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コミタス、生誕150年、アルメニア、苦難の果てのイノセンス... [2017]

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テジュ・コール著、『オープン・シティ』という本を読んでいます。不思議な本です。ニューヨークに住む精神科のインターンの先生(かなりのクラシック・ファン!)が、今に続く世界の様々な傷跡をなぞり、意識の中で漂泊する、小説のようで、小説じゃないような、つまりルポのような... そうした境界は曖昧で、曖昧なればこそ生まれる独特な瑞々しさが印象的で、その瑞々しさが、我々の足元に眠る、かつての闇、傷を呼び覚まし、世界が歩んで来た道程の重さを意識させる。で、かつてがどうのとほじくり返すのではなく、ただその重みを受け止める。受け止めて、そこに某かのセンチメンタリズムを見出し、不思議な味わいを漂わせる。無かったことにする、あるいは、ほじくり返して、再び衝突を呼び覚ます、21世紀、どういうわけか両極端に突っ走ってしまうのはなぜなのだろう?『オープン・シティ』を読んでいて、考えさせられた。いや考えなくてはいけないと思った。今、正義か?悪か?敵か?味方か?線引きばかりが横行し、考えることが許されないような空気感すらある。それで、解決できるのか?答えを出せるのだろうか?我々は、前進するために、一度、立ち止まらなければいけないのかもしれない。ということで、立ち止まって、ちょっと思いを巡らす音楽... 生誕150年、コミタスの音楽に注目してみる。
19世紀末から第1次大戦(1914-18)に掛けて、各地での民族主義の高まりと列強の拡張主義に翻弄され、ディアスポラの悲劇に見舞われたアルメニアの人々... そうした時代を生きたアルメニアの作曲家、コミタスの作品を、アメルニアのピアニスト、ルシン・グリゴリアンがピアノで弾いた作品集、"Seven Songs"(ECM NEW SERIES/481 2556)を聴く。

