ショスタコーヴィチ、13番の交響曲、バビ・ヤール。 [2014]
今、改めて、ソヴィエトの音楽を振り返ってみると、実に興味深いなと感じる。ロシア革命(1917)に呼応するように、ロシア・アヴァンギャルドが炸裂した1920年代、刺激的な音楽が次々に生み出されるも、そうした自由は長く続かず、1930年代、スターリンが政権を掌握すれば、革新は嫌悪され、伝統回帰へ... やがて「社会主義リアリズム」という名の検閲が始まる。さらに、第二次大戦を経て冷戦が始まれば、西側の最新の音楽(いわゆる"ゲンダイオンガク"... )からは切り離され、旧時代が奇妙な形で保存される。それは、極めて抑圧的な状況... が、プレッシャーが加えられての表現は、他ではあり得ないセンスを育んで、ソヴィエトならではのテイストを聴かせてくれる。いや、クリエイターとは、どんな状況下に在っても、オリジナリティというものを模索し、形作って行くのだなと... かつては体制に即した音楽だ、プロパガンダだと言われながらも、その体制が消滅し、プロパガンダが無意味となった今こそ、ソヴィエトの音楽の特異性は解き放たれるのかも... ということで、ヴァインベルクを聴いたら、やっぱりショスタコーヴィチも... で、山あり谷あり、苦闘の果ての、晩年の交響曲に注目。
ヴァシリー・ペトレンコ率いる、ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団の、ショスタコーヴィチのシリーズから、13番の交響曲、「バビ・ヤール」(NAXOS/8.573218)と、14番の交響曲、「死者の歌」(NAXOS/8.573132)の2タイトルを聴く。
ヴァシリー・ペトレンコ率いる、ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団の、ショスタコーヴィチのシリーズから、13番の交響曲、「バビ・ヤール」(NAXOS/8.573218)と、14番の交響曲、「死者の歌」(NAXOS/8.573132)の2タイトルを聴く。
前回、注目した、ショスタコーヴィチの弟分、ヴァインベルク... ユダヤ系だったことで、ナチス・ドイツの侵攻を受けたポーランドからソヴィエトへと亡命するわけだけれど、その先でもユダヤ人差別に苦しめられることになる。そう、ユダヤ人を迫害したのは、ナチス・ドイツばかりではなかった史実... 19世紀に始まるロシアにおけるユダヤ人に対する暴力、ポグロム(これがあって、ヴァインベルクの両親は、それぞれロシアからポーランドへと移住... )があり、1917年、ロシア革命を経て、間もなくソヴィエト政府が樹立されると、反ユダヤ主義は政策にすらなって、多くのユダヤ系の人々が、厳しい状況を生きねばならなかった。そして、ショスタコーヴィチは、ユダヤ系の人々に共感を寄せていた。「社会主義リアリズム」の検閲下、シベリア送りの恐怖と隣り合わせだった作曲活動と、ユダヤ系の人々が置かれた状況は、重なる部分もあっただろう... 歌曲集『ユダヤの民俗詩から』(1948)という、より直接的な作品があり、ユダヤの聖歌や、クレズマーからの借用や影響が散見されるショスタコーヴィチ作品。そうした中で、決定作とも言えるのが、ここで聴く、13番の交響曲、「バビ・ヤール」。独ソ戦の最中、ウクライナのキエフ郊外の谷、バビ・ヤールでの、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺(1941)を告発。で、バビ・ヤールでの虐殺に絡め、ロシアに蔓延する反ユダヤ主義をも批判するエアトゥシェンコ(10代で詩才を開花させ、ポスト・スターリンの時代、自由を謳い、新しい世代の詩人として人気を博す... )の詩を1楽章で歌う。
そう、バビ・ヤールについて歌うのは、1楽章のみ... 1962年、歌付きの交響詩として書き始められた「バビ・ヤール」。ショスタコーヴィチを掻き立てるテーマだったか、それは瞬く間に完成。が、間もなく、持病の右手の神経痛の悪化で入院することになったショスタコーヴィチ、入院中、エアトゥシェンコの詩集を読む機会を得て、その詩に魅了されることに... そうして、「バビ・ヤール」に留まらず、エアトゥシェンコの詩を音楽化。さらに4つのパートが加えられ、5楽章の交響曲に!てか、それは、交響曲ではなくて、明らかに連作歌曲... でもって、バスの独唱とバス合唱によって歌われるのだけれど、バス一色による歌いは、一種異様(ちょっと応援団ちっく!)。それまでの歌付き交響曲にはないインパクトがある。いや、前年に初演された、オーソドックスな、つまりプロパガンダとして優等生な交響曲、12番、「1917年」の反応が芳しくなかっただけに、そのインパクトには意味があった... ユダヤ人差別、エアトゥシェンコの詩、そして、政府にも物申す("雪融け"の時代が、それを、ある程度、許した... )!あらゆる要素が刺激となり、ショスタコーヴィチのスイッチは入ったか?捉われないところから生まれた音楽は、腹を括っての勢いがある。それが、思いの外、魅力的な音楽を響かせる。そして、1963年、政府からの嫌がらせがありながらも、初演は大成功!結局、苦難を強いられていたのは、国民の全て...
