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チャイコフスキー、聖金口イオアン聖体礼儀。 [2019]

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今、日本人宇宙飛行士たちへのインタビューをまとめた『宇宙から帰ってきた日本人』(稲泉連著)という本を読んでおります。で、語られる、地球を飛び出して、地球を見つめての、それぞれの印象... 思ったより小さかった、大きかった、ひとつの宇宙船のようだった、ひとつの生命体のようだった、そして、思いの外、儚く感じられた... 宇宙飛行士だからこその知見は実に興味深く、またそこに、今、現在、地球が置かれている状況を重ねれば、感慨を覚えずにはいられない。で、おおっ?!と思ったのが、2015年、国際宇宙ステーションに滞在した油井さんの、宇宙から地球を見つめる感覚は、「ロシア正教の教会に入ったときの感覚」に似ているというもの... スペースシャトル退役後、ソユーズが発射するロシアが宇宙への玄関となり、ロシアでも訓練を受けることになった油井さんは、何度かロシア正教の教会を訪れ、そこにあった厳かさ、静寂が醸し出す神秘が、地球が浮かぶ宇宙空間にも感じられたのだとか... いや、俄然、ロシア正教会が気になってしまうじゃないすか!
ということで、ロシア正教会の教会音楽に注目してみる。シグヴァルズ・クラーヴァ率いるラトヴィア放送合唱団で、チャイコフスキーの聖金口イオアン聖体礼儀と、9つの聖歌(ONDINE/ODE 1336-2)を聴く。そこから、宇宙空間を追体験... できるか?

