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バッハ、平均律クラヴィーア曲集、第1巻。 [2014]

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10月は、「癒し系」で、癒される。ということで、不眠症の伯爵のための睡眠導入剤、バッハ、ゴルトベルク変奏曲に始まり、中世に、ロマン主義に、日本からアラスカまで、様々に「癒し系」を探り、巡って来たのですが、改めて「癒し系」クラシックという在り方と向き合って、いろいろ見えて来ることもあり、実に興味深かったなと... 普段、「癒し系」だなんて、クラシックのコアなあたりからすると、馬鹿にされがちではありますが、クラシックに癒される現代という逆の視点を持つとまた新たな風景が広がるのかもしれません。いや、音楽とは、そもそも癒しなのではないだろうか?音楽ばかり聴いていられない環境を生きるのが人間であって、そうした中で傷付き、歪み、疲れたところに、音楽はその心に寄り添い、鼓舞し、整え、癒して来たのでは?中世における、ムジカ・フマーナ(人間の身体を調律する音楽)の考え方が、今は、もの凄くしっくりと来る。こういう、今は失われてしまった考え方を意識すると、クラシックのみならず、音楽全体に、また新たな可能性が拓けて来るような気がする。
そんな心境を以って、再び、音楽の父、バッハへと還る。ピエール・ロラン・エマールのピアノで、バッハの平均律クラヴィーア曲集、第1巻(Deutsche Grammophon/479 2784)。今、改めてこの音楽に触れてみれば、中世の音楽の思想を見出すのか...

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ジョン・ルーサー・アダムズ、ビカム・オーシャン。 [2014]

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秋バテどころか、どうも2018年にもバテている?ということで、10月は、「癒し系」で、癒され中であります。さて、ポスト・クラシックという位置付けになるのか、ヒーリング・ミュージックやニュー・エイジ、アンビエント・ミューシックや環境音楽も一緒くたになって紹介される帰来のある、「癒し系」としてのクラシック。一般からしたら、クラシックも、ポスト・クラシックも、似たような印象になってしまうのだろうな... いや、あり得ん!確固たるクラシックを信じている立場からすると、怒り心頭?いやいや、そんな石頭だと、ますますクラシックは嫌われてしまう... いやいやいや、クラシックというジャンルを形成した音楽史を振り返れば、まさに異ジャンルとのフュージョンの歴史であって、ラプソディー・イン・ブルーとか、今じゃ、古典よ!ならば、クラシックとポスト・クラシック、一緒くたになって、新たな音楽が生み出されたら、おもしろいんじゃね?シンフォニックな「癒し系」とか...
という、無謀な問いを立てて聴いてみる、もうひとりのジョン・アダムズ。ルドヴィク・モルロー率いる、シアトル交響楽団の演奏で、アラスカの大自然に抱かれて作曲する、ジョン・"ルーサー"・アダムズ(b.1953)のビカム・オーシャン(cantaloupe/CA 21101)を聴く。

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カッチーニ、エウリディーチェ。 [2014]

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さて、9月です。学校では、新学期がスタート、クラシックでは、新たなシーズンが開幕、そんなリスタートに相応しい音楽を聴いてみようかなと... で、今年、没後400年のメモリアルを迎えるカッチーニに注目!イタリア古典歌曲の定番の作曲家だけれど、お行儀良く、お上品に、楚々と歌われるイタリア古典歌曲の印象からか、クラシックにおけるカッチーニの存在感は、同時代を生きたモンテヴェルディに比べると、インパクトに欠ける。が、音楽史から見つめれば、カッチーニの功績はただならない。モノディーの発明により、現在に至る音楽の在り方を示し、モンテヴェルディの先を行って、バロックの扉を開いた人物。その扉を開くにあたって伝えられる人物像は、またインパクトのあるもので、実に興味深い。ということで、バロックへの扉、オペラ誕生に迫る。
リナルド・アレッサンドリーニ率いるコンチェルト・イタリアーノの演奏、シルヴィア・フリガート(ソプラノ)のエウリディーチェ、フリオ・ザナージ(バリトン)のオルフェオで、現存最古のオペラ、カッチーニのオペラ『エウリディーチェ』(naïve/OP 30552)を聴く。

