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グレゴリオ聖歌以前、古代を伝える聖歌の諸相... [before 2005]

さて、新しい時代を迎えて、何か特別なこと(って、大したことはできません... )をしてみたいなと、漠然と思い至りまして... 音楽史の始まりへと還ってみる?新しい時代から、古い時代を見つめる。って、実は、当blog、古楽を取り上げることが、最近、めっきり少ないことに気付き、びっくり(古楽、大好きなはずなのに... やっぱり、クラシックの核たる19世紀の音楽の比重の重さに引っ張られてしまうのか?さらに、近代だ、現代だ、バロックだ、古典主義だと、あっちこっち目移ろいしていると、どうも古楽を忘れがち... )。ならば、このあたりで、ガッツリ古楽!で、西洋音楽の種とも言えるグレゴリオ聖歌に立ち返り、そこから、音楽が、どう芽吹き、育ったかを、追ってみようかなと... でもって、まずは、その種が、どこからやって来たかに注目してみる。いや、これが実に興味深い!揺ぎ無く、種としての存在感を見せるグレゴリオ聖歌だけれど、それ以前にも聖歌は存在していて、それはまた、今に至る西洋が確立される前、古代の地中海文化圏に広がっていた初期キリスト教会の姿を垣間見せる、プリミティヴな聖歌でもあって、グレゴリオ聖歌に集約される前の、大地に根差した力強い祈りが響き出す。
という、古い聖歌を、マルセル・ペレス率いるアンサンブル・オルガヌムの歌で... ミラノに伝わるアンブロジオ聖歌(harmonia mundi FRANCE/HMC 901295)、イベリア半島で歌い継がれていたモサラベ聖歌(harmonia mundi FRANCE/HMC 901519)、聖都、ローマに伝わる、古ローマ聖歌(harmonia mundi FRANCE/HMC 901604)の3つを聴く。


西ローマ帝国の首都、ミラノに伝わる、古代の記憶... アンブロジオ聖歌。

HMC901295.jpg
ローマ教皇、グレゴリウス1世(在位 : 590-604)が編纂したから、グレゴリオ聖歌。と、言われて来たのだけれど、現在では、グレゴリオ聖歌の成立は、グレゴリウス1世のずっと後の時代、フランク王国がヨーロッパのほぼ全域を支配下に置いていた頃、カロリング朝の全盛期、9世紀、カール大帝(在位 : 800-814)による政策があってのことだと考えられている。古代からの伝統を受け継いでいた各地の聖歌を統合し、国際規格を打ち出したカロリング朝。それは、古代から続く聖歌に対しての革新... いや、グレゴリオ聖歌が革新だったなんて、今からすると、ちょっと考え付かないのだけれど、間違いなく、グレゴリオ聖歌は、古代に対してモダンだった!そして、そのモダンの影で、個性豊かな各地の聖歌が脇へと追いやられ... そんな聖歌のひとつが、ミラノに伝わるアンブロジオ聖歌。ローマ帝国が完全に東西に分裂(395)する前、ミラノの司教であった聖アンブロシウス(340-397)によって整えられたと伝えられていることから、その名で呼ばれる。が、グレゴリウス1世のグレゴリオ聖歌がそうであるように、聖アンブロシウスによるアンブロジオ聖歌もまた、どれほど聖アンブロシウスの手によるものかは、解らない。が、アンブロシオ聖歌が、ローマ帝国末の初期キリスト教会の祈りの風景を伝えてくれているのは間違いない。ローマ帝国末期、ローマに替わって、西の正帝の宮廷が置かれたミラノ(当時は、メディオラヌムと呼ばれ、西ローマ帝国の成立後は、その首都となる... )は、当時、大きな影響力を持っていた聖アンブロシウスの活躍もあり、初期キリスト教会の重要な拠点のひとつとなっていた。そこで歌われ、グレゴリオ聖歌が主流となった後も、歌い継がれて来たアンブロジオ聖歌は、西方教会における聖歌の正統と言えるのかもしれない。
という、アンブロジオ聖歌を、ペレス+アンサンブル・オルガヌムで聴くのだけれど... グレゴリオ聖歌と比べると、色彩に富み、ちょっと驚かされる!何より、古代ローマの地中海文化圏の性格なのだろう、端々に東方性が感じられ、ズバリ、ビザンツ聖歌を思わせるような、何とも言えないエキゾティックなトーンにも彩られ、惹き込まれる!とはいえ、ビザンツ聖歌ほど濃くなることはなく、程好いメリスマにも飾られ、全体に明朗なあたりが、魅力的。ビザンツ聖歌だと、時に秘儀的にすら感じられるような迫力があるけれど、アンブロジオ聖歌は、よりオープンな、讃美歌的なイメージもある。また、そうしたあたりには、繊細さ、洗練も感じられ、祈りに徹しているグレゴリオ聖歌を思い起こすと、とても音楽的なのが印象的。そして、ペレスは、男声、女声を巧みに使い分け、アンブロジオ聖歌特有の交唱を織り成して、変化を付け、しっかりと聴かせる。しかし、久々にアンサンブル・オルガヌムの歌声を聴くと、何か魂を揺り起こされるような、そんな感覚がある。地声をふんだんに活かしつつ、歌い手、ひとりひとりの多彩な個性を綯って、大地に根差したハーモニーを織り成す妙。最後、「すべての人よ、われを祝福せよ」(track.10)の、表情に富んだ歌声に触れると、眩惑されてしまう。西洋のようで、東洋のようで、古代のようで、ニュー・エイジのようで、不思議... そこに、強く惹かれる。

