SSブログ

フェルドマン、初期ピアノ作品集。 [2013]

WER67472.jpg
スキー場の雪不足のニュースに、温暖化の影響をひしひしと感じる今日この頃ではありますが、陽が落ちれば、やっぱり、寒い。夜、足元からの冷え込みをジーンと感じれば、やっぱり冬だなと... という中、ピアノをフューチャーしております。冬はピアノ... そのクリアな響きを、冬の空気感と重ね合わせて、この冬に、集中的にピアノを聴く。で、前回、ピリオドのピアノで、淡々と、シューベルトのピアノ・ソナタを聴いたのだけれど、今回は、さらなる気温の低下を招く?現代音楽のピアノ。いわゆる"ゲンダイオンガク"の抽象を、ピアノというマシーンで奏でると、より研ぎ澄まされた世界が広がるようで、それは、どこか、冬の景色に似ているのかなと... いや、振り返ってみると、ここのところ、イカニモな"ゲンダイオンガク"(戦後「前衛」的な... )を聴いていない気がして... 避けているわけではないのだけれど、広過ぎて、浅過ぎる、当blogの関心の散漫さゆえに、ディープな"ゲンダイオンガク"に、なかなか迫れない?ならばと、聴きます。冬はピアノ... で、戦後「前衛」。
アメリカの戦後世代を代表する作曲家のひとり、フェルドマンの、静かに研ぎ澄まされたピアノによる抽象... 現代音楽のスペシャリスト、ドイツのサビーネ・リープナーによる、フェルドマンの初期ピアノ作品集、2枚組(WERGO/WER 6747 2)を聴く。

