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雪の夜のトリップ。 [2006]

立春は過ぎたとはいえ、未だ2月...
寒さは、これからが本番。そして、すでに、今、寒い。雪が降っている。で、1月の、あの恐ろしいほどの寒さ、また、戻ってくるのだろうか?一向に見えない春の兆しに、何だか、気も重くなるばかり。もちろん、いずれ春はやって来るだろうけれど... 先のことを考えるのも億劫になるような寒さで... 思考もどこか鈍くなるような... そんな寒い夜に聴く音楽は?フランスの古楽アンサンブル、アラ・フランチェスカによる、ワーグナーではなく中世版のトリスタンとイゾルデの物語を綴る試み、"Tristan et Yseut"(Zig-Zag Territoires/ZZT 051002)。今、最も気になるテノール、マルコ・ビーズリーが、イタリアの古楽アンサンブル、アッコルドーネとともにルネサンス期のヒット・ソングを歌う、"frottole"(CYPRES/CYP 1643)。昔々へと音楽でトリップする2タイトル。


ワーグナーではなくて、アラ・フランチェスカによる中世、"トリスタンとイズー"の物語...

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中世、ケルトの説話がフランスで物語にまとめられ、やがてワーグナーが楽劇としてロマンティックを極めて描き上げたトリスタンとイゾルデの悲恋。アラ・フランチェスカがスポットを当てるのは、もちろん中世のトリスタンとイゾルデ... フランス語による物語となるので、フランス語風に"トリスタンとイズー"となって、ワーグナーで馴染んだイメージからすると、まったく違う世界が描き出される。
トリスタンとイズーの悲恋を歌った、レー(=短詩、小曲[一般に8音綴詩句からなる中世の物語詩・叙情詩]だそうだ、仏和辞典によると... )を、ウィーンの写本から拾い集めて、アラ・フランチェスカのリーダー、ブリジット・レーヌが、今、改めてひとつに編み、新たな歌物語としてまとめたのが、この"Tristan et Yseut"。始まりの舞曲の濃密な中世のトーンに、一瞬にして昔々へと連れ去られるようで、続く、トリスタンの歌(track.2)のアルカイックな響きに触れれば、クラシックの伝統や歴史が織り成される以前の、無垢なる歌の姿に、心洗われるよう。そして、それは、トリスタンとイズーの伝説により近付くことであり。大河として音楽史に横たわるワーグナーの楽劇を遡った源流の姿に、まったく異なるイマジネーションを掻き立てられ、また感慨を覚える。
こうして、キーボードで文字を打ち込んでいる世界とは、まったく異なる、遠い遠い世界。目を閉じれば、タピスリーに描かれた歴史絵巻が広がるようで。雪の降る夜、独りヘッドホンで聴くその歌物語は、まるで異世界へのトリップ... 伝説を生んだ地、トリスタンが戦い、イズーが恋人を待った地、荒涼としたアイルランド、そしてイングランドの風景が広がり。その2つの地を隔てる海、トリスタンとイズーを結んだ海が、寒々と広がるよう。ワーグナーではあり得ない、削ぎ落とされ、プリミティヴなアラ・フランチェスカによるサウンドには、夢見心地に肥大化された悲恋では味わえない厳しさと、厳しさの中に灯される親密な光が、聴く者の魂を震わすのか。そのオーガニックな力強さ、フォークロワの素朴さが、不思議な癒しを与えてくれる。

ALLA FRANCESCA ・ TRISTAN ET YSEUT

Nota
D'Amours vient mon chant et mon plour 〔レー 17番〕
Après chou que je vi victoire 〔レー "de victoire" 15番〕
Estampie
Tant me sui de dire teüs 〔レー "Voir disant" 8番〕
Tant me sui de dire teüs
La u jou fui dedens la mer 〔"Boire pesant" の レー 16番
Sans cuer sui et sans cuer remain 〔レー 6番 器楽演奏による〕
Ja fi canchonettes et lais 〔レー "mortel" 1番〕
D'Amours viennent li dous penser 〔レー 9番〕
A toi, roi Artus, qui signeur 〔レー 10番〕
Folie n'est pas vaselage 〔レー 4番〕
Rotta 〔"Lamento de Tristan" による〕
En morant de si douche mort 〔レー 5番〕
Lamento de Tristan
Li solaus luist et clers et biaus 〔レー 2番〕
Lai du chèvrefeuille

