SSブログ

バッハ、無伴奏チェロ組曲、ケラスに引き出される、やさしさ... [2007]

HMC901970.jpg
日曜、秋晴れの下のパレード。"祝賀御列の儀"という言葉が、凄いインパクトを放っていたのだけれど(それ、また、ツボ!)、テレビで見るその光景は、穏やかで、午後、傾き出した太陽に照らされて、キラキラとしていながら、思い掛けなくアットホームな感じというか、どこかやさしさに包まれた気分が、テレビの中に広がっていて、それが、テレビからもこぼれ出すようで、じんわりしてしまう。もちろん、警備やら何やらで、準備は尋常では無かったと思う。穏やかに見える光景には、間違いなく多くの努力があったはず... 沿道で、スマホを構えながら、笑顔で手を振るみんなも、朝早くから並んだだろうし、検査だ何だで煩わしい部分もあったはず... それでも、色付き始めた街路樹を背景に、パレードがゆく様子は、やわらかく、"祝賀御列の儀"という慇懃無礼を極めたワードとは裏腹に、何とも言えない大きなエンパシーが感じられ、耳で聴くのとは違うハーモニーが見えた気がした(努力も、時として煩わしささえも、ハーモニーの一部なのかもしれない... )。何だろう、この心地... これが、令和、"beautiful harmony"?これから、そういう時代がやって来る?いや、そうして行きたいなと...
そんな願いも籠めて、やさしい音楽を聴いてみる。"音楽の父"による、懐の深い音楽... ジャン・ギアン・ケラスの演奏で、バッハの無伴奏チェロ組曲(harmonia mundi FRANCE/HMC 901970)。たったひとつの楽器で奏でる、"音楽"という宇宙を体感できる希有な作品、チェロの名作を、今、改めて聴いてみようかなと... てか、天皇陛下はヴィオラなのだけれど...

