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2020年、今年の音楽、ピエール・アンリ、第10交響曲。 [2020]
2020年が終わります。てか、始まってすらいないような気さえしてくる、妙な感覚の年の瀬です。振り返れば、ジェット・コースターに乗っているような一年(いや、ジェット・コースター、未だ止まってないし... )であって、いろいろあり過ぎるほどあり過ぎたわけだけれど、何も成されなかった、何もできなかった一年でもあって、本当に"一年"を過ごしてきたのだろうか?という、狐に抓まれたような時間感覚の只中に、今、おります。でもって、当blog、只今、大迷走中。新しい在り方を模索し、右往左往(とりあえずは、ツイッターの方は、そこそこ平常運転... )。正直、これから、どうなってしまうのか(誰か助けてぇ!と、こそっと叫んでみます... )?は、さて置き、今年の漢字、「密」でしたね。例年通りの捻りの無さにかえって安心感を抱くわけですが、当blogは、"今年の音楽"です。いや、「密」な音楽、トーン・クラスター、なんて選びませんよ... いや、これもまたひとつのクラスターといえるのかも...
ということで、2020年、今年の音楽、ピエール・アンリの第10交響曲!ミュージック・コンクレートの巨匠が、ベートーヴェンの全9曲の交響曲を解体し、コラージュして再構成した奇作... マルゼーナ・ディアクン、ブルーノ・マントヴァーニ、パスカル・ロフェの指揮、フランス放送フィルハーモニー管弦楽団、パリ音楽院管弦楽団の演奏、ブノワ・ラモー(テノール)、フランス放送合唱団、パリ青年合唱団の歌(Alpha/Alpha 630)で聴きます。
ハイドンの「朝」、「昼」、「晩」。 [2020]
18世紀、古典主義、というと、どこか均質なイメージがある。いや、ぶっちゃけ金太郎飴っぽい。というのも、古典美を追求するその性格、追及して生まれる端正さが、金太郎飴っぽさにつながってしまうのかもしれない。が、18世紀、古典主義、丁寧に聴いてみれば、金太郎に思えていた顔にも、間違いなくヴァラエティが見出せる。イタリアの明朗さ、パリの花やぎ、ロンドンのインターナショナル性、マンハイム楽派のマッシヴさ、そして、ウィーン古典派... お馴染みモーツァルトの音楽には、故郷、ザルツブルクの、アルプスの麓ならではの清々しさが感じられて、"交響曲の父"、ハイドンには、長らく仕えたエステルハージ侯爵家の本拠地、ハンガリーのローカル性、田舎っぽさが漂う?なんて、言ったら叱られそうなのだけど、この中央から外れた場所こそ、ハイドンの音楽に顔を与えた場所。ハンガリーという地を意識して、"交響曲の父"の音楽を聴けば、また違った風景が見えてくるのかもしれない。
ということで、ジェルジ・ヴァシェギ率いるハンガリーのピリオド・オーケストラ、オルフェオ管弦楽団による新シリーズ、"Esterházy Music Collection"に注目!その第1弾、ハイドンがエステルハージ侯爵家にやって来た頃の交響曲、「朝」、「昼」、「晩」(ACCENT/AC 26501)を聴く。
ヴェクサシオン。 [2020]
一般的に、クラシックは、真面目で、お上品で、時に難しく、高尚だなんてイメージもございますが、けして、みんながみんなそうではございません。中には、トンデモないものも存在しております。ストを形にしてしまったハイドン(1732-1809)の45番の交響曲、「告別」とか、サイコロを振って音楽の展開を決めるモーツァルト(1756-92)の「音楽のサイコロ遊び」とか... さらに踏み込み占いで音楽の形を決めていく、つまり一合一会の作品、『易の音楽』を書いた実験音楽の騎手、ケージ(1912-92)は、無音の作品、「4分33秒」なんて、もはや音楽ではない作品も残しております。そうした数々の奇作の中でも、異彩を放つ作品が、サティ(1866-1925)の「ヴェクサシオン」。ま、ケージにも影響を与えるほどの奇才だけに、「ヴェクサシオン」ばかりが奇作ではないのだけれど、サティの指定通りに「ヴェクサシオン」を演奏するとトンデモないことになる!そのトンデモなさは、クラシック切ってのもの...
