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ラッスス、レクイエム。 [before 2005]

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やれ、お肉だ、マスクだ、あーじゃない、こーじゃない、メディアやネットの喧々囂々の日々を見つめていると、日本は、まだまだ余裕綽々なんだなと思う(もちろん、皮肉っス... )。世界を見渡してください。イタリアで、スペインで、アメリカで、毎日、信じられない数の人たちが、忌々しいウィルスの犠牲となっています。大きな戦争があったわけでも、大津波に襲われたのでもないのに、毎日、毎日、世界中で... 今、我々は、かつてない状況を目の当たりにしています。ほんの少し前まで、想像だにできなかった状況です。そして、ほんの少し前まで、普通に暮らしていた人たちが、看取られることなく旅立ち、葬儀すらできないという厳しい状況下にあるわけです。私たちは、もう少し、そうした世界に寄り添っても良いのではないでしょうか?特効薬もワクチンも無い中で、やれることは限られています。3密避けての、手洗い、マスク... 限られてはいるものの、そのシンプルな行動こそが、ウィルスに対しての最大の攻撃!誰かに文句を言ったところで、何も始まらない。ならば、やれることをやるのみ。そして、今日は、全ての犠牲となった人たちを悼もう。音楽を聴いて、悼もう。世界に寄り添おう。
ということで、ヒリアード・アンサンブルが歌う、ラッススのレクイエム(ECM NEW SERIES/453 841-2)。美しく静かなア・カペラによるルネサンス期のレクイエムを聴いて、悼む。そして、清浄なるルネサンス・ポリフォニーを聴いて、心を落ち着かせる。

