SSブログ

ハーディ・ガーディが描き出す、シェトヴィル版、『四季』。 [2019]

RIC398.jpg
18世紀、ヴィヴァルディのオペラは、ヨーロッパを席巻するには至らなかったものの、コンチェルトは、ヨーロッパ各地で大人気となった。なぜか?観光都市、ヴェネツィア(地中海の制海権を失い、海運業がままならなくなると、観光業に活路を見出したヴェネツィア共和国!)の音楽シーンを彩る、ヴィヴァルディが率いたレディース・オーケストラ、ピエタの"フィーリエ"のコンサート、そこで演奏されたヴィヴァルディのコンチェルトのおもしろさが、ヨーロッパ各地からやって来た観光客のみやげ話として拡散、その評判は、じわじわと高まって行く。そこに乗っかったのが、各国の楽譜出版業者たち... 著作権なんて概念があるんだか、ないんだかという時代、アムステルダムで、ロンドンで、パリで、公認、非公認、ヴィヴァルディの楽譜は次々に売り出され、ヴィヴァルディ・ブームがあちこちの都市で巻き起こる!当のヴェネツィアでは、ナポリ楽派に押され、居場所が無くなりつつあったヴィヴァルディだけれど、イタリアの外では、思い掛けなく、国際的な名声を確立してしまう。
というあたりを垣間見る、1739年にパリで出版されたシェドヴィル版、『四季』。ハーディ・ガーディ奏者、トビー・ミラー率いるアンサンブル・ダンギーの演奏で、ハーディ・ガーディが活躍する、『春、または愉快な季節』(RICERCAR/RIC 398)を聴く。

