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チャイコフスキー、4番、激情の果てのドラマとしての交響曲。 [2019]

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先日、『死に山 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相』(ドニー・アイカー著)という本を読む。表紙に躍る「死に山」の文字のインパクトが、怪談の季節にぴったり?で、ホラー映画(『ディアトロフ・インシデント』は、後日談として描かれるのだけれど... )にもなりました、20世紀、ソヴィエトにおける都市伝説(?)、冬のロシア、ウラル山脈、ディアトロフ峠で起こった、大学生トレッカーたちの謎の死を追うルポ... ちなみに、信じるか信じないかは、あなた次第です!的な結論(つまりホラー的な... )には至らないのだけれど、厳寒のシベリアの恐るべき姿を最後に見せつけられ、その自然の脅威を前に、なすすべなく命を落してしまう学生たちの姿に、切なくなってしまった。一方で、ロシアの、ウラルの、人知を越えた底知れなさに、奇妙な新鮮さを覚えてしまう。いや、ロシアの音楽を俯瞰した時、感じる、西欧の音楽には無いただならなさには、こうした背景もあるのかもしれない。また、そうした中で育まれる表現もあるのだろう... ということで、ウラル・フィルを率いブレイクした指揮者、リスに注目(って、こじつけ!なのだけれど、リスの音楽性には"ウラル"があるような気がして... )。
というドミトリー・リスが、ウラルから飛び出して、新たに率いるオーケストラ、南ネーデルラント・フィルハーモニーの演奏で、ワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』、前奏曲と愛の死と、チャイコフスキーの4番の交響曲(FUGA LIBERA/FUG 754)を聴く。

