれば、もはや幽霊だ。"クラシック"という荒地の地縛霊...
2009年、DGの新録音を改めて振り返って、衝撃的なのは、交響曲のリリースがたったひとつだったこと。「交響曲」とは、"クラシック"そのものであり、芯であり、宇宙だ(って、ちょっと大袈裟?)。が、ドゥダメル+シモン・ボリヴァル・ユース管によるチャイコフスキーの5番(Deutsche Grammophon/477 8022)だけのリリース(だよね?)。ウィーン・フィル、ベルリン・フィルを「専属アーティスト」の欄に掲げ、アバドもまだ元気、サロネン、ハーディングだっている。ならば、おもしろいことだってできようものを... ユース・オーケストラでチャイコフスキー?DGは、何をしたいのだろう?どこに向かいたいのだろう?それとも、もう無理なのか...
盟主の迷走に、暗澹たる思い。
と、暗くばかり、なってはられない。
ということで、2009年。新譜を追って、追い切れなくて、112タイトル... まずは、"クラシック"そのものであり、芯であり、宇宙だ。なんて、言っちゃった、交響曲から振り返ります。
1010.gif
1010.gifOC638.jpg1010.gif
2009年、交響曲のベストは、シモーネ・ヤング率いる、ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団の、ブルックナーの8番。なんて、偉そうに言い切ってしまって良いのだろうか?と、思いつつも... レコード・アカデミー賞も受賞してしまったし。というより、OHEMSからのCDが... 女性指揮者によるブルックナーが... レコード・アカデミー賞を受賞したことに、"クラシック"、ゼロ年代のうつろいを強く印象付けられるようで、感慨も。が、そうしたアルバムをベストに挙げてしまうこと、どうも権威におもねるようで、若干、抵抗感も... なのだけれど、2009年、最もインパクトを残した演奏であることは、間違いない。それも、「名演」なんて、分かり易い言葉では言い表せないような、ただならない演奏... 独特のスケール感で包み込まれるようなブルックナーは、母性によるブルックナー?恐るべし、シモーネ!
1010.gif
1010.gifHMC902011.jpg1010.gif
さて、ブルックナーが目立ったように思う、2009年。特に、メモリアルというでもないようだし、ブームと捉えていいのだろうか?ヤング+ハンブルク・フィルはもちろん、パーヴォ・ヤルヴィ+hr響によるツィクルスが進行中... ケント・ナガノ+バイエルン州立管による4番は、ここに挙げたくなるほど、ケントならではの感性で貫かれた、洗練された演奏が忘れ難く。そうした中で、異彩を放つのが、"ピリオド"からブルックナーを捉え直す、ヘレヴェッヘ率いる、シャンゼリゼ管弦楽団によるツィクルス。その、2009年のリリース、5番の美しさというのは、息を呑む。ブルックナーとは、こうも美しいのかと... こうも繊細に輝くのかと... ブルックナーのステレオ・タイプが崩れつつあるのも、ゼロ年代の興味深い傾向かもしれない。
1010.gif
1010.gifTUDOR7162.jpg1010.gif
ブルックナーの一方で、マーラーもまた目立ったような気がする。いや、2009年、最も熱かったのは、実はマーラー?2010年(生誕150年)、2011年(没後100年)と続くメモリアルの、プレ・メモリアルとしての2009年は、メモリアル中のツィクルス完結を目指して、次から次へと、注目のマエストロたちがマーラーに乗り出したわけだ。当然、収穫も大きい。山水画を音にしてしまったような、幽玄なケント・ナガノ+モントリオール響の「大地の歌」。常に賛否を呼ぶ、ジンマン+チューリヒ・トーンハレ管によるツィクルスも快調に進み、7番の、不思議な感触が印象に残る。また、一足先にツィクルスを完結させた、マイケル・ティルソン・トーマス+サン・フランシスコ響による「千人の交響曲」は、つい先日、グラミー賞を受賞したり... しかし、最も印象に残るマーラーは、ノット率いる、バンベルク交響楽団による9番!知性派ノットと、職人肌バンベルク響の絶妙なるコンビ... それは、あまりに絶妙で、他では絶対に到達できないような境地へと達してしまう。フロイト的にではなく、見事に、複雑怪奇なマーラーの心の奥底を読み解く名演。その感動は、普段より深い...