CHANTS DE L'ÉGLISE MILANAISE/ENSEMBLE ORGANUM

Lucernarium "Paravi lucernam Christo meo"
Psalmellus "Tui sunt caeli"
Ingressa "Lux fulgebit hodie super nos"
Angelorum laus "Gloria in excelsis"
Psalmellus "Tecum principium in die virtutis tue"
Alleluia. verset "Hodie in Bethlehem puer natus es"
Offertorium "Ecce apertum est Templum tabernaculi"
Canticum "Ecce quam bonum et jocundum"
Offertorium "Hec dicit Dominus"
Responsorium "Congratulamini mihi omnes qui diligitis Dominum"

マルセル・ペレス/アンサンブル・オルガヌム

harmonia mundi FRANCE/HMC 901295




旧西ゴート王国領、イスラム支配下に保存された古代... モサラベ聖歌。

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アンブロジオ聖歌に続いて聴くのが、モサラベ聖歌。で、これがまた、興味深い存在でして... 西ローマ皇帝から、統治のアウト・ソーシングを受け(たのが、聖アンブロシウスが世を去って間もない頃、418年... )て、現在のフランス南部からスペインを支配した西ゴート王国。このゲルマン系の王国で信仰されていたのが、キリスト教アリウス派(4世紀前半、アレクサンドリアの司祭、アリウスによって提唱された、イエスをより人間的に捉えようとした宗派... )。それを、カトリックに改宗させようと運動したのが、セヴィーリャの神学者、聖イシドールス(ca.560-636)。633年、第4回、トレド教会会議にて、西ゴート王国におけるカトリック体制を確立すると、国内における典礼の統一が為され、同時に、その典礼で歌われる、モサラベ聖歌も整備されたと考えられている。しかし、西ゴート王国の時代は長くは続かない。711年、イスラム帝国の侵攻を受け、西ゴート王国は滅亡。以後、15世紀まで、イベリア半島はイスラム勢力の支配を受ける。が、キリスト教の信仰は守られた。そして、イスラム支配下のキリスト教徒たちは、"モサラベ"と呼ばれるようになり、彼らが歌った聖歌は、モサラベ聖歌と呼ばれるように... おもしろいのは、ピレネー山脈の東側では、カロリング朝による聖歌の整理統合事業、グレゴリオ聖歌の整備が進められる中、イスラム支配下では、その影響を受けず、聖イシドールスの伝統が保存されることに... 歴史とは皮肉なものです。しかし、キリスト教徒による国土回復運動=レコンキスタが進展すると、ローマ・カトリックへの再教化は進み、モサラベ聖歌は、国際標準であるグレゴリオ聖歌へと置き換えられて行った。
そういう複雑な過程があって、モサラベ聖歌の真の姿に迫ることは、なかなか難しい。というのは、モサラベ聖歌は、イスラム支配下、独自に発展したネウマ譜で記譜されていて、それをどう読むかは、グレゴリオ聖歌に取って代わられてしまったことで、失われてしまったから... つまり、今、モサラベ聖歌を歌うということは、再創造的なものになってしまうことは否めない。それでも、ペレス+アンサンブル・オルガヌムは、グレゴリオ聖歌以前の聖歌の伝統を踏まえ、果敢に挑む!そうして浮かび上がるのは、アンブロジオ聖歌同様、古代の地中海文化圏の遠い記憶か... ビザンツ聖歌を思わせる東方性を感じるところがあり、また、コルシカ島の聖歌(西地中海に浮かぶ、この島にもまた、古い聖歌が民俗音楽として生き残っている... )を思い起こさせる実直な力強さがあって、心、揺さぶられる。で、興味深く感じるのは、アンブロジオ聖歌に比べると、プリミティヴですらあるその表情... 音楽的だったアンブロジオ聖歌に比べると、シンプルで、それを活かしての、より骨太な存在感に、圧倒されるのだけれど、そのシンプルさに、ある種の退行が窺えるのか?アンブロジオ聖歌が、古代の最後の輝きならば、その輝きが失われて行く中での、中世の入口に立ったモサラベ聖歌なのかもしれない。男声が、地声で、ひとつ声を揃えて、歌い上げる姿は、どこか寂しげでもあり、沁みる。

