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アポカリプティック・サウンズ... 2012年を乗り切るために... [selection]

オリンピックという「夢」から醒め、ふと見渡す現実は、ますます混迷を深めていて、あっちを見ても、こっちを見ても、みんなやりたい放題、言いたい放題... で、どーしたいの?どーなるの?と、悶々とさせられ日々に、ちょっと窒息しそう。こういう不透明さに対するストレスが、さらなる混迷を呼び込み... グダグダにして、ズブズブのスパイラルに陥っているんじゃない、政治、外交、経済。そこに来て、日本では、異常に降り過ぎる雨、世界に目を向ければ、まったく降らない雨に、終末感も漂い出して... 嗚呼、2012年。やはり世界は、滅亡に向かって、ひた走っているのか?そう、噂のマヤ歴が終わるのが、12月21日。信じるか信じないかは...
ということで、何を聴いてその日を待つか?という、奇ッ怪というか、奇天烈なセレクションの試み。やっぱり、夏は、こういう方向で盛り上がりたい?

いつだったか、明け方、空が明るくなりだした頃、何となく目が覚めて。窓を開けると、ガーン、ギィーン、ガラーン、ゴーン... と、どこからともなく、空へと響く重い金属音のようなものが耳に入ってきた。こんなに朝早くから、何の工事をしているのだろう?交通量が増える前に、慌てて作業しているのかな?その時は、そんな風に思ったのだけれど。その後、世界中で、アポカリプティック・サウンドなるものが聞かれ、ちょっと話題になっていると知って、あれは、工事ではなく、アポカリプティック・サウンドだったのかも?と、少し思ったりする。

さて、何なのだろう?アポカリプティック・サウンド。やはり、終末は迫っているのだろうか?てか、やっぱり工事?と言い捨ててしまうのが、現実的な対応かもしれないけれど、それではつまらないので... ウーン、工事にしては、ちょっと音楽的かなとも思ってみたり。それは、重く、不気味な音でありながらも、聴き様によっては、現代作品っぽくもあって。終末のアナウンスとして、神様が作曲していたら、おもしろい。という、アポカリプティック・サウンドは、とりあえず脇に置きまして、クラシックにおけるアポカリプティック・サウンズ。
ま、例の如く無謀... というか、今回はかなり奇天烈な試みではあるのだけれど、終末感、色濃くする今日この頃を振り返り、「2012年」を乗り切るためのセレクション。当blogの独断と偏見で、初期バロックからミニマル・ミュージックまで、幅広く、6タイトルを選んでみた。