コミタス・ヴァルダペット(1869-1935)。
トルコ西部の内陸の街、キュタヒヤの、アメルニア系(当時、アルメニア系の人々は、中世に王国を築いていた地がオスマン・トルコの支配下に入ったことで、帝国の各地へと広がっていた... )の靴職人の家に生まれた"コミタス"こと、ソゴモン・ソゴニアン... 幼くして両親を失ってしまうも、1881年、12歳となったソゴモン少年は、歌が上手かったことを買われ、地元のアルメニア教会の司教により、当時、ロシアの支配下に入っていたアルメニアの古都にして、アルメニア教会の総主教(カトリコス)座が置かれるエチミアジン(当時は、ヴァガルシャパトと呼ばれていた... )へと送られ、ゲヴォルギアン神学校で学ぶことに... ここで、アルメニアの教会音楽をしっかりと習得。また、アルメニア民謡とも出会い、その素朴なメロディーに魅了され、収拾と研究に力を入れるようになる。1893年、神学校を卒業すると、エチミアジン大聖堂の聖歌隊長に就任。翌、1894年、25歳の年には、修道士=ヴァルダペットとなり、7世紀の総主教で、詩人で音楽家でもあったコミタス1世にあやかって"コミタス"を名乗り、コミタス・ヴァルダペットとなる。さらに、1895年、ジョージアのトビリシで、サンクト・ペテルブルクでリムスキー・コルサコフに師事していたアルメニア人の作曲家、イェクマリアンについて西洋音楽の基礎(アルメニアの音楽は、西洋とは別の歴史を歩んで来たため、記譜からして異なっていた... )を習得。1896年、27歳の時、ベルリンへと赴き、フリードリヒ・ヴィルヘルム大学(現在のフンボルト大学... )に入学。民俗音楽の研究に没頭しながら、西洋音楽のロジックもしっかりと体得。1899年、エチミアジンに戻ると、母校、ゲヴォルギアン神学校で西洋式の合唱団を組織したりと、アルメニアの音楽の近代化に取り組む。そうした成果は、1906年から翌年に掛けて、パリなど、西欧で披露され、絶賛されるも、アルメニアでは、あまりに世俗的とみなされ批判を受ける(そう、コミタスは修道士... )。これにより、エチミジアンを離れることとなったコミタスは、1910年、中東各地に点在するアルメニア人コミュニティーの文化的中心地、オスマン・トルコの首都、イスタンブールを拠点とし、新たな合唱団、グサンを結成し、より精力的に活動。が、1914年、第1次大戦が勃発。多民族の帝国は、民族国家へと変貌。少数派のアルメニア人たちは、オスマン・トルコから追放(その最中、虐殺が... )されることに... 1915年、45歳、コミタスもオスマン・トルコにより拘束され、イスタンブールから、トルコ北中部、チャンクルに移送されるも、アメリカ大使の介入によって連れ戻され、事無きを得たが、この事態に衝撃を受け、心を病んでしまう。そして、終戦の翌年、1919年まで、イスタンブールの病院で療養。それ以後は、パリ郊外で療養を続け、1935年、66歳で、この世を去る。
という、苦難の歴史、悲劇的な後半生を知って、聴く、コミタス... フォークロワを活かしての、メロディアスで、シンプルな音楽は、ちょっとアンビエントな雰囲気があり、ペルト(b.1935)とか、シルヴェストロフ(b.1937)とか、そうしたポスト・モダンの感覚を先取りするようでもあるのだけれど... いや、ソヴィエトの恐怖政治の下で生きた、ペルト、シルヴェストロフとは、通じるものがあるのかもしれない。どこか寂しげで、儚げで... なのだけれど、静かに迫って来るものがあって、惹き込まれる。始まりの7つの歌(track.1-7)、民謡を意識させる素朴なメロディーを、ピアノが淡々となぞって生まれるトーンは、どこかモンポウ(1893-1987)の密やかさに通じて、イノセンス(やはり、モンポウも、フランコ政権の圧政下を生きている... )。この作品は、コミタスがインスタンブールに移った翌年、1911年に書かれた作品とのことだけれど、すでにアルメニア人の受難(1894年、トルコ東部でハミディイェ虐殺が起こっている... )は始まっており、そうした不安も反映しているのだろうか?ピアノが歌うイノセンスには、深い悲しみが潜むようで、なればこそ研ぎ澄まされ、透明感は増し、まるで結晶のような音楽が並べられる。一転、力強い音楽を繰り出す、"Msho Shoror"(track.8)は、山岳地帯の民族舞踊に基づく7つの舞曲からなっていて、ローカル?そんな味わい深い音楽を織り成して、印象的。続く、7つの民俗舞曲(track.9-15)は、1曲目からオリエンタルなメロディーに彩られ、アルメニアをより強く意識させてくれる。いや、不思議なテイスト!オリエンタルだけれど、どこか飄々としていて、そういうあたり、クレズマーの音楽に通じる軽さ、キャッチーさもあるのかも... で、コミタスは、そういうテイストを、西洋のピアノというマシーンに落とし込んで、形はオリエンタルでも、まるでガラス細工のような透明感を生み出し、民俗調の癖のようなものを絶妙に洗練させ、心地良い響きを実現してしまう。このあたりに、コミタスの作曲家としてのセンスを感じる。それから、愛らしさに溢れる、こどものための12の小品(track.16-17)では、西洋風なところも見せ、フランス音楽のようなお洒落さも漂わせて、素敵!最後は、1915年、悲劇の年に書かれた"Toghik"(track.18)。1分に満たない短い作品なのだけれど、何か、全てを物語ってすらいるようにも思え、そのつぶやきのような音楽に、切なくなり、感慨を覚えずにいられない。
という、コミタスの作品を、グリゴリアンのピアノで聴くのだけれど、まず、その澄んだタッチに魅了される。母国を代表する作曲家の、それも悲劇を背景とした音楽を弾くとなると、ちょっと力が入りそうなところだけれど、グリゴリアンは、徹底して、淡々と... いや、訥々とすら弾いていて、どこかコミタスであることを断ち切るかのように、ただ音符のみを追うような姿勢を見せる。すると音楽はどんどん研ぎ澄まされ、もはや何物でもなくなって、澄んだ素朴さが立ち現れて、その物静かな美しさに息を呑む。何て綺麗な音楽なのだろう... 綺麗だけれど、物悲しい... 物悲しいけれど、悲しみは昇華され、音楽に姿を変え、聴く者にそっと語り掛けて来る。この感覚、なぜか、とても癒される。悲しいのだけれど、それを呑み込んで生まれる、思い掛けない真新しさ!グリゴリアンが響かせるコミタスは、現代的、というのではない、より先を見つめるような新しさが感じられて、はっとさせられるものがある。またそうあることで、アルメニアの魅惑的な民俗性ばかりでない、コミタスの作曲家としての感性もすくい上げられ、興味深く... いや、ピアノという、西洋音楽を象徴する楽器の、そのマシーンとしての怜悧な性格を最大限に活かして来るグリゴリアン、なかなかの妙手かも... 聴き入ってしまう。で、聴き入って、改めて認識するコミタスという存在。大いなる苦難と悲劇を前に、音楽は、無力である。が、かつての苦難と悲しみの記憶を、楚々と後の世へと語り紡ぐようで、今こそ耳を傾けなくなる音楽であった。

LUSINE GRIGORYAN KOMITAS SEVEN SONGS

コミタス : 7つの歌
コミタス : Msho Shoror
コミタス : 7つの踊り
コミタス : こどものための12の小品
コミタス : Toghik

ルシン・グリゴリアン(ピアノ)

ECM NEW SERIES/481 2556




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