『白鳥の湖』『眠れる森の美女』『くるみ割り人形』という有名な三大バレエがあって、1番のピアノ協奏曲に、ヴァイオリン協奏曲と、華麗なるコンチェルトがあって、最後の交響曲、「悲愴」や、幻想序曲「ロメオとジュリエット」のドラマティックなオーケストラ作品があって、「1812年」や、弦楽セレナードのような、ややネタっぽくもあるキャッチーな作品もあって、「偉大な芸術家の思い出に」というタイトルそのままに、壮大なるを音楽を繰り広げるピアノ三重奏曲があって、『エフゲーニ・オネーギン』や『スペードの女王』といった定番のオペラもあって... 改めてチャイコフスキーの音楽を俯瞰すれば、そのオールマイティさに驚かされる。一方で、その教会音楽に注目されることはあまりない... てか、教会音楽、書いていた?と、なりそうなのだけれど、数こそ少ないものの(ここで聴く、聖ヨハネ・クリュソストモスのリトゥルギアと9つの聖歌に、もうひとつ、晩禱の3作品... )、ロシア音楽の偉大なる先人、ボルトニャンスキー(1751-1825)の膨大な教会音楽を校訂し、10巻からなるボルトニャンスキー聖歌集を出版(1881)するほど、教会音楽への熱量は、他のジャンルに劣らないものがあったチャイコフスキー... が、バレエやコンチェルトのように注目を集めるに至っていないのは、ロシア正教会における教会音楽の地味さがあるのだろう。正教会=オーソドックス・チャーチだけに、古来の伝統が守られるロシア正教会、その教会音楽は、器楽による伴奏が許されない。当然、ア・カペラとなる(西方教会からすれば、グレゴリオ聖歌の段階に留まっている状態?)。いや、あの華麗な音楽を繰り出すチャイコフスキーが、ア・カペラというフォーマットを受け入れていること自体が驚きなのだけれど... ヴェネツィア楽派、ガルッピ(1706-85)に師事し、西欧のロジックをロシア正教会に持ち込んだボルトニャンスキーに対し、苦言を呈するほどの硬派だったりするチャイコフスキー。その教会音楽は、いつものチャイコフスキーらしさとは対極にある、伝統主義者としての一面を見せる。
という、チャイコフスキーの教会音楽、まずは、1878年に作曲された聖金口イオアン聖体礼儀(track.1-10)。4世紀後半から5世紀初頭に掛けて活躍したギリシア教父(ギリシア語で著述した神学者... )で、東方正教会の教皇にあたる、コンスタンティノポリス総主教も務めた金口イオアン(ラテン語で、ヨハネス... そのすばらしい説教を讃えて、黄金の口、金口と呼ばれる。で、金口のラテン語が、クリュソストモス... それで、この作品、"聖ヨハネス・クリュソストモスの典礼"と呼ばれる。が、誤訳になるみたい... )に捧げられる典礼のための音楽(つまり、カトリックにおけるミサにあたる... ロシア正教会では定番の典礼で、ボルトニャンスキーやラフマニノフらも作曲... )。先唱者の厳かな朗唱の後、まるで天国の扉が開くような、明るさに満ちたア・カペラのコーラスのインパクトたるや!ア・カペラとはいえ、けして説教臭い音楽ではなく、ロシアの聖歌ならではの何とも言えないやわらかさに包まれながら、チャイコフスキーらしさも感じるメロディアスさに彩られ、魅了されずにいられない。いや、この感覚、西方教会とは明らかに一線を画す。で、圧倒的に美しいハーモニーに包まれていると、どこか宇宙に思えて来るところも... ア・カペラの、声のみにより生まれる独特な鮮烈さは、宇宙望遠鏡が撮らえた、宝石箱のような銀河や、驚くべき色彩を放つガス雲など、驚異的な宇宙の姿を思わせて、この世ならざる感覚を覚える。で、おもしろいのが、そういう感覚を持った響きが、チャイコフスキーの音楽像を越えて行ってしまうところ... コッテコテな19世紀の音楽を、ドヤ顔で響かせていたチャイコフスキーとは思えないニュー・エイジ感とでも言おうか... 現代的?とすら思える雰囲気が広がって、不思議。これが、ロシア正教会の伝統に籠められた神秘?それが、宇宙へと通じる?なんて思うと、またちょっと違った感動を覚える。いや、そのスペイシーさ、魅力的!
そんな、聖金口イオアン聖体礼儀(track.1-10)は、ロシアにおける教会音楽にとって、極めて挑戦的な作品だった。というのも、19世紀の初頭に、宮廷礼拝堂(ロシアにおける教会音楽の統括機関でもあった... )の楽長を務めたボルトニャンスキーによって整備(それは、つまり、西欧化... )された聖歌を歌い継ぐのが、当時のロシア正教会の教会音楽であって、新しい作品が生まれる余地は無かった。チャイコフスキーは、そこに割って入ったことになる。だから、宮廷礼拝堂から訴えられている。に対して、新作、聖金口イオアン聖体礼儀は、コンサートで歌う作品であると主張し、チャイコフスキーが勝訴!これが切っ掛けとなり、ロシア音楽に、教会音楽というジャンルが成立することに... そして、ボルトニャンスキー以前、本来のロシアの伝統に帰ろうと、チャイコフスキーは尽力する。そして、生まれたのが、9つの聖歌(track.11-19)。作品番号が無いこの作品は、1884年から翌年に掛けて作曲された、ヘルビム讃歌など、ロシア正教会で歌われる様々な聖歌がまとめられたもの... だから、聖金口イオアン聖体礼儀(track.1-10)より、より教会音楽としての表情を濃くするよう... 祈りがより率直に感じられて、心を打つところも... ところで、2番のヘルビム讃歌(track.12)が、フォーレのレクイエム(1888)のピエ・イエズを思わせる瞬間があって、おおっ?!となる。いや、フォーレのレクイエムに広がる瑞々しさ、たおやかな表情は、ロシア正教会に通じるものがあるのかもしれない。裏を返せば、フォーレ的な美しさを湛えたチャイコフスキーの聖歌か?そんな聖歌が、普段、あまりに注目されないことが勿体ない!
それを、強く感じさせてくれる、クラーヴァ+ラトヴィア放送合唱団。さすがは、合唱王国、北欧... 北欧ならではのクリアなハーモニーに、まず、惹き込まれる。で、そのクリアさが、クール過ぎたりしないのが、彼らの音楽性... 北欧でも、バルトの国、ラトヴィアの、ロシアとの深い関係性が育む東方性だろうか?その歌声には、どこか、大地に根差すような深さ、力強さがあって、美しいばかりでない、祈りが持つエモーショナルさも絶妙に聴かせてくれる。なればこそ、硬派な伝統主義者、チャイコフスキーのもう一面が引き立つ。で、そんなチャイコフスキーの音楽が、思いの外、マッシヴで、ちょっと、ゾクっと来る(普段、姐さま、ドォラグでらっしゃるから... )。いや、ロシア正教会の教会音楽には、どこか母性を思わせる、やわらかなイメージがあるのだけれど、そういうやわらかさに、マッシヴさが加わって、ちょっと、ただならない。しかし、ア・カペラが本領を発揮した時の様は、圧倒的!その歌声からは、光さえ感じられそう... で、そんな歌声に包まれれば、浄化されるよう。そう、癒しではなく、もはや、浄化!そういうパワフルな歌声を、国際宇宙ステーションからの映像に合わせたら、絶対に凄いと思う。教会音楽でありながら、教会という建物に収まらない広がりを響かせて、ムジカ・ムンダーナ=宇宙の音楽を実感させてくれるはず... てか、祈りとは、本来、そういうものか...

TCHAIKOVSKY: LITURGY OF St.JOHN CHRYSOSTOM ・ SACRED CHORUSES
LATVIAN RADIO CHOIR ・ SIGVARDS KĻAVA


チャイコフスキー : 聖金口イオアン聖体礼儀 Op.41
チャイコフスキー : 9つの聖歌

シグヴァルズ・クラーヴァ/ラトヴィア放送合唱団

ONDINE/ODE 1336-2




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