はぁ~ 肩の力がスーっと抜けて行くような、淀み無い1番のプレリュード... ケラスの演奏は、意外とアップ・テンポで、けど、まるで川が流れて行くようにナチュラルで、それでいてソフトに、ふわーっと音楽を展開してしまう。一台のチェロで、バッハならではの対位法を織り成すということは、けして簡単なことではない。それを、アップ・テンポで弾くとなれば、快活ではあっても、どこか力が入った印象を受けるかもしれない。が、ケラスはそういうところがまったく無い。バッハの綴った音符を、いとも容易くスルスルとつないで、対位法のロジカルなあたりを揺ぎ無く音楽に統合し、メロディーに昇華させてみせて、とにかく耳にやさしい。とはいえ、それは聴き易いというだけでなく、やさしさから深みが溢れ出し、何だか次元の違うものに抱かれるような、不思議な感覚すらある。現代音楽のスペシャリスト集団、アンサンブル・アンテルコンタンポランで鳴らしたエキスパートにとって、バッハは朝飯前か?いや、現代音楽でのキリっとしたサウンドとは違う、精緻でありながらも、得も言えずやわらかな音色は、音楽家、ケラスのスケールの大きさを感じさせて、圧倒されさえする。そういう大きさからバッハの音楽を捉えると、バッハであることさえ忘れさせるようで、不思議。如何せん"音楽の父"だけに、厳めしさのようなものが付いて回るバッハの音楽だけれど、ケラスはそういうイメージに囚われない。このあたりに、かつての巨匠たちとは一線を画す"現代っ子"感覚を見出すのだけれど、ケラスによる組曲、一曲一曲と向き合うと、現代をも突き抜けて、よりシンプルに音楽であることに集中し、"音楽"という宇宙を開き、聴き手をそこへと送り込むような、ただならなさがある。"音楽の父"をも育んだより大きな"音楽"という宇宙を見せてくれるのが、ケラスの無伴奏チェロ組曲なのかも...
翻って、そういう"音楽"に至らしめる作曲家、バッハの作曲=プログラミングもただならない。でもって、それは、他のバッハの作品と一味違うものがあるように感じる。バッハの無伴奏チェロ組曲は、無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータの続編だったと考えられている。バッハの後妻、アンナ・マグダレーナが、この2作品を写譜した時に、無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータを第1部、無伴奏チェロ組曲を第2部と記しているからなのだけれど... 同じ無伴奏であることはもちろん、ヴァイオリンのソナタ3曲、パルティータ3曲、合計6曲に合わせて、チェロの組曲が6曲というあたりが、バロック期の12曲で1セットという単位に、しっくり来る。一方で、高い音を出すヴァイオリンと、低い音をカヴァーするチェロの違いもあるのだけれど、そればかりでない違いもあるようにも感じられる2作品... 作曲家、バッハの技術と芸術がぎっしり詰まった印象のある無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータに対して、無伴奏チェロ組曲には、もう少し違った音楽との向き合い方が感じられ... チェロの深い音色が対位法をより確かなものとし、どっしり構えつつ、どこか、そういう技術に囚われず、音楽としての喜びを、ポジティヴに綴っているような... ソナタやパルティータといったイタリア由来のロジカルな形式ではなく、フランスのより感覚的な舞踏組曲のスタイルを採るのもあるかもしれないが、どこか、ヴァイオリンより素直な印象を受けるチェロ... 最新の研究では、バッハの無伴奏チェロ組曲を作曲したのは、アンナ・マグダレーナではなかったか?という説もある。今、改めてケラスのやさしい演奏で触れてみると、あながち無くも無い説に思えて来る。何より、そこに表れるやさしさは、安直に女性的だなんて言わないけれど、いつものバッハとは一味違う、純朴なやさしさが感じられて... そのやさしさが、無伴奏チェロ組曲を特別なものとしている気がして来る。いや、とても不思議な作品だ。
それにしても、魅力的な音楽の数々!6つの組曲、それぞれに個性があって、その個性の中に、プレリュードに始まる6つずつ舞曲が並び、それぞれに多彩なリズム、表情が繰り出される(それをまた、たった1台のチェロが奏でるのだから、今さらながらに驚かされる!)。6つの組曲の内、短調で奏でられる2番(disc.1, track.7-12)と5番(disc.2, track.7-12)は、実に荘重で、舞踏組曲の故郷、太陽王のヴェルサイユの宮廷を思わせて、独特なドラマティックさがあり、聴き入ってしまう。一方、長調で奏でられる4つの組曲... シンプルだけれど確かな対位法が効いて、小気味良い音楽を繰り出す3番(disc.1, track.13-18)は、どこかモダンな感覚を秘めていて、ミニマル・ミュージックに通じるようなところもあり、思い掛けなく現代風?4番(disc.2, track.1-6)は、それこそ穏やかな秋の公園を散歩するかのようで、豊かな表情に溢れているのだけれど、どこかセンチメンタルが滲み、何か心惹かれるものがある。で、おもしろいのが6番(disc.2, track.13-18)... フォークロワっぽい?ガヴォット(disc.2, track.17)の中間部では、ハーディガーディを思わせるようなサウンドを響かせて、田舎の長閑な風景が、一瞬、広がる。そして、最後、ジーグ(disc.2, track.18)では、ちょっと酔っぱらったみたいにメロディーが踊り... そこから再び1番(disc.1, track.1-6)へと戻ると、どの組曲より洗練された音楽を見出し... いや、本当に多彩な6つの組曲!1台のチェロだけで奏でるとなると、表現にあたっては制約となりそうだけれど、そんな心配はまったくの杞憂で、めくるめく音楽が繰り出され、全曲、飽きさせない。ウーン、やっぱり凄い音楽。今一度、その凄さに圧倒される。ケラスの演奏とともに...

Bach Cello Suites Queyras

バッハ : 無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調 BWV 1007
バッハ : 無伴奏チェロ組曲 第2番 ニ短調 BWV 1008
バッハ : 無伴奏チェロ組曲 第3番 ハ長調 BWV 1009

バッハ : 無伴奏チェロ組曲 第4番 変ホ長調 BWV 1010
バッハ : 無伴奏チェロ組曲 第5番 ハ短調 BWV 1011
バッハ : 無伴奏チェロ組曲 第6番 ニ長調 BWV 1012

ジャン・ギアン・ケラス(チェロ)

harmonia mundi FRANCE/HMC 901970




nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。