CHANT MOZARABE/ENSEMBLE ORGANUM

Office des lectures
Invocation sacerdotale d'introduction "Per gloriam nominis tui"
Officium "Alleluia, ortus conclusus"
Gloria in excelsis Deo
Benedictus es (Hymne des trois enfants dans la fournaise)
Psallendo "Beatus vir" (Commun d'un pontife martyr)
Evangile "Matthieu, 24, 27-35"
Lauda "Alleluia exultabit justus" (Commun d'un pontife martyr)
Preces "Penitentes orate" (monition diaconale)
Sacrificium "Vox clamantis" (Dimanche avant la Saint Jean Baptiste)

Prière eucharistique Dialogue entre le célébrant et le choeur (MM et Tol.Bf°5)
Prêtre "Gratias Dei Patris"
Chœur "Pacem meam do vobis"
Prêtre "Introibo ad altare Dei"
Préface
Sanctus
Ad confractionem panis "Qui venit ad me non esuriet"
Prêtre "Humiliate vos ad benedictionem !"
Ad accedentes "Gustate et videte"
Diacre "Vicit leo de tribu Juda"
Lauda "Speravit" (Lucernarium pour les vêpres)

マルセル・ペレス/アンサンブル・オルガヌム

harmonia mundi FRANCE/HMC 901519




古代の地中海文化圏の都に歌い継がれた古代の残照... 古ローマ聖歌。

HMC901604
最後に聴くのが、古ローマ聖歌。グレゴリオ聖歌以前から、聖都、ローマで歌い継がれて来た聖歌なのだけれど、やがて、フランク王国、カロリング朝が整備したグレゴリオ聖歌にその覇権を奪われて、ローマのローカルな聖歌となって今に伝えられる... って、聖都、ローマの伝統より、新興のカロリング朝の意向が勝った?いや、歴史を紐解いてみれば、今とは異なる、中世前期のローマの力の弱さが浮かび上がって来る。西ローマ帝国の滅亡(476)により、皇帝という政治的後ろ盾を失ったローマは、東ローマ帝国の巨大な権力と対峙し、フン族の侵攻では矢面に立たされ、東ゴート、ランゴバルトと、次々にやって来るゲルマン勢力と向き合い、目の前の地中海ではイスラム勢力が幅を利かせるようになり... まさに、時代の荒波に浮かぶ小舟のようだった。が、その小舟は、北のフランク王国に台頭したカロリング家と結び付くことで権威を高め、800年、ローマ教皇、レオン3世(在位 : 795-816)は、フランク王、カール1世に西ローマ皇帝の帝冠を授け、ヨーロッパにおけるローマ教会の地位を確かなものとする。これにより、西ヨーロッパを支配していたカール大帝は、ローマ典礼を採用し、広める一方で、聖歌に関しては、古ローマ聖歌をそのまま採用するのではなく、各地の聖歌を総合し、グレゴリオ聖歌という国際規格を打ち出す。グレゴリオ聖歌のあの清廉な姿には、アルプス以北の感性が多分に含まれており、また、国際様式としてのある種のニュートラルさが反映されているのだろう。というグレゴリオ聖歌から見つめる古ローマ聖歌には、古代の地中海文化圏の歴史の蓄積が生んだ重みが、ズシリと感じられるのが特徴的。