リスが、ウラルを飛び出して、西欧の真ん中(南ネーデルラント・フィルの本拠地は、オランダ南部、アイントホーフェンとマーストリヒト... )で、ワタクシ、こういう指揮者でしてございまして... という、名刺を差し出すようなアルバムなのだろう、ワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』、前奏曲と愛の死(track.1)と、チャイコフスキーの4番の交響曲(track.2-5)。ロシアを代表する作曲家はもちろん、西欧を代表する作曲家も、見事に指揮しますよ!という、ド直球の解り易さがある。そして、ブラバント管(アイントホーフェン)と、リンブルフ響(マーストリヒト)という、オランダの2つのオーケストラが再編され、新たに誕生(2013)した南ネーデルラント・フィル(の、初代首席指揮者が、リス!2016/2017年シーズンより仕事をしている... )の力量を示すのに最適なオーケストラの名作!で、十二分に堪能させていただきました。まず、リスらしく、しっかりと鳴らして、音楽をより大きく表現。ワーグナーもチャイコフスキーも、これまで以上にスケール感が感じられ、その壮大さに呑み込まれ、耳で聴くというよりも、身体全体で体感するかのよう。で、まず印象に残るのが、始まりの『トリスタン... 』の前奏曲。ズーンと重い展開の中で、オーケストラが放つサウンドにより豊かな色彩が滲み出し、トリスタン和音が織り成す先が見えないようなもどかしさの中に、いつもとは一味違う豊潤さが広がるのか?続く、愛の死では、それはより際立ち、リムスキー・コルサコフを思い起こさせるような煌びやかさすら感じられるところもあって、おもしろい!いや、ロシアの指揮者が振れば、そんなところ?いやいや、南ネーデルラント・フィルの演奏は、思いの外、丁寧で... その丁寧さを以って、ドイツのワーグナーに、ロシア性の可能性を探るような、ある種の実験すら見出せる気がする。何となくのロシア性ではない、スコアを細部に渡ってきちんと精査して紡ぎ出されるロシア性... というより、"ウラル"なのかもしれない。ヨーロッパとアジアを分かつ分水嶺、ウラル山脈の、東西両方を見据えるスケールの大きな視座というか、ドイツのワーグナーのイメージを拡張するワイドな視点が、彼らの『トリスタン... 』にはあるような気がする。いや、リス+南ネーデルラント・フィルのこれからが、かなり楽しみ!そういう期待を抱かせる『トリスタン... 』だった。
さて、ワーグナーの後にチャイコフスキーなのである。その組合せ、ちょっと捻りが無いような印象を受けるのだけれど、チャイコフスキーの側から見つめると、実は、結構、ドラマティック?1876年、第一回バイロイト音楽祭に足を運んだチャイコフスキー(彼もまた、ワグネリアンであった... もちろん、ずっとでは無かったけれど... )。その翌年に書き始められるのが、ここで聴く4番の交響曲(track.2-5)。で、この4番には、直接的なワーグナーの痕跡は見つからないものの、バイロイト詣でを果たした後、完成させた代表作、『白鳥の湖』には、はっきりとワーグナーにインスパイアされてのものが窺える。というより、チャイコフスキー版、『ローエングリン(=白鳥の騎士)』とも言えるのかもしれない。そして、1877年、アントニナ・ミリューコヴァと結婚したチャイコフスキー... その結婚生活は一瞬にして破綻(そりゃアンタ、騎士の嫁になるはずが、自ら嫁を... それもストーカーっ気のある嫁をもらってしまったら... )。チャイコフスキーは、自殺を図るほど追いつめられる。が、そういう激情の中で、『白鳥の湖』が完成されたかと思うと、納得させられるもがある。さらに、結婚―自殺の危機を脱し、ヴェネツィアへと旅し、書かれたのが、4番... いや、改めて聴いてみると、事の顛末がそこに綴られているようで、いろいろ妄想してしまう。いや、『トリスタン... 』の後だと、余計にその劇性が引き立つのか?ある種のライト・モチーフのように機能する、1楽章、冒頭の"運命のファンファーレ"などは、交響曲全体にドラマを息衝かせるようで、今、改めて聴いてみると、交響詩のような雰囲気もなくはない。ちなみに、『トリスタン... 』の前奏曲と愛の死を、チャイコフスキーは、ワーグナーの指揮で聴いていて、その音楽を高く評価していた... ということを踏まえ、『トリスタン... 』の後で聴く4番は、また違った表情が浮かび上がる。それを強調する、リス+南ネーデルラント・フィルの演奏でもあって...
実に雄弁で、ドラマティックな、リス+南ネーデルラント・フィルによるチャイコフスキーの4番。交響曲であることを忘れてしまうような、聴き手のイマジネーションを掻き立てる演奏に、惹き込まれた。いや、オーケストラの細部までがよく鳴らされ、普段、聴くと、幾分、密度が薄いようにも感じられるチャイコフスキーの交響曲が、十分な存在感を持って迫って来るのがとても印象的。で、交響曲から、いろいろなドラマが感じられて、刺激的。そういう演奏に触れると、ワーグナーが、幾分、慎重だったか?なんても思うほど... それほどに、堂々たるドラマを繰り出していて、断然、おもしろくなっている4番!そこには、マーラーの交響曲くらいに、作曲家の心象が反映されるように感じられ、普段、何気なく聴いていた様々なフレーズから、つい、いろいろ妄想してしまう。何だろう?ワーグナーが触媒となって、溢れ出す、チャイコフスキーの赤裸々... 結婚への屈折した願望が、"運命のファンファーレ"に導かれて、ファンタジーにも悪夢にも変容し、何だか、『白鳥の湖』を見るよう。白と黒、愛と憎しみ、苦悩、世間、嘲笑、欲望、あらゆるものが交錯して、最後、終楽章(track.5)で解き放たれる!圧巻のコーダは、まさにカタルシス... そうか、チャイコフスキーは、諸々を乗り越えたのだな... あの狂気染みたテンションに、自棄っぱちと、その先に浄化が見て取れて、腑に落ちた。そういう演奏を聴かせてくれた、リス+南ネーデルラント・フィル。聴いて、こちらも、何か浄化されるような感覚があって、おもしろい。

Wagner Tchaikovsky philharmonie zuidnederland, Dmitri Liss

ワーグナー : 楽劇 『トリスタンとイゾルデ』 から 前奏曲 と 愛の死
チャイコフスキー : 交響曲 第4番 ヘ短調 Op.36

ドミトリー・リス/南ネーデルラント・フィルハーモニー

FUGA LIBERA/FUG 754




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