オペラでは、頑なに独自路線を貫き、オペラの本家、イタリアに、徹底して対抗したフランス楽壇(その頑なさに、やがて、揺れ戻しが起き、ブフォン論争が巻き起こるのだけれど... )だったものの、意外にも、器楽曲では、イタリアのスタイルを早くから受け入れる。その第一波が、コレッリ(1653-1713)のトリオ・ソナタ!対位法が織り成す確かな音楽に、フランスの作曲家たちは熱を上げ、特にクープラン(1668-1733)などは、コレッリによる"型"と、フランスの感性を融合しようと様々に試み、トリオ・ソナタはもちろん、コンセールなど、多くの合奏作品を生み出している。そのコレッリに取って代わったのが、第二波、ヴィヴァルディ!"型"を用いながら、鮮やかに、時に奇想天外に繰り出されるヴィヴァルディのコンチェルトは、パリっ子たちをも魅了し、ル・コンセール・スピリチュエル(パリ、テュイルリー宮のスイス人百人ホールを拠点とした、1725年、創設のオーケストラ... テレマンに、モーツァルトに、バロックから古典主義に掛けての多くのビッグ・ネームが客演!)のコンサートでも人気のレパートリーに... となると、その楽譜の出版で一儲けしてやろうという輩が登場するのが、当時の常でして... というひとりが、シェトヴィル(1705-82)。オーボエとミュゼット(バグパイプに似たフランスの民俗楽器... )の奏者で、パリのオペラ座のオーケストラでオーボエとミュゼットを吹きながら、やがてヴェルサイユの宮廷楽団の一組織、レ・グラン・オーボワの一員になった人物。で、当時のライト・ミュージックとでもいうのか、民俗音楽の要素を取り込んで、より砕けた音楽を提供した作曲家でもあった。アマチュアの演奏家たちのために、ミュゼットまたはハーディ・ガーディのための小品集を多く出版している。そんなシェトヴィルは、ヴィヴァルディの人気にあやかって、ヴィヴァルディの作品を素材にしながら、ヴィヴァルディ風に仕上げた自作の作品集を用意し、1737年、ヴィヴァルディの最新の協奏曲集(実際にはミュゼットを中心としたソナタ集... )として『忠実な羊飼い』を出版。評判となると(これがまた、20世紀まで通用していたから、とんだ詐欺師!)、二匹目のどじょうに選んだのが、かの『四季』!
1739年、シェトヴィルによる『四季』は、ヴィヴァルディの『四季』をそのままアレンジするのではなく、『四季』が含まれる協奏曲集『和声と創意の試み』(1725)からいろいろ引っ張って来て、4曲から6曲に拡大!って、それ四季じゃないやん!となるのだけれど、当時の曲集の定石からすると、12曲ないし、6曲で一セットとなるから、4曲では座りが悪かったのでしょう(ちなみに、『四季』を含む『和声と創意の試み』は、12曲構成... )。「夏」と「秋」の間に、『和声と創意の試み』の8番が「収穫期」(track.7-9)として、「秋」と「冬」の間には、6番、「喜び」が、「サン・マルタン祭の楽しみ」(track.13-15)として挿入される。でもって、『四季』もいろいろ弄られておりまして... てか、「夏」が、全然、「夏」じゃない!12番の1楽章と2楽章、10番の1楽章を終楽章として並べて「夏の喜び」(track.4-6)とし、「秋」は、何と、2楽章(track.11)が、「冬」の2楽章に置き換わっている?!で、「冬」もまた、全然、「冬」じゃなくて、7番の1楽章と、9番の2楽章、終楽章で構成され、『四季』のあのドラマティックな締めが無い... それって、改悪なんじゃ?と、一瞬、過るのだけれど、いや、これが、フランス人にとっての四季の情景なのかも。ヴィヴァルディの『四季』の聴かせ所である、「夏」や「冬」の、如何にもバロックなドラマティックさは、フランス人の感性には合わなかったのかもしれない。そう、シェトヴィルの『四季』、転じて『春、または愉快な季節』は、ハーディ・ガーディというユルめの楽器が引っ張ることで、とても牧歌的な仕上がりに... ヴィヴァルディの『四季』が、ヴァイオリンの鮮烈さで以って、映像的に季節を活写するならば、シェトヴィルは、新たな情景も加えて、イラスト的に描き出す。聴き馴染みのあるメロディーに彩られながらも、似て非なるものとして『春、または愉快な季節』は存在している。そして、両者の違いに、それぞれの季節感、そこから派生するのだろう感性を見出せるようで、実に興味深い。ヴィヴィットなイタリアに対し、ほのぼのとしたフランス... いや、どちらも魅力的!
という、シェトヴィルの『春、または愉快な季節』を聴かせてくれるのが、ミラー+アンサンブル・ダンギー。まず、何と言っても、トビーのハーディ・ガーディに驚かされる。本来、ヴァイオリンが超絶技巧で以って表現する音楽を、ハーディ・ガーディの不器用な感じの、朴訥としたサウンドから、見事にカヴァー!もちろん、ヴァイオリンのような切れ味の鋭さは表現できないけれど、ヴァイオリンでは絶対に得られない温もりをふんだんに盛り込んで、堂々と新たな四季の風景を描いて行く。そうしたサウンドに触れれば、シェトヴィルが、楽器の特性を活かそうと、傑作である『四季』に大胆に切り込んで行ったかを思い知らされる。嵐が来る夏ではなく、夏空の下、ヴァカンスにでも繰り出すような楽しさに溢れた「夏の喜び」(track.4-6)であって、冷たさを直に感じる冬ではなく、暖炉の前で丸くなって夢見るようなシェトヴィルの「冬」(track.16-18)。その終楽章(track.18)では、思い掛けなく、ヴィヴァルディの音楽の中のフォークロワな感性を引き出していて、オリジナルより魅力的にすら聴こえるから、おもしろい。いや、ハーディ・ガーディという楽器の可能性を、雄弁に歌い上げるミラーに感服。豊饒に沸く「秋」の表情は、よりその魅力を伸ばしすらしていて... 民俗楽器としての味わいを残しながら、確固たる音楽を刻んで、ヴァイオリンなどのアカデミックな楽器と一歩も引けを取らず渡り合う。そんなミラーを囲む、アンサンブル・ダンギーの演奏もすばらしく... 派手さは無いものの、それぞれの楽器の持つ色彩を大事に、素直な音色を響かせ、丁寧に季節を描いて行く。だから、ふわっと、季節のうつろいが聴こえて来て、『四季』が6曲になった広がりを巧くすくい上げていて、素敵。そうして引き立つハーディ・ガーディの音色!その音色がリードする、フランス流の『四季』は、人懐っこく、もうひとつの『四季』の楽しみを聴き手に与えてくれる。

NICOLAS CHÉDEVILLE
LES SAISONS AMUSANTES


ヴィヴァルディ/シェトヴィル : 『春、または愉快な季節』 から 「春」
ヴィヴァルディ/シェトヴィル : 『春、または愉快な季節』 から 「夏の喜び」
ヴィヴァルディ/シェトヴィル : 『春、または愉快な季節』 から 「収穫期」
ヴィヴァルディ/シェトヴィル : 『春、または愉快な季節』 から 「秋」
ヴィヴァルディ/シェトヴィル : 『春、または愉快な季節』 から 「サン・マルタン祭の楽しみ」
ヴィヴァルディ/シェトヴィル : 『春、または愉快な季節』 から 「冬」

トビー・ミラー(ハーディ・ガーディ)/アンサンブル・ダンギー

RICERCAR/RIC 398




nice!(2)  コメント(0) 

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。