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春のヴァルプルギスの夜の夢... 幻想交響曲。 [2016]

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桜が散って、復活祭がやって来て、春本番かと思ったら、春を通り越して、一気に夏日になって、今、寒いという... 春は、気紛れです。さて、日本的には、改元が近付いて来て、何となく、再びの年末みたいな気分。ゴールデン・ウィークに突入し、街中が一気に静かになると、ますます以って年末感漂って来て、不思議な心地がしております。が、それも満更ではないようで、遠い昔、キリスト教が到来する以前のヨーロッパでは、ちょうど今頃が年末みたいな時期だったとか。5月1日、春を祝う五月祭が、正月のような節目で... となると、4月30日は、大晦日。それが、世に言うヴァルプルギスの夜。クラシックでもお馴染みの、おどろおどろしい魔女たちの宴、サバトが開かれる夜。なのですが、元々は、生者と死者を隔てる境界が薄れる日とされていたとのこと... 日本でいうところのお彼岸の感覚に近かったのかもしれない。だからか、ちょうど半年後の10月31日、ハロウィンとは、対(春は魔女が騒ぎ、秋はお化けが訪ねて来るのね... )になっていて、おもしろい。
ということで、かつての新年(そして、日本は、令和!)を迎える前に、ヴァルプルギスの夜が彩る音楽を... ダニエル・ハーディング率いるスウェーデン放送交響楽団の演奏で、ベルリオーズの幻想交響曲(harmonia mundi/HMC 902244)を聴く。

