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ショスタコーヴィチ、7番の交響曲、レニングラード。 [2013]

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オペラの序曲、シンフォニアが独り立ちして、歩み出した、交響曲の歴史。18世紀、教会交響曲が登場し、協奏交響曲がブームとなって、さらに、「自然に帰れ」の波に乗り、田園交響曲まで誕生。19世紀になると、ロマン主義に刺激され、より自由な交響詩を派生させる。絶対音楽たる交響曲ではあるけれど、その歴史を振り返れば、それぞれの時代を反映したヴァイリエイションが存在していて、なかなか興味深い。で、20世紀は?戦争交響曲... それは、2つの世界大戦のあった世紀を象徴する音楽だったと言えるのかも... もちろん、「戦争交響曲」に、明確な定義はない。けれど、近代戦の衝撃を目の当たりにし、生み出された交響曲には、独特な存在感がある。第一次大戦(1914-18)により国家存亡の危機を経験したデンマークのニールセンによる4番、「滅ぼし得ざるもの」(1914-16)と、5番(1921-22)や、第一次大戦下、ロシア革命(1917)により独立を果たすも、内戦(1918)に突入し、苦難を味わったフィンランドのシベリウスによる5番(1915/21)にも、戦争交響曲的な性格を見出せる気がする。が、20世紀、戦争交響曲と言えば、やっぱりショスタコーヴィチ...
ということで、第二次大戦、レニングラード包囲戦の最中、作曲された戦争交響曲。ヴァシリー・ペトレンコ率いる、ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、ショスタコーヴィチの7番の交響曲、「レニングラード」(NAXOS/8.573057)を聴く。