という作品を、ヴァシリー+ロイヤル・リヴァプール・フィルの演奏で聴くのだけれど、ヴァシリーならではの現代っ子感覚が、この「バビ・ヤール」でも活きる!ソヴィエトの重苦しさはバッサリいって、サクサクと音楽を展開してしまうのが、彼らのシリーズの特徴。ある意味、めちゃくちゃライト!で、良いのか?!いや、それくらいだからこそ、ショスタコーヴィチの音楽そのものが浮き彫りにされ、本当のおもしろさ、凄さに目を見張ることになる。で、興味深いのは、そこに籠められたメッセージ性も、より解り易く示されること... で、この交響曲の看板、1楽章、「バビ・ヤール」などは、どこか映画を見るような感覚が生まれ、バビ・ヤールの悲劇性が生々しく切り取られるようで、ズシリと訴え掛けて来る。続く、2楽章、「ユーモア」(track.2)では、切れ味鋭く、ソヴィエトの薄っぺらさ(これって、今の世の中にも当てはまるよなァ... )を見事に風刺して、気持ちいいくらい!で、忘れてならないのが、ヴィノグラードフの明るさも見せるバス!ロイヤル・リヴァプール・フィル合唱団の男声パートとハダースフィールド合唱協会の、表情豊かなコーラス!バスだからと重々しくなるばかりでなく、実に器用にそれぞれの楽章のトーンを歌い上げ、この作品のおもしろさを、炸裂させる。
SHOSTAKOVICH: Symphony No. 13
■ ショスタコーヴィッチ : 交響曲 第13番 変ロ短調 Op.113 「バビ・ヤール」
アレクサンドル・ヴィノグラードフ(バス)
ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー合唱団(男声)、ハダースフィールド合唱協会
ヴァシリー・ペトレンコ/ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団
NAXOS/8.573218
■ ショスタコーヴィッチ : 交響曲 第13番 変ロ短調 Op.113 「バビ・ヤール」
アレクサンドル・ヴィノグラードフ(バス)
ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー合唱団(男声)、ハダースフィールド合唱協会
ヴァシリー・ペトレンコ/ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団
NAXOS/8.573218
13番、「バビ・ヤール」の初演から6年後、1969年に作曲されたのが、次に聴く、14番、「死者の歌」。スターリンの死(1953)により、恐怖政治が終焉を迎えると、その後継者として書記長に就任したフルシチョフは、1956年、スターリン批判を展開。ソヴィエトは、"雪融け"の時代を迎える。が、雪が融け出せば、雪崩が起こる?ハンガリー動乱(ソヴィエトの影響下から脱しようと試みた民衆蜂起。ソヴィエト軍により鎮圧される... )を筆頭に、各地で自由化を求める機運は高まり... 「バビ・ヤール」にもそうした意志は表れており、なればこその政府による嫌がらせがあって... 自由の行き過ぎは、ソヴィエトとして看過できる事態ではなかった。そして、「バビ・ヤール」が大成功した翌年、1964年、"雪融け"をもたらしたフルシチョフは失脚。ブレジネフが新たな書記長となると、再びの冬がやって来る。スターリンの厳冬に比べれば、それは、暖冬だったかもしれない。が、ブレジネフによる寒の戻りは、春の新たな芽が出る機会が失わせ、ソヴィエトには、もはや停滞しか残っていなかった。そういう、ある種、厭世が漂う中で生まれたのが、「死者の歌」。ちなみに、そのタイトルは、初演者、バルシャイによる録音が日本でリリースされる際に付けられたものとのこと... つまり、コマーシャル用?と知ってしまうと、ちょっと幻滅するのだけれど、もはや死を迎えるのみとなったソヴィエトを振り返れば、言い得て妙なのかもしれない。で、ロルカ、アポリネール、キュッヘルベケル、リルケによる、死をモチーフとした詩を、室内オーケストラを伴奏に、ソプラノとバスが11の楽章として歌い綴る。言うなれば、ショスタコーヴィチ版、「大地の歌」だろうか?
