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フランスにおける"交響曲"とは... フランスの山人の歌による交響曲。 [2013]

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交響曲というと、やっぱりドイツ―オーストリアのイメージが強い... で、フランスはというと、やっぱり影が薄い。けど、音楽史を紐解けば、交響曲が形作られて行く18世紀、パリの音楽シーンが担った役割は、けして小さくは無い。当時、パリを代表するオーケストラ、ル・コンセール・スピリチュエルは、ゴセックルデュクらフランスの作曲家はもちろん、マンハイム楽派の交響曲やモーツァルトのパリ交響曲をも演奏し、交響曲の父、ハイドンに関しては、1780年代、ライヴァル、コンセール・ド・ラ・ロージュ・オランピークと競って取り上げ、一大ブームを巻き起こす(そうした中から、かのパリ・セットが委嘱され、偽ハイドンまで登場... )。が、19世紀に入るとフランスの作曲家たちは、交響曲よりもオペラでの名誉に傾倒、幻想交響曲(1830)という突き抜けた作品を生み出すも、フランスにおける交響曲は下火に... そんな空気を大きく変えたのが普仏戦争(1870-71)。この戦争でフランス帝国は瓦解し、ドイツ帝国が成立するわけだけれど、その事実を目の当たりにしたフランスの作曲家たちは、やがて音楽でドイツを克服しようと覚醒!1880年代、フランスの交響曲の名作が、次々に誕生する。
ということで、フランスにおける交響曲の覚醒に注目してみようと思う。ラモン・ガンバが率いたアイスランド交響楽団による、ダンディのオーケストラ作品のシリーズから、第5弾、フランスの山人の歌による交響曲(CHANDOS/CHAN 10760)を聴く。

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