第2次大戦中(1939-45)のアメリカは、ヨーロッパの第一級の作曲家たちの避難所だった。シェーンベルクやストラヴィンスキーといった亡命者たちが、ヨーロッパの最新の音楽をアメリカにもたらし、アメリカの若い世代を大いに刺激して、育て、戦後、アメリカの音楽を、ヨーロッパに伍すまでに引き上げる。まさに、そうした時代の申し子が、モートン・フェルドマン... ユダヤ系で社会主義者だったことからアメリカに亡命していたドイツの作曲家、ヴォルペ(1902-72)に学び、12音技法を習得、第1次大戦後(1918)、アメリカで活動していた抽象の先駆者、フランス出身のヴァレーズ(1883-1965)からも大きな影響を受けながら、作曲家としての第一歩を踏み出す。そうした中、1950年、ニューヨーク・フィルによるヴェーベルンの交響曲の演奏後、アメリカにおける戦後「前衛」の旗手、ケージ(1912-92)と出会い、作曲家としての方向性が決定付けられる。ケージの西洋的なシステムから逸脱(東洋思想に端を発する偶然性とか... )することで前に進もうとする姿勢に刺激を受け、西洋音楽の語法(12音技法とか... )に頼らない抽象を繰り出しつつ、さらには、作曲の核心である記譜さえ捨て去り、図形楽譜を発明、センセーションを巻き起こす。そんなフェルドマンに、さらなるインスピレーションを与えたのが、抽象表現主義の絵画... アクション・ペインティングで有名なポロックや、シンプルにして独特な色面で構成される絵画を描いたロスコ(後に、フェルドマンは、ロスコの連作を飾るチャペルの落成式のために、ロスコ・チャペルを作曲している... )ら、ニューヨーク・スクールと呼ばれる画家たちと交流を持ったフェルドマン(特に親しかったのが、フィリップ・ガストン... )。彼らがキャンパス上に生み出す抽象は、フェルドマンの音楽を大いに刺激し、独特な地平を切り拓いて行く。いや、時代はまさに抽象!そんな1950年代、戦後「前衛」が最も勢いがあった頃のフェルドマンのピアノ作品、作曲家にとっての初期にあたる作品(図形楽譜によらない... )の数々を聴くのだけれど...
1枚目、始まりの2つのインターミッション(disc.1, track.1, 2)からして、抽象全開!極めて少ない音が、動き少な目に、基本、静かに、ポツン、ポツン、ポツンと、もはや音楽の体を成していない。成してはいないのだけれど、そのポツン、ポツンの間にたっぷりと設けられた"間"が生み出すある種の緊張感が効いていて、時としてそれは詩情すら引き出していて... 何だろう?その音の連なりは、ニューヨーク・スクールのクールな抽象表現主義というより、東洋的?水琴窟のランダムな響きに似て、茶席における所作を思い起こさせ、枯山水の庭をイメージさせ、禅の世界を音で表現されるかのよう。意外にも、日本人としての感性に引っ掛かる、不思議なトーンを見出してしまう。脱西洋を試みれば、極東へと行き着くのは必然?それを、ピアノという西洋音楽が生み出した至上のマシーンで響かせるという... いや、ピアノのクリアさこそ、音楽における禅なのかもしれない。ミニマリズムとしての禅と、クリアな音を放つピアノは、実に相性がいい。そして、ピアノが禅を奏で出すと、その一音一音から、驚くほどに味わいが滲み出し、抽象という、メロディーやリズムから解放された状態が、改めてピアノというマシーンの音色に意識を集中させ、その音色を慈しみ味わう機会を与えてくれる。難解な音楽、と言うことは簡単だが、大胆に音楽という概念を取っ払って、フェルドマンが綴った一音一音に触れ、その一音一音の間にある"間"を楽しんでみれば、どんどんその世界に引き込まれ、やがて瞑想的な境地へと落ち着くのか... そう、何と瑞々しくアンビエントなフェルドマンの抽象の世界... それは、得も言えず心地良く、何だか座禅を組むかのよう。
というフェルドマンの初期のピアノ作品を聴かせてくれるのが、現代音楽のスペシャリスト、リープナー。いやー、"ゲンダイオンガク"ならではの、研ぎ澄まされた感覚、水際立って響かせます!で、一切の迷いの無い彼女のタッチは、単に研ぎ澄まされるばかりでなく、自在にトーンを醸し出して、朧だったり、滲みまで含ませて、ピアノのマシーン性を薄めてしまう。そんな響きに触れていると、ピアノであることを忘れてしまいそうになるほど... なればこそ、フェルドマンが切り拓いた独特な地平が引き立ち、そこに立ち現れた風景に引き込まれてしまう。引き込まれて、2枚組にまったく飽きが来ない。が、そうした中、1枚目の折り返しあたりになるだろうか、ネイチャー・ピーシズの4番(disc.1, track.11)が、思い掛けなく西洋的な美しさを見せて、ハッとさせられ、続く、5番(disc.1, track.12)では、メシアンの鳥のさえずりを思わせて、おおっ?!となる。2枚目、1曲目、ラスト・ピーシズの最後、4番(disc.2, track.4)は、わずかにジャジー... 抽象のアンビエントに、ふと具体が顔を覗かせて、聴き手の意識を程好くマッサージして来る巧妙さ!ある種のブレイクを用意してくれることで、一層、座禅に集中できる?より没入するための構成にもセンスを感じる。一見、代り映えがしないような抽象の世界に、けしてはそうではないことを静かに雄弁に語り掛けて来るリープナーのピアノ... フェルドマンの儚げな音の世界を一段と深く捉えながら、聴き手をグイグイと引き込むそのタッチは、ある意味、エモーショナルなのかも。そういうエモーショナルさがあって、極まるフェルドマン・ワールド... 魅了されずにいられない。

Morton Feldman Early Piano Pieces

フェルドマン : 2つのインターミッション
フェルドマン : インターミッション 3
フェルドマン : インターミッション 4
フェルドマン : インターミッション 5
フェルドマン : インターミッション 6
フェルドマン : ヴァリエイションズ
フェルドマン : ネイチャー・ピーシズ
フェルドマン : エクステンション 3
フェルドマン : ピアノ・ピース 1952
フェルドマン : ピアノのための3つのピース
フェルドマン : ピアノ・ピース 1955
フェルドマン : ピアノ・ピース 1956 A
フェルドマン : ピアノ・ピース 1956 B

フェルドマン : ラスト・ピーシズ
フェルドマン : 垂直思考 4
フェルドマン : ピアノ・ピース (フィリップ・ガストンのために)
フェルドマン : ピアノ・ピース 1964
フェルドマン : ピアノ

ザビーネ・リープナー (ピアノ)

WERGO/WER 6747 2




nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 4

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。