ということで、「ヴェクサシオン」に注目!小川典子が1890年製のエラールのピアノで繰り広げるサティのシリーズから、「ヴェクサシオン」のみを取り上げるという凄いアルバム、VOL.3 (BIS/BIS-2325)を聴く。
"Mozart's Maestri"、モーツァルトの師匠たち... [2014]
18世紀の音楽を、前半のバロック、バッハ、ヘンデル、ヴィヴァルディと、後半の古典主義、モーツァルト、ハイドンで片付ければ、もの凄く分かり易い。が、分かり易い、というのは、時として、真実を歪めてしまう(メルカトル図法の地図に似ているのかも... 球体の地球を無理やり方形の地図として表現すると、極地は異常に拡大され、赤道付近は縮んでしまうという、アレ... )。その顕著な例がモーツァルトかもしれない。バロックの後で、突如、モーツァルトという古典主義の神童が誕生した!みたいな、奇跡のようなイメージ、クラシックの中にはいつも漂っている気がする。もちろん、モーツァルトの天使のような音楽に触れれば、そういうイメージを持ってしまうのも、また自然なことかもしれない。が、実際は、大バッハら、バロックの大家たちがいて、その息子世代がポスト・バロックの道を切り拓き、モーツァルトは、その道を歩んだ、というのが史実であって... そして、今、改めて、その史実に注目してみる。天上から舞い降りた天使ではなく、先人たちからバトンを引き継ぎ、次代へと渡した音楽史の使徒としてのモーツァルトに... 普段、あまり注目されない先人たちも含めて...
ということで、ルカ・グリエルミのチェンバロと、彼が率いるコンチェルト・マドリガレスコの演奏で、前回、聴いたヨハン・クリスティアン・バッハのソナタを、モーツァルトが仕立て直した3つのピアノ協奏曲、K.107を軸に、モーツァルトの音楽をその師から見つめる一枚、"Mozart's Maestri"(ACCENT/ACC 24256)を聴く。
18世紀、ピアノが表舞台へと出ようとしていた頃... [2014]
18世紀前半、ロンドンの音楽シーンの顔と言えば、ヘンデル(1685-1759)!そして、後半の顔が、ヨハン・クリスティアン・バッハ(1735-82)。ズバリ、"ロンドンのバッハ"!バッハ家の末っ子にして、18世紀当時、父、大バッハ(1685-1750)を遥かに凌ぎ、国際的に知られていたのが、この人... ライプツィヒで生れ育ち、父から音楽を学び始めるも、14歳の時、父を亡くし、フリードリヒ大王の鍵盤楽器奏者を務めていた、次兄、カール・フィリップ・エマヌエル(1714-88)に引き取られ、ベルリンで音楽を学ぶ。が、ベルリンで、父や兄の音楽とは一線を画すイタリア・オペラに出会ってしまったヨハン・クリスティアンは、より広い世界を求め、1755年、家出。ベルリンで歌っていたイタリア人女性歌手にくっついて、イタリア、ミラノへ... そこで、首尾よくパトロンを見つけると、その支援で、当時のアカデミックな音楽の権威、ボローニャのマルティーニ神父(1706-84)に師事。しっかりと理論を体得して、1760年、ミラノの大聖堂の第2オルガニストに就任。が、野心的な若き作曲家は、オペラにも乗り出し、1761年、ナポリ楽派の牙城、サン・カルロ劇場で『ウティカのカトーネ』を上演、大成功!その評判はイタリア中に広がり... そんな新しい才能を放って置かないのがロンドンの音楽シーンでして、ロンドンからのオファーを受けたヨハン・クリスティアンは、1762年、ドーヴァー海峡を渡る。
ということで、ヨハン・クリスティアンが、ロンドン、4年目、1766年に出版した鍵盤楽器のための6つのソナタ、Op.5を、古典派のスペシャリスト、バルト・ファン・オールトが、1795年製、ヴァルターのピアノ(レプリカ)で弾いたアルバム(BRILLIANT CLASSICS/BC 94634)を聴く。そう、それは、ピアノが表舞台へと出ようとしていた頃...