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四季、リコンポーズド・バイ・マックス・リヒター。 [2014]

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さて、8月が終わります。まだまだ暑いものの、天気予報では秋雨前線(いや、また大雨となっている地域があり、心が痛みます... )という言葉が聞かれ始め、来月になれば、気温も落ち着くような話しもチラホラ... あれだけ暑かった夏も、また秋へとうつろうのですね。で、何となしにセンチメンタル。冬の終わりは、春を迎えるワクワクとした気分に包まれるものですが、夏の終わりは、どこか寂しげ... お盆も過ぎると、少しずつ影が伸びて、燦々と輝いていた太陽は、どこかへ遠ざかってしまような、何とも言えない心細さを感じることがある。秋が嫌いなわけじゃないけれど、夏が行ってしまうことに、妙な喪失感。これって、夏休みの遠い記憶だろうか?三つ子の魂百までじゃないけれど、こどもの頃に刷り込まれた夏休みの特別感は、どこかで今も生きている気がする。その特別感が、今、去ろうとしている。ということで、季節の変わり目に、季節そのものを聴いてみたいと思う。
ダニエル・ホープのヴァイオリン、マックス・リヒターのシンセサイザー、アンドレ・ド・リダーの指揮、ベルリン・コンツェルトハウス室内管弦楽団の演奏で、マックス・リヒターによるリコンポーズ、ヴィヴァルディの『四季』(Deutsche Grammophon/479 2779)を聴く。

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マーラー、「巨人」、1893年、ハンブルク稿。 [2014]

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アレッサンドロ・スカルラッティ(1660-1725)がオペラの序曲として確立したイタリア式序曲(急―緩―急の3楽章構成のような形... )に遡る交響曲の歴史... シンフォニアと呼ばれたイタリア式序曲は、やがてオペラから独立し、サンマルティーニ(ca.1700-75)ら前古典派の手で丁寧に育まれ、われわれの知る「交響曲」に成長。18世紀末、古典主義の全盛期、モーツァルト(1756-91)の「ジュピター」(1788)、ハイドン(1732-1809)のロンドン・セット(1791-95)によって、最初の頂を迎える。が、19世紀初頭、ベートーヴェン(1770-1827)の登場で、新たな方向性がもたらされる。で、その方向性の先にあったのが、19世紀を象徴するロマン主義... なのだけれど、絶対音楽=交響曲と、ドラマティックなロマン主義の折り合いは、悪い。それをどう処理するか?考えに考え、21年もの歳月を要して完成されたブラームス(1833-97)の1番(1855-76)の交響曲は、折り合いの悪さを何とかして結び付けた、古典主義とロマン主義のキメラの怪物。これが、交響曲の歴史、最大の頂だったかなと... そして、その頂を越えた先に展開される、捉われない新たな交響曲に注目してみる。
ということで、ブラームスに続いてのマーラー... トーマス・ヘンゲルブロックが率いたNDR交響楽団の演奏で、マーラーの1番の交響曲、「巨人」の、第2稿にあたる、交響曲形式による音詩「巨人」(SONY CLASSICAL/8884305042)を聴く。

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ロシア音楽の豊かさから生み出される『春の祭典』の衝撃。 [2014]

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さて、12月になりました。2016年も、終わりが見えて来ましたよ。
いつもだったら、もう師走!となるところだけれど、今年は、やっと辿り着いた感じ。それだけ、いろいろなことがあり過ぎたということなのでしょう。あり過ぎた分、今年の初めが、どんなだったか、全然、思い出せない... というより、それは3年くらい前に感じてしまうほど... いや、こういうのが、過渡期、時代が動いている証なのかもしれません。20世紀の惰性でここまで何とか転がり続けて来たものの、新たな動力を見出さなくては前へと進まなくなりつつあるのが今の世界か... 推進力を失いつつある中で、錯綜する人々の姿は、世紀末っぽい。いや、21世紀も16年が経とうしているのだけれど... それは、これまで、21世紀独自の動力を模索して来なかったツケでもあるように感じる。一方で、真の21世紀の開始は目前にも思えて来る。
なんてことを考えてしまうのは、バロックから古典主義への過渡期を巡って来たからか。いや、歴史から学ぶことは大きいのです。で、新しい時代へ... 気分を変えて、20世紀へとジャンプ!鬼才、フランソワ・グザヴィエ・ロト率いる、ピリオド・オーケストラ、レ・シエクルの演奏で、ストラヴィンスキーのバレエ『春の祭典』(MUSICALES ACTES SUD/ASM 15)を聴く。