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ベルリオーズのレクイエムは、他のレクイエムには無いスケール感がある。そもそも個人のものとしてではなく、七月革命(1830)の犠牲者を追悼するという当初の目的が、そういうスケール感につながっているのだろうけれど、ベルリオーズならではの誇大妄想が見事にはまって、「葬送」というセレモニーを突き抜けた情景を生み出すのか。地の底から鳴り響く太鼓(16台のティンパニ!)に、天から降り注ぐラッパ(4つのバンダ!)は、まさにクラシックにおけるアポカリプティック・サウンズ!そんな作品を、徹底してクリアに響かせて、より高次元な黙示録的世界を繰り広げる、ノリントン+シュトゥットガルト放送響。そして、ドイツならではのハイテク・コーラス。彼らのピュア・トーンが、この作曲家独特のケレン味を洗い流し、より峻厳なアポカリプティック・サウンズを実現。そうして得られる真のカタストロフは、まるで、人類へのレクイエムのよう...
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そして、黙示録そのものを音楽で描き出すのが、フランツ・シュミットのオラトリオ『七つの封印の書』。パイプ・オルガンが物々しくも壮麗に鳴り響き、オーケストラを背景に、6人のソロと大合唱が天変地異をじっくりと歌い上げ、ベルリオーズに負けない規模で展開される世の終わりの情景。すっかり近代音楽に取り囲まれてしまった、最後のロマン派、フランツ・シュミットが、迫りくる第2次世界大戦を前に、その恐るべき惨禍を予見するが如く、黙示録の世界を19世紀のアカデミックな歴史画のように、見事に描き出した隠れた名作オラトリオ。フランツ・シュミットの交響曲全集を完成させ、一躍、フランツ・シュミットのスペシャリスト的存在となったルイジ、MDR響、そしてMDR放送合唱団によるその演奏は、ルイジ独特の感性が、19世紀的、大時代的な仰々しさと、終末の仄暗さに、鮮やかな彩りを添え、アポカリプティックでダークな美しさを湛える。
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もうひとつオラトリオ... ルネサンスからバロックへとうつろう頃、最初のオラトリオとして記憶される、カヴァリエーリのオラトリオ『魂と肉体の劇』。なのだが、まあ、何と物々しいタイトル!それこそ"魂"や、"肉体"というキャラクターが登場しての、禅問答のような寓意劇。いや、その禅問答、最後の審判の情景とも言えそうであり... 初期バロックならではのストイックなサウンドと、人間のあり方について深く、深く、歌い紡いでゆく渋さ。この抑えた表現が、かえってアポカリプティックなのかも... そして、プルハル+ラルペッジャータによる見事な演奏!ビーズリー(テノール)、ヴィス(カウンターテーナー)といった、個性的かつ多彩な歌手を揃えて。ただ単にストイックで渋いものにすることなく、要所、要所で見せる鮮やかさ、活き活きとした表情が圧巻。最初のオラトリオにして、すでに十分に充実したオラトリオを聴かせてくれる。
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近代産業社会に生きるということは、すでに黙示録的世界を生きているのかもしれない... 大量生産、大量消費を、一歩引いた視点で捉え、その異様さを抉り出す、レッジョ監督による恐るべき映画『コヤニスカッツィ』(1983)。それは、30年近くも前の作品なのに、21世紀のリアルにも、強烈なメッセージを放っていて... 想像を遥かに超えた自然のパワー、地震、津波を経験し、脆くも崩れた原発の安全神話を前に、これまであまりに無邪気に築き上げてきた「近代」の、その禍々しき実態について、ただならず考えさせられる。そして、レッジョ監督の映像を他になく際立たせたのが、グラスによる音楽。それは、ミニマル・ミュージックのミニマル性が、如何に、我々の社会を象徴しているかを思い知らせて、怖くなりさえする。『コヤニスカッツィ』のサウンド・トラックは、茫洋と近代を過ごしてきた身には、どこか、突き刺さるような感覚がある。
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2012年で世界が終わる... その根拠となるのが、マヤ歴のひとつの周期の終わり。あくまで周期の終わりであって、必ずしも「終末」にはならないんじゃなくね?と思うのだけれど、そうしたマヤの神話を記録した『ポポル・ブフ』にインスパイアされたヒナステラの作品、『ポポル・ヴー』。これがおもしろい!で、そこでは、終末ではなく、マヤ世界の創造が描かれるのだけれど、そのプリミティヴで、カオスな様ときたら、凄まじく... アズベリー、ケルンWDR響による、見事にヒナステラの新表現主義を捉えた演奏が、かなりトリップしてしまったようで、サイケデリックにして、アポカリプティック!恐ろしいほどに精巧なカレンダーを生み出した、天文学、数学に長けたマヤの人々を描くにしては、ちょっと新表現主義が過ぎるような気もするのだけれど、森に埋もれてしまったマヤ文明のミステリアスさを、ヤリ過ぎなくらいにパワフルに描き出して、圧巻!
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最後は、まさに終末を迎えるオペラ... リゲティの奇作、オペラ『ル・グラン・マカーブル』。これをオペラハウスでやるのか?!ってくらいにスキャンダラス。徹底して、エロ・グロ・ナンセンス。だけれど、よくよく見つめれば、我々の今と重なってしまい、ドキリとさせられ... そこにやって来る、死の皇帝、ネクロツァールと、ネクロツァールがもたらす終末。まさに黙示録に綴られた情景が繰り広げられるも、ネクロツァールがうっかり飲み過ぎて、終末は頓挫してしまう、グダグダのフィナーレ。そんな物語の一方で、リゲティの書いた音楽は、一筋縄ではいかない難曲揃い... が、サロネンの手に掛かれば、見事、クリアに処理されて... いや、奇天烈な音楽と、真面目に向き合うサロネンの姿が、妙に微笑ましく。それから、トンデモな役を喜々とこなしつつ、難曲も器用に歌い上げる手堅い歌手陣も見事。変なのに、凄い... そのアンバランスさが、おもしろい!

そうして繰り広げられる大いなる死、ル・グラン・マカーブル。どこまで本気なの?と思わせつつも、これこそが、我々の「2012年」となりそうな予感がする。




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