そのあたりを見事に歌い上げる、ペレス+アンサンブル・オルガヌム!ドローンに支えられた力強い男声による歌声は、やはりビザンツ聖歌を意識させるもので、ミステリアス。それは、音楽を聴くというより、もはや秘儀的で、大地から響いて来るような歌声に、痺れてしまう。しかし、このオリエンタルな気分が、グレゴリオ聖歌以前のローマの教会のリアル。東地中海に端を発するキリスト教の性格からすれば、オリエンタルであることこそ正解なのだろう。さて、ここで聴くアルバムは、古ローマ聖歌による復活祭の晩禱を再現するもの... 古ローマ聖歌は、グレゴリオ聖歌の登場によって捨て去られてしまったわけでなく、その後もローマで脈々と歌い継がれ、ペレスは、そうした、グレゴリオ聖歌登場以後の古ローマ聖歌の姿を丁寧に捉える。だから、剥き出しのオリエンタルばかりでなく、教会音楽が発展していく中でも歌われた古ローマ聖歌の姿が見て取れて、より壮麗に響くのが印象的。いや、このあたりに、聖都、ローマの誇りを見出す。また、古代から中世へ、地中海文化圏からヨーロッパへと時代が変化して行く中、古ローマ聖歌がどう命脈を保ったかが窺えて、興味深い。
ということで、今、改めて、アンブロジオ聖歌、モサラベ聖歌、古ローマ聖歌と聴いてみて、思うのは、グレゴリオ聖歌以前の聖歌の豊かさ!この豊かさの中から、グレゴリオ聖歌という西洋音楽の種は生まれたのかと、感慨を覚えずにいられない。

CHANTS DE L'ÉGLISE DE ROME/ENSEMBLE ORGANUM

Ad processionem Kyrie
Antiphona "Alleluia" - Psalmus 109 "Dixit Dominus" - Antiphona "Alleluia"
Antiphona "Alleluia" - Psalmus 110 "Confitebor" - Antiphona "Alleluia"
"Alleluia . Versus Dominus regnavit" - Versus "Parata sedes tua" - Versus "Elevaverunt flumina"
Antiphona "Alleluia" - Psalmus 111 "Beatus vir" - Antiphona "Alleluia"
"Alleluia" - Versus "Pascha nostrum" - Versus "Epulemur" - "Alleluia"
Responsorium "Cito euntes" - Versus "Ecce precedet vos"
Oratio "Concede quesumus"
Responsorium "In die resurrectioni"s - Versus "Congregabo gentes"
Antiphona "Alleluia" - Psalmus 112 "Laudate pueri" - Antiphona "Alleluia"
"Alleluia" - Versus "O kyrios evasileosen" - Versus "Ke gar estereosen"
Responsorium "Venite et videte" - Versus "Surrexit enim sicut dixit"
Oratio "Presta quesumus"
Antiphona "Vidi aquam"
Antiphona "Alleluia" - Psalmus 113 "In exitu Israël" - Antiphona "Alleluia"
"Alleluia" - Versus "Venite exultemus" - Versus "Preoccupemus faciem eius"
Antiphona "Scio quo Hiesum" - Canticum "Magnificat" - Antiphona "Alleluia"
Oratio "Presta quesumus"
Responsorium "Expurgate vetus fermentum" - Versus "Non in fermento veteri

マルセル・ペレス/アンサンブル・オルガヌム

harmonia mundi FRANCE/HMC 901604




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