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対位法の歩みを辿る、ルネサンスから、モーツァルトへ... [2014]

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やはり、短慮はいけませんね。一夜で、215兆円、吹っ飛ぶなんてこともあるわけです(えーっと、請求書はイギリスに回せばいいのかしら?)。で、短慮の源を見つめる動きがあるわけだけれど、浮かび上がるのは、政治家たちの権力闘争の浅はかさ... 自らの責任を、EUに押しつけた無責任さ... グレイトどころか、やがてリトルとなるだろうブリテン、いや、イングランドの首相を、誰が務めるのか、見モノ。しかし、良い勉強になりました。どれだけ広い視野を持てるか、世界は複雑だという現実を前に、冷静に対応できるかが、21世紀を生き抜く鍵... 一方で、政治家たちの無責任の付けが、21世紀をますます混沌としたものにしている。Brexitのみならず、トランプ現象も、オリンピックを控えるブラジルの惨憺たる状況も、旧来の政治家たちの無責任に端を発しているわけで... いや、だからこそ、我々は、真剣に政治家を選ばねばならないのだと思う。明日は我が身ですよ!
ということで、短慮の正反対?深慮極まる音楽を聴いてみようかなと... ヨーロッパの音楽の晦渋な一面とも言える対位法について、ルネサンスに遡り、モーツァルトに至るまでを、弦楽四重奏で辿る1枚。エンリコ・ガッティ率いるアンサンブル・アウロラの演奏で、"ON THE SHOULDERS OF GIANTS"(ARCANA/A 373)。いや、何と言う深さ!伝統の厚みたるや!

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シュトルム・ウント・ドランク! [2014]

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さて、キリスト教世界では、カーニヴァルを終えると四旬節を迎えます。非キリスト教徒からすると、何ですか?それ... となるのだけれど、音楽史をつぶさに見つめれば、何かと遭遇するキーワードだったり... 例えば、四旬節に入り、オペラが上演できなくなる。とか、四旬節のためのオラトリオを作曲する。とか... 復活祭の前の46日間を指す四旬節は、キリストの"復活"の前にあたり、キリストの"受難"に思いを寄せ、節制し、悔い改める期間。ま、今では、そう厳密なものではないわけだけれど、かつては、華美な音楽は控えられ、音楽は宗教的なものに限られていた(バッハがいたライプツィヒでは、教会カンタータも取りやめになっていたのだとか... )。で、本日から、その四旬節。当blogも"受難"モード?かつての音楽シーンを追体験してみようかなと...
ジョヴァンニ・アントニーニ率いる、イル・ジャルディーノ・アルモニコの演奏で、キリストの"受難"を籠めた交響曲と考えられる、ハイドンの49番の交響曲、「受難」を中心に、シュトルム・ウント・ドランクの芸術運動に迫るアルバム(Alpha/Alpha 670)を聴く。

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展覧会を巡る、一年を振り返る、そんな『展覧会の絵』で... [2014]

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恐ろしいくらいに澄み切った空を見上げると、冬を強く感じさせられる。他の季節にはない、独特な緊張感というか、混じりけのない青一色の空の、どこか無機質にも感じられる超然とした広がりは、抽象表現主義の絵画と対峙した時のような、何とも言えない心地にさせられる。もちろん、寒いのはたまらないのだけれど、張りつめた冬の空気感は嫌いじゃない。なんて言いながら、秋に話しを戻してしまして... 「芸術の秋」ということで、クレーボッテイチェッリロスコベックリンと、クラシックの中の美術を探って来たこの秋。季節はすでに冬となりましたが、その締め括りに、音楽により展覧会を再現するという決定版、『展覧会の絵』を聴いてみようかなと...
ジョス・ファン・インマゼール率いる、ピリオド・オーケストラ、アニマ・エテルナの、ムソルグスキーの組曲『展覧会の絵』(Zig-Zag Territoires/ZZT 343)を聴く。

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