大聖堂の外に出て、ラウダ、黄金伝説。 [before 2005]
ロマネスク期、修道院にて、じっくりと育まれた聖歌が、ゴシック期、大聖堂という壮麗な場所を得て、教会音楽へと発展。中世の音楽のメイン・ストリームは、黄金期を迎えるわけだけとれど、大聖堂の外では、また新たなムーヴメントが起こっていた... というのが、13世紀のイタリア、大聖堂で歌われるラテン語の聖歌(特別な教育を受けた聖職者=エリートたちによる... )の対極とも言える、ラテン語を解さない市井の人々が歌える聖歌、ラウダのブーム!その起源については、はっきり解っていないものの、ゴシック期のカウンター・カルチャー、アッシジのフランチェスコが始めた托鉢修道会、聖フランチェスコ会の活動(修道院に閉じ籠るのではなく、清貧を以って民衆の中へと入っていき、布教の際には、みんなでラウダを歌った... )によって広まり、民衆の音楽として、熱狂的に受け入れられることに... その後、14世紀、トレチェント音楽(ゴシック期の音楽先進国、フランスの最新のポリフォニーの影響を受けつつ、後のイタリアの音楽を予兆するかのようにメロディーを重視した音楽... )とも共鳴し、音楽としても発展を始め、ルネサンス期には、フランドル楽派の巨匠たちも作曲するまでに...
ということで、ラウダに注目。古楽アンサンブル、ラ・レヴェルディによる、13世紀の年代記作者、ヤコブス・デ・ウォラネギが書いた聖者列伝、『黄金伝説』に基づくラウダを集めた、"Legenda Aurea"(ARCANA/A 304)。中世のフォーク・ブームを聴く。
中世、黄金期、ゴシックの大聖堂を響かせる... [2018]
今、改めて、ヨーロッパの中世を見つめ直すと、何だか訳が分からなくなってしまう。つまり、それは、これまで、如何に"中世"を軽く見てきたかの表れでございまして... 反省... ということで、中世が覚醒する頃、ロマネスクの時代(11世紀から12世紀... )の表現に迫る、金沢百枝著、『ロマネスク美術革命』を読んでみた。読んでみて、大いに腑に落ちた。もちろん、主題は、中世が折り返した頃を彩るロマネスクについてなのだけれど、ロマネスクというムーヴメントがどういうものであったかを知ることで、中世という大きな展開が掴めた気がする。じわじわと進む古代の崩壊の後、もはや遺跡となってしまった古代ローマを、見よう見真似で復興し始めたのがローマ風=ロマネスク... その延長線上にバブリーなゴシックが花開いて、バブル崩壊(災厄の14世紀!)の後、真に古典を取り戻そうとしたルネサンスが訪れる。そうルネサンスまでを含めて、古代/古典の崩壊と復興の長い道程が中世なのかなと... そう思うと、何だか、凄くドラマティックな気がしてくる。そんな中世に響いた音楽です。じっくりと修道院で育まれた音楽が、より開かれた大聖堂に舞台を移して大きく花開く頃に注目!
ドイツの古楽器奏者、ミヒャエル・ポップ率いる、女声ヴォーカル・アンサンブル、ヴォーカメの歌で、14世紀に編纂されたトゥルネーのミサを軸に、中世、黄金期の大聖堂を響かせる、"CATHEDRALS"(CHRISTOPHORUS/CHR77420)を聴く。
修道院の歌。12世紀の単旋律の聖歌... [before 2005]
古代から中世への長い移行期間を経た先に、8世紀後半、カロリング朝により再統一された西欧。政治的再統一は、西欧の教会にも大きな影響を与え、各地で独自に育まれていた典礼は、ローマ教会の伝統の下に統一されることに... これにより、典礼を織り成す聖歌にも統一規格が整備され... それが、西洋音楽の種、グレゴリオ聖歌。で、興味深いのは、聖歌に関しては、古代以来のローマの伝統に倣うばかりでなく、各地で歌われていた聖歌が総合されたこと... そう、西洋音楽の種は、ゲノム編集で生まれた!なればこそ、ニュートラルに仕上がったグレゴリオ聖歌であって、教皇のお膝元、ローマで歌い継がれて来た古ローマ聖歌の古代地中海文化圏の性格が息衝く、ある種、ワイルドな性格と比べれば、それは、歴然。そして、そのニュートラルさが、西洋音楽の種としての可能性を押し広げたようにも思う。そして、その種を受け取り、発芽させ、育てたのが、修道院。そんな修道院で、じっくりと時間を掛け、ゆっくりと成長した聖歌、12世紀の単旋律の聖歌に注目...