ブリジット・レーヌ/アラ・フランチェスカ

Zig-Zag Territoires/ZZT 051002




ポリフォニーではなくて、ビーズリーが歌うルネサンス、フロットラ。

CYP1643.jpgSS10.gif
フロットラ、ルネサンス期のフォークソングといったところか... で、15世紀、イタリアで、そんなフォーク・ブームがあったらしい... なんとなくわかる。この軽さ、このキャッチーな感覚!音楽史におけるルネサンスというと、フランドル発のウルトラ・ポリフォニーというイメージが強い。が、このイタリア発のフロットラは、モノディ。リュートなどを伴奏に、穏やかな風が吹き抜けるがごとく歌われる。淀むことなく、明快に... まさに、ビーズリーというキャラクターにぴたりとはまり、魅了されずにいられない"frottole"。
気鋭の古楽アンサンブル、ラルペッジャータのアルバムを聴き、その存在を知ったマルコ・ビーズリー。地声?フォークロワ?いわゆるクラシカルなトーンではない異彩を放つテノールには、コロンブスの卵のように驚かされる。何より、彼の歌声が、とにかく新鮮で... アカデミズムから自由になり、肩の力が抜けたナチュラルな感性が、たまらなくいい... そんなビーズリーが歌うフロットラ。ベルカントが完成されるよりも昔の音楽。下手に堅苦しい歌い方をしてしまったならば、このアルバムに吹き抜ける風は、死んでしまうだろう。そんなフォークロワなトーンを支えるのが、古楽アンサンブル、アッコルドーネ(ビーズリーと、リュート奏者、グイド・モリーニが結成... )。彼らのサウンドもまたナチュラル... やさしさ、温もり、そして清々しさ。ビーズリーの声、歌と相俟って、得も言えぬ一時が穏やかに流れ、ポリフォニーではない、イタリアのルネサンスを再発見することに...
しかし、フロットラの軽やかさ、気の置け無さに触れると、ポリフォニーの大仰さは際立ち、そんなポリフォニーのイメージで語られてしまうルネサンス像に、疑問も湧く。また、"frottole"で取り上げられる作曲家は、みなイタリア人(ラッススの作品が1曲あるのだけれど... )で、普段、フランドル人に隠れて見え難い、イタリアン人によるルネサンスを垣間見ることができ、とても興味深く。そこに、現代流のフロットラ?モリーニ(track.6)、ビーズリー(track.22)のオリジナルも紛れていて、おもしろい。

frottole | accordone | marco beasley | guido morini

カーラ : 愚直に続けさせていただきます
アッザイオーロ : この道を通る者は
ストリンガーリ : 愛神よ、矢を控えなさい
カプリオーリ : 緑の葉そよぐ、高い杉の木の下
作者不詳 : キビのパンだよ、あつあつだよ
グイド・モリーニ : 悲哀に寄せて
フォリアーノ : 愛です、ご婦人がた、お分けしましょう
トロンボチーノ : そら、起き上がれ、睫毛をあげて
ラッスス : わが婦人、お願いです
作者不詳 : それでよいのでしょう
作者不詳 : パヴァーナとガイアルダ 「不実な女」
ナツメのグリエルモ : 巡礼の兵士たちの歌
カーラ : 愛の棘先を避けるには
トロンボチーノ : 苦しみにわが顔を浸そう
スコート : 何のことやら、いさ弾きたも、歌いたも
ダルツァ : サルタレッロとピーヴァ
カーラ : 買う気はないよ、希望なんて
デ・ルラーノ : おまえの帰還がどれほど嬉しいか
トロンボチーノ : めでたし、マリア
ボルローノ : ミラノっ子のパヴァーナとサルタレッロ
トロンボチーノ : 麗しきおとめ
マルコ・ビーズリー : おまえは眠っている

マルコ・ビーズリー(テノール)
グイド・モリーニ/アッコルドーネ

CYPRES/CYP 1643



中世を"暗黒の時代"とする近代的な歴史観は、今やそれ自体が遺跡のようになりつつあるわけだが、トリスタンとイズーと、フロットラ、そのコントラストは凄いものがある... 中世からルネサンスを聴くことは、まるで、冬から春への歩み... こういう歩みがあってクラシックは成っているのだなと、改めて音楽史の流れに感慨...




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