1010.gif
1010.gif98577.jpg1010.gif
で、盛り上がる、マーラーのプレ・メモリアル。なのだが、個人的には、メンデルスゾーンのメモリアルに期待したのだが、肩透かしを喰らった気さえする、2009年。なかなかおもしろい「スコットランド」を聴かせてくれたシャイー+ゲヴァントハウス管などは、メンデルスゾーンの家元として、ツィクルスがあっても良かったのでは?あるいは、序曲の改訂作業に取り組んでいたはず... の、ホグウッド、バーゼル室内管あたりと、ツィクルスがあっても良かったのでは?また、"ピリオド"からもも、ツィクルスがあっても良かったのでは?ガーディナー+ORRには、ブラームスではなく、メンデルスゾーンに挑んで欲しかった... そんな思いもある中で、ファイ率いる、ハイデルベルク交響楽団によるツィクルスの完結は、最高の贈り物になった。「宗教改革」「スコットランド」と、ツィクルス、後半に入って、ますます作曲家に寄り添おうとするすばらしい演奏を繰り広げ。完結編、「賛歌」は、まさに感動に包まれて、メモリアルを祝うに相応しい名演。やっぱり、メンデルスゾーンが好き!
1010.gif
1010.gif88697542542.jpg1010.gif
さて、ツィクルスの完結で、もうひとつ印象に残るのが、パーヴォ・ヤルヴィ率いる、ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンによる、ベートーヴェンのツィクルス。モダン/ピリオドによるハイブリットのベートーヴェン... その、ピリオドでもなく、モダンでもない、唯一無二とも言える、独特の路線を貫いたパーヴォの仕事ぶりは、圧巻。完結編となった「第九」など、ますます路線を徹底させるようで、見事。しかし、ツィクル、最も印象に残るのは、「田園」。その鮮やかなヴィジュアル... を喚起させるサウンド!話題の映画ではないけれど、3D的なイメージすらあるようで。彼らのサウンドに触れていると、実際に、田園の中に入り込んでしまうような、田園を歩いているような感覚になってしまう。そうして、終楽章で広がる風景... 歩んで辿り着いた、目の前に広がる風景に、視覚的な感動を味わうような。パーヴォの視点、感性というのは、やはりただならない。
さて、2010年は、シューマンのメモリアルということで、パーヴォ+ドイツ・カンマーフィルの次は、シューマンの交響曲に挑むとのこと。楽しみ!
1010.gif
1010.gifZZT100101.jpg1010.gif
そして、最後に、2009年、交響曲のセカンド・ベスト... インマゼール率いる、アニマ・エテルナのベルリオーズ、幻想交響曲。"ピリオド"ならではの奇天烈さで、"クラシック"を震撼させて来たアンファン・テリブル。だが、果たして、彼らの実態とは、そういうものだったのだろうか?そんな思いに駆られる幻想交響曲。改めて、インマゼール+アニマ・エテルナという存在を見つめ直すと、何か、とんでもない姿が、そこから浮かび上がってくるよう。アニマ・エテルナのひとりひとりが、それぞれの音を出す。洗練されるに至らない、ピリオド楽器の癖をそのままに、ハーモニーなんてことを考慮せず、ただ、スコアにある通り、音を出す。それは、音楽として、交響楽として、あるひとつの方向へ集約しよう、などという、予定調和が存在しない、究極の姿か。ベルリオーズのスコアに沿って、19世紀の楽器を並べて、人間の作為を一切、排して、インマゼールの合図の下、ひとりひとり音楽を始める。どこか、ジョン・ケージのチャンス・オペレーションのような印象すら受ける... 他のオーケストラではあり得ないスタンスで生み出される音楽。どこに転がってゆくのかが読めない。読めない先に、人智を離れた音が存在し、異形の交響曲、「幻想交響曲」の、真にただならない姿が、初めて顕わになるかのよう。
一体、何なんだ、これは...

と、こんな具合に、2009年を振り返ってみれば、"クラシック"という森、それでも生きている!ということを、実感させられる。ここには挙げなかったが、ヴァシリー・ペトレンコ+ロイヤル・リヴァプール・フィルによる、新たなショスタコーヴィチのツィクルスなどは、11番5番 & 9番と、若いマエストロの、21世紀における新たなショスタコーヴィチ像の模索があって、フレッシュで... 新たな芽は、確実に出てきている。
悲観ばかりもしていられない。




タグ:交響曲
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。