ポール・ヒリアー率いるシアター・オブ・ヴォイセズの歌で、中世、フランスを代表する哲学者にして修道士、アベラールが書いた聖歌と、ラス・ウエルガス写本からの聖歌による"Monastic Song"(harmonia mundi FRANCE/HMU 907209)を聴く。
ドメニコ・ガブリエッリ、チェロ作品全集。 [before 2005]
北イタリア、アルプスとアペニン山脈に挟まれたポー平原が、クラシックにおける器楽曲の故郷... と言っても、ピンと来ない?やっぱり、音楽の都、ウィーンとか、ベートーヴェン、ブラームスらを輩出したドイツのイメージが前面に立ってしまうのがクラシック。音楽史におけるポー平原の重要さは、普段、あまりに目立たないのが、もどかしい!というポー平原、そのちょうど真ん中には、アマーティ、グァルネリ、そして、ストラディヴァリといった伝説的な名工たちが腕を競った街、クレモナがある。これが、とても象徴的... で、そうした楽器製作に裏打ちされ、平原の東の端、ヴェネツィアで、まず器楽演奏が盛んになり、ルネサンスからバロックへとうつろう頃、器楽曲の端緒が開かれる(それまでの器楽演奏は、歌のスコアを楽器で演奏するというもので... つまり、歌と器楽がリバーシブルなのが常だった!)。そうしたヴェネツィアでの試みは、間もなく平原に点在する宮廷や都市に広がり、やがて、北イタリア各地とイタリア中央部を結ぶ交通の要衝、ボローニャで活躍した、ボローニャ楽派によって、17世紀後半、ソナタ、コンチェルト、我々にとってお馴染みの器楽曲の形が整えられて行く。
ということで、ヴィターリ親子に続いてのボローニャ楽派、チェロのヴィルトゥオーゾ、チェロのための音楽を切り拓いたドメニコ・ガブリエッリに注目!鈴木秀美のチェロで、ドメニコ・ガブリエッリのチェロ作品全集(Arte dell'arco/TDK-AD009)を聴く。
"ヴィターリのシャコンヌ"から、ヴィターリの真実を見つめて... [2013]
ヴィターリと言えば、シャコンヌである。オルガンを伴奏に、ヴァイオリンがエモーショナルに歌い上げる、あの有名な作品... が、ヴィターリのシャコンヌ、ヴィターリとは関係の無い作品であることが判明している。そもそも、"ヴィターリのシャコンヌ"は、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を初演(1845)したヴァイオリニストで作曲家、バロック期のヴァイオリン作品の校訂も多く手掛けたダヴィッド(1810-73)が、ドレスデンで見つけた写筆譜(18世紀前半、ドレスデンの宮廷楽団で写譜の仕事をしていたリントナーによる音楽であるとのこと... )をアレンジしたもの。その写筆譜に、「トマゾ・ヴィタリーノ(ヴィターリの息子、トマゾ)の楽譜」とあったため、"ヴィターリのシャコンヌ"として、ダヴィッドが世に送り出す。いや、何とも複雑で皮肉な話し... ダヴィッドによるフェイク・ヴィターリが、「ヴィターリ」という名をクラシックの世界に刻んだのだから... 一方で、刻むだけのインパクト、"ヴィターリのシャコンヌ"には確かにある。心、揺さぶられる音楽です。シャコンヌ。久々に聴くと、余計に...
ということで、ステファニー・ド・ファイー率いる、古楽アンサンブル、クレマティスによる、ジョヴァンニ・バティスタとトマゾ・アントニオのヴィターリ親子の器楽作品集、"CIACONNA"(RICERCAR/RIC 326)。"ヴィターリのシャコンヌ"を扉に純正ヴィターリを聴く。
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