暗黒の中世の後に、開明なルネサンスがやって来た!という構図は、とても解り易い。しかし、解り易い構図というのは、往々にして実際の姿を大きく歪めてしまう。中世の全てが暗黒だったわけではないし、ルネサンスの文化的な開明の背景には、新しい時代を迎えるにあたり、揺さぶられるヨーロッパの姿が常にあった。そして、ラッスス(1532-94)が生きたルネサンス後半は、新しいものと古いものの対立は日増しに激しいものとなり、ヨーロッパの状況は複雑化して行く。神聖ローマ皇帝の地位を世襲化し、スペイン王位も獲得して、ヨーロッパ最大の勢力にのし上がったハプスブルク家と、伝統的なヨーロッパの盟主、フランス王家のライヴァル関係が始まり、両者の覇権争いは、各地で戦争を引き起こし、さらに、1517年、宗教改革が始まると、新教、旧教が対立、間もなくヨーロッパは宗教戦争の泥沼にはまって行く。いや、宗教を巡る争いというのは、いつの時代も惨たらしい結果を生み... 1527年、ローマ教皇と神聖ローマ皇帝の対立から起こったローマ劫掠では、皇帝軍のドイツの新教徒の傭兵たちが、旧教の総本山、ローマに襲い掛かり、聖都は地獄絵図と化す。これにより、ルネサンスの一大中心地だったローマは、その後、一世紀もの間、輝きを失ってしまった。一方、フランスでも、新教、旧教の対立は沸点に達し... 1572年、和解のための、王の妹、マルグリットと、新教の旗頭、ナヴァール王、アンリ(後のフランス王、アンリ4世... )の婚礼を祝うためパリにやって来た新教徒たちを旧教徒たちが襲い、凄惨なサン・バルテルミーの大虐殺が起こる。そう、暗黒の中世の後の開明なルネサンスの背景には、深い闇が広がっていた。ならば、ルネサンス・ポリフォニーが生む、あの天国的な表情は、厭世なのかもしれない。
そんな背景から見つめる、ラッススのレクイエム(track.1-9)は、ただただ、美しい。何より、ア・カペラによって生み出される、その清らなる響きは、ヘヴンリー... 何より、人の声が持つ温もりが、何とも言えないやさしさを紡ぎ出す。レクイエムというと、例えばモーツァルトにしろ、ヴェルディにしろ、強い悲しみがベースにあって... もちろん、それらは、ルネサンスのずっと後の音楽ではあるのだけれど、我々が思い描くレクイエム像には、他の教会音楽(典礼のための音楽というのは、やっぱり儀式張ったところがある... )とは一味違うエモーショナルさがある。死者を送り出すということは沈痛だし、慟哭だってするだろう。が、そうした一般的な感情からは解脱してしまったようなやさしさに包まれるのがラッススのレクイエム... 戦争に次ぐ戦争、宗教対立の闇の深さの裏返しとしてこのやさしさに触れると、何か、こう、ズーンと来る。また、ラッススの音楽を丁寧に聴いてみると、そこはかとなしに重みのようなものを感じる。フランドル楽派、最後の巨匠と言われるラッススの、最後なればこその、それまでのルネサンス・ポリフォニーの集大成とでも言おうか、よりしっかりとポリフォニーを織り成し、ただふんわりするだけでない、地に足の着いた安定感を生む(なればこそ紡ぎ出されるやさしさでもあるのかなと... )。で、その安定感こそが、ラッススの音楽のおもしろさなのかも... フランドル楽派から一歩を踏み出す安定感...
そう、最後の巨匠の音楽には、最後なればこそ、新たな時代の夜明けが見え始めていた... ヴェネツィアでは、ポリフォニー=多声から、分割合唱=コーリ・スペッツァーティのニ分割へという流れが生まれ、ラッススと同世代、ローマ楽派の大家、パレストリーナ(ca.1525-94)は、対抗宗教改革により、華美な音楽(爛熟のルネサンス・ポリフォニー!)に制限が掛かり、声部を整理して、より合理的にポリフォニーを織り成す、パレストリーナ様式(後の音楽の重要な要素となる対位法の種... )へと至っている。そうした中、ラッススは、イタリアで研鑽を積み(1553年、21歳にして、ローマの四大バシリカのひとつ、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂の楽長に就任... で、後任が、パレストリーナだった!)、一度、フランドルへと戻った後で、ミュンヒェンの宮廷に仕え、1553年には楽長に昇り、国際的な名声を確立している。そんなラッススの音楽は、コーリ・スペッツァーティやパレストリーナ様式のように、明確に独自の形を示すことはないけれど、ルネサンス後半のモードと共鳴し、ある意味、いいとこ取りの、絶妙なインターナショナル・スタイルを見せる。フランドル楽派ならではのヘヴンリーさを維持しながら、しっかりと声部をコントロールし、安定感を生みながら、さらりとホモフォニックな部分を入れて、印象的に音楽を展開してみせる。だから、惹き込まれる。惹き込まれて、得も言えぬやさしさを感じる。
というラッススを、ヒリアード・アンサンブルの名盤で聴くのだけれど、さすが、名盤です。で、やっぱり、ヒリアード・アンサンブルは凄い... 澄み切ったアンサンブルを織り成しながら、けして冷たくなることはなく、ふわっと明るく、その明るさに、温もりが籠められていて... 均質に声を揃えながらも、ひとりひとり体温を感じる歌声を響かせることで、人間味がハーモニーからこぼれ出す。その人間味が、厭世的なルネサンス・ポリフォニーによるレクイエムに、そこはかとなしに悲しみを滲ませる。その滲む悲しみが美しい... 美しさに昇華された悲しみは、聴く者を深く癒す。レクイエムは、死者のためのミサだけれど、結局、その音楽を耳にするのは生者であって、死による喪失を慰めるのが、レクイエムのあるべき姿なのかも... ヒリアード・アンサンブルの歌声は、そんなことを思わせて、沁みる。さて、レクイエムの後で、やはりラッススのシビュラの預言(track.10-22)も歌われるるのだけれど、こちらは、少し趣きを異にし、預言だけに、ホモフォニックな音楽を紡いで、メッセージとしての力強さを印象付けて来る。ヒリアード・アンサンブルの澄み切ったアンサンブルは、こちらでは、差し込む光のように真っ直ぐに聴き手を照らすようで、また惹き込まれる。レクイエムが癒しならば、シビュラの預言は、ともしび、だろうか... 癒しからの一歩、静かに明日への道筋を示してくれるかのよう。

THE HILLIARD ENSEMBLE LASSUS

ラッスス : レクイエム
ラッスス : シビュラの預言

ヒリアード・アンサンブル
デイヴィッド・ジェイムズ(カウンターテナー)
ロジャーズ・カヴィ・クランプ(テノール)
ジョン・ポッター(テノール)
ゴードン・ジョーンズ(バリトン)

ECM NEW SERIES/453 841-2




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