が、「大地の歌」より、もっと多彩な印象を受ける「死者の家」。最初、ショスタコーヴィチは、この音楽をオラトリオと呼ぼうとしたらしい。が、それは明らかに無理がある(オラトリオは、宗教的題材を、台本があって歌われる音楽... )。だから、何となく"交響曲"に落ち着いたらしい。って、いい加減な!けど、オラトリオと呼ぼうとしただけあって、各楽章がそれぞれにドラマティック!室内オーケストラによる締まった響きも、鮮烈に情景を描き出し、オペラを思わせるところすらある。特に、デュエットで歌われる3楽章、「ローレライ」(track.3)、6楽章、「マダム、御覧なさい」(track.6)での、ソプラノとバスのやり取りは、まさしく... 『ムツェンスク群のマクベス夫人』(1934)のような傑作を書きながら、プラウダ批判(1936)により、オペラに消極的になってしまったショスタコーヴィチだけれど、「死者の歌」の各楽章で聴かせるドラマは、まったく鋭さを失っておらず、というより、ますます鋭くて、唸ってしまう。で、その鋭さを醸し出すのが、音楽の大胆な扱い... あちこちで12音技法を持ち出し、全体が表現主義的!8楽章、「コンスタンチノープルのサルタンへのザポロージェ・コサックの返事」(track.8)では、途中、トーン・クラスターがアクセントを加えるなど、挑戦している!いや、停滞の時代に、こうも尖ってみせるとは... 初演のリハーサルを聴いていた、かつて、ショスタコーヴィチを苛め抜いた音楽学者にして共産党幹部、アポストロフは、心臓発作で倒れるほどで、1ヶ月後に死んだとか... これぞ、まさに、死者の歌か...
で、ヴァシリー+ロイヤル・リヴァプール・フィルの演奏が、その尖がりをますます研ぎ澄ませて... 彼らの、ちょっと素っ気ないくらいのアプローチが、かえって各楽章の緊張感を引き立て、何より、室内オーケストラとなって、細部まで徹底してエッジの立った演奏を繰り広げて生まれる、ヴィヴィットさ!いや、ちょっとクラシック離れした感覚すらあるのかも... 何か、ロック?てか、カッコ良過ぎる... 本来、ショスタコーヴィチの15曲ある交響曲の中で、最も渋目の印象があったのだけれど、いやいやいや、ヴァシリーによるドライな響きが、表現主義的な音楽の刺激的な様を驚くほど活かし切り、サスペンス・ホラーを見るような緊張感で溢れる!で、「バビ・ヤール」でもすばらしい歌声を聴かせてくれたヴィノグラードフ(バス)が、今度は、どっしり構えて存在感を見せ、対して、ジェイムズの鮮やかなソプラノが、この音楽の狂気性を拡張するようで、見事!という、全てが相俟って、「死者の家」、こんなにもおもしろかった?と、目から鱗。
SHOSTAKOVICH: Symphony No. 14
■ ショスタコーヴィッチ : 交響曲 第14番 ト短調 Op.135 「死者の歌」
ガル・ジェイムズ(ソプラノ)
アレクサンドル・ヴィノグラードフ(バス)
ヴァシリー・ペトレンコ/ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団
NAXOS/8.573132
■ ショスタコーヴィッチ : 交響曲 第14番 ト短調 Op.135 「死者の歌」
ガル・ジェイムズ(ソプラノ)
アレクサンドル・ヴィノグラードフ(バス)
ヴァシリー・ペトレンコ/ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団
NAXOS/8.573132
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