7番、「レニングラード」といえば、やっぱり、1楽章。一度、耳にしたら、忘れられない戦争のテーマ(昔々、CMに使われて、みんな歌っていた、あのメロディー... )!それが、ボレロみたいに、何度も何度も繰り返されて、どんどん大きくなって行って... 静けさの中から現れる戦争のテーマは、穏やかな草原に戦車隊が遠くからやって来るようで、それがどんどん近付いて来て、ゾクゾクさせられるものがある(劇画ちっく!)。が、やがて戦闘が始まり、穏やかな草原は硝煙に包まれて... まるで、戦争映画を見るような、解り易い展開。で、今、改めて、凄いなと思うのが、そういう情景的な音楽を、ソナタ形式に落とし込めているところ。いや、ソナタ形式によって、事態の推移を整理さえしているショスタコーヴィチ。戦争のテーマは、展開部にあたり、まさに展開して、大いに盛り上げるのだけれど、その後で、戦争がやって来る前の静けさ、第2主題を再現部で再び奏でて、その静けさに、戦闘による破壊の虚しさを映す。あまりに戦争のテーマのインパクトが強過ぎるから、なかなか全体に意識が向き難いところもあるのだけれど、ショスタコーヴィチが、この1楽章に描き出した戦争の姿には、独特な瑞々しさがある。そこには、実際に戦争を目の当たりにしたからこその感覚が反映されているのだろう。
第二次大戦の開戦から2年目、1941年6月22日、独ソ不可侵条約を破り、ドイツ軍は、突如、ソヴィエトに侵攻。独ソ戦が始まる。不意を突かれたソヴィエト軍は、各地で劣勢に立たされ、瞬く間にロシア西部が占領されると、ショスタコーヴィチが生まれ育ったソヴィエト第二の都市、レニングラード(現在のサンクト・ペルブルク... )の目前にまでドイツ軍は迫って来る。そうした中、7月19日に書き始められるのが、7番、「レニングラード」。8月、音楽関係者の多くが疎開するも、愛国心を掻き立てられたショスタコーヴィチは踏み止まり、ますます勢い込んで作曲を続ける。そして、9月3日、長大な1楽章が完成。一方、ドイツ軍は、レニングラードを着々と包囲。9月8日には、砲撃を開始し、多くの市民が命を落とすことになるレニングラード包囲戦(1941-44)が始まる。それでも、ショスタコーヴィチの筆は、ますます勢い付き、9月17日には2楽章を書き終え、その日、ラジオ番組に出演。今、まさに作曲されている交響曲について語りながら、この困難な中に在っても、いつも通り作曲を続けていると、レニングラードの人々を鼓舞する。が、戦況は厳しく、3楽章が完成した翌日、9月30日、避難命令を受け、4月1日、妻とこどもたちとともに、空路、モスクワへ... が、モスクワも空爆の危険に曝されており、さらに避難は続き、カザフスタンに程近いロシア南東部、クイビシェフ(現在のサマーラ。で、独ソ戦中、政府が疎開していた... )へと向かう。終楽章は、このクイビシェフで、年末までに完成。ソヴィエト軍が反転攻勢に出る、春、1942年3月5日、やはり、モスクワから疎開していたボリショイ劇場のオーケストラによって初演される。
いや、まさに戦火の中、作曲されたのだなと... その過程を追えば、まさに戦争交響曲であることを思い知らされる。で、その過程を丁寧に見つめれば、それぞれの楽章が書かれた時期、状況を反映しているようにも思えて、なかなか興味深い。元気いっぱいに戦車隊が走って来る1楽章は、まだまだ作曲家のテンションも高かったのかもしれない。が、レニングラード包囲戦が始まってからの2楽章(track.2)、3楽章(track.3)では、じわりじわりと緊迫して来る様子が窺えて... 敵軍に包囲されて、どこか息を潜めるような2楽章(track.2)。努めて、いつも通りに振る舞おうとしながらも、もはや1楽章で響いていた余裕は無いのか... 3楽章(track.3)に至っては、厭世的ですらあって... そういう点で、戦争っぽさは、どんどん薄れてゆくのだけれど、砲撃の音に震えながら、こういう音楽を書いていたかと思うと、ズシリと来るものがある。そこから、包囲網を脱し、疎開先で書かれた終楽章(track.4)には、緊張が解けての落ち着きが感じられる。そんな終楽章(track.4)に触れると、ショスタコーヴィチ本来のクウォリティが取り戻されるような印象もあって、それまでが如何にいつも通りでなかったかを思い知らされる。で、そうした歩みを経て、終楽章の最後、1楽章の第1主題が戻って来るのだけれど、1楽章の冒頭では、随分と調子良く響いていたメロディーが、まったく異なる表情を見せ、どこか遠い目で響いて来て、揺さぶられる。そこに、砲撃を掻い潜り、空爆から逃れて来たショスタコーヴィチの心境が浮かぶよう。
で、それを炙り出すような、ヴァシリー+ロイヤル・リヴァプール・フィルの演奏。ヴァシリーのショスタコーヴィチとの向き合い方は、いつも通り、あっさりとしたもの。現代っ子世代にとっちゃ、レニングラード包囲戦も、歴史の教科書の1ページ。20世紀を知るマエストロたちが、熱く奏でたショスタコーヴィチとは、明確に一線を引く。けれど、それくらいに距離を取ったればこそ、いつも通り、リアルなショスタコーヴィチが浮き彫りになる魔法!で、浮き彫りになって感じる、1楽章、2楽章、3楽章、そして、終楽章の作曲家の温度感の違い、音楽としてのクウォリティの差... これが、実に興味深い!下手に、まとめようとしないから、それらをしっかりと感じられて、さらに、凄いのは、楽章を経る過程で、戦争という存在が、どんどん研ぎ澄まされて行くような感覚を生むところ。だから、最後、様々な感慨が溢れ出す。戦争の勝利を確信するような、希望を持たせる最後のコーダだけれど、そればかりでない、ショスタコーヴィチの複雑な思い、本物の戦争と向き合っての何とも言えない感情を見通す、ヴァシリー+ロイヤル・リヴァプール・フィルの演奏。7番、「レニングラード」、この伝説的な戦争交響曲に、伝説ではない真実を呼び覚まし、また新たな感慨をもたらしてくれる。

SHOSTAKOVICH: Symphony No. 7

ショスタコーヴィチ : 交響曲 第7番 ハ長調 Op.60

ヴァシリー・ペトレンコ/ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団

NAXOS/8.573057




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