ところで、幻想交響曲(track.10-14)の前に、ラモーのオペラ『イポリートとアリシ』のバレエ・シーンを集めた組曲(track.1-9)を取り上げられるのだけれど... いやー、大胆!しかーし、核心を突いているのかも... ラモーのオペラ・デビュー作、『イポリートとアリシ』が初演されるのは、1733年。それは、ヘンデルポルポラがロンドンでバチバチやり始めた頃だから、まさにバロック花盛りの頃... それから一世紀ほどが経って、ベルリオーズがローマ賞に輝く年、1830年に作曲された幻想交響曲。年表を広げて、ラモー(1683-1864)とベルリオーズ(1803-69)の距離を測れば、到底一枚のディスクに盛り付けられるものではない。が、そういう常識を取っ払ってしまえば、ラモーとベルリオーズには、底流する独特な感覚を見出せる気がして来る。プレ・ロマン主義とも言える"疾風怒濤"を先取りしたラモーのオペラには、ベルリオーズを予感させる劇性や幻想性がすでに現れているようなところがある。裏を返せば、ベルリオーズの源流は、ラモーに求められるのかもしれない。ヴェルサイユでも、パリでもなく、フランス中部で研鑽を積んで来たラモーの、中央の洗練とは一味違う色彩感、地に足の着いた音楽性は、普段、見過ごされがちに思う。この、ある種、門外漢としてのラモーの音楽性は、鬼才、ベルリオーズの規格外に通じるのかもしれない。実際、『イポリートとアリシ』が、パリ、オペラ座で初演されると、前衛作品として賛否両論を巻き起こしている。繊細にして優美なフランス音楽とは一線を画す、ドラマティックさ、描写性に、当時のパリっ子たちは度肝を抜かれたわけだ。そして、ここで聴く、舞踏組曲としての『イポリートとアリシ』は、力強いリズムを刻み、実に表情に富み... さらにはピリオドを意識した演奏も相俟って、時としてフォークロワを思わせる野趣すら感じられ、ワイルド。また、いつもは交響曲を演奏しているスウェーデン放送響のスケール感も活き、より据わったラモーが展開され、異形の交響曲、幻想交響曲へ、すんなりとつなげられてしまうのがおもしろい。
そうして幕が上がる、幻想交響曲。絶対音楽=交響曲のはずが、恋情に狂わされて行く若き作曲家の姿を描くという、何とも矛盾を抱えた作品を、まるでオペラのように見せるハーディング。ラモーのオペラからの組曲を、その前に持って来たのも、"オペラ"を印象付ける狙いがあるのか?冒頭、まさに幕が上がったばかりの舞台を見つめるような感覚があって... それから、薄幸のヒロイン演じるプリマが、シェーナを歌い出すような、何とも言えない情感が漂い出す。そうしてドラマが動き出すと、スコアに籠められた感情の全てが揺さぶり起こされ、交響曲であることを忘れさせる生々しい息遣いが充ち満ちて、もう1楽章(track.10)から息つけぬ展開。だから、その後での2楽章、「舞踏会」(track.11)では、タイトルのままに微笑ましいワルツに彩られて、ホっとさせられる。とは言え、きっちりと刻まれるワルツのリズムは妙にリアルで、本当に舞踏会へとやって来てしまったような、これまた生々しい... 続く3楽章、「野の風景」(track.12)は、野原に出て、そこに在る音をそのまま収録してしまったような、瑞々しいサウンドが広がり... 激しい幻想交響曲にして、一転、眠くなるほどのどやかな3楽章なのだけれど、ハーディングは、そののどやかさの一瞬一瞬を息を呑むような瑞々しさで捉えていて、驚かされる。そこから、一番の聴かせどころ、4楽章、「断頭台の行進」(track.13)へ!真っ当に華やかで力強い音楽に、いつもながら惹き込まれる。それにしても、やっぱり幻想交響曲は異形の交響曲。その異形を丁寧に炊き付けるハーディング... ちょっとしたフレーズさえ鮮やかにヴィジュアライズされ、聴く者の眼前にありありと情景を浮かべて見せる。いや、これは魔法だろうか?魔女たちの登場は終楽章のはずだけれど、1楽章からすでにサバトは始まっているのかもしれない。あるいは、サバトの出し物として、若き作曲家の転落と狂気を見せているのかも...
そうして迎える終楽章、「サバトの夜の夢」(track.14)。これまでのヴィジュアライズされる感覚が、サバトに出くわすと、何か表現が炸裂して行くようで、凄い!いちいち、凝った表情を作り込み、音楽を聴くと言うより、実験映像を見せられるような、目の回る思いをさせられる。音楽として、美しくまとめようとせず、とにかく、徹底してやり切る。だから、イメージがコラージュのように聴く側に次々と投下され、クラクラさせられてしまう。で、クラクラした先に、まさに幻想を見せる。バーンスタインが、この交響曲を、最初のサイケデリックな交響曲と呼んだらしいけれど、ハーディングの、この終楽章を聴いて腑に落ちた。いや、サイケデリックにしては、随分とダークなのだけれど、聴く者を存分に惑わして、その先にカタルシスを創り出す妙。ベルリオーズの規格外の音楽性をまざまざと見せ付けられる思い... そういう、幻想交響曲の本質に徹底的に迫る、ハーディング+スウェーデン放送響。2007年に始まった現体制、すでに10年を越えているだけに、一体感がただならない(この録音は、2015年だから、8年目なのだけれど... )。ハーディングが求める音を活き活きと繰り出して来るスウェーデン放送響... ラモーにしろ、ベルリオーズにしろ、ピリオドも臆さず、余裕綽々、縦横無尽で、一音一音が息衝き、その躍動感が半端無い。クラシックの、クラシックならではのお上品さ、なんて、お構い無しに、スコアにがっついて、表現し尽くそうという熱気は恐いくらい。なればこそのヴィジュアライズ!目が醒める!いや、ヴァルプルギスの夜に相応しい演奏!こういう演奏をガツンと聴くと、五月祭を清々しく迎えられそう。

BERLIOZ Symphonie fantastique
Swedish Radio Symphony Orchestra / Daniel Harding


ラモー : オペラ 『イポリートとアリシ』 組曲
ベルリオーズ : 幻想交響曲 Op.14

ダニエル・ハーディング/スウェーデン放送交響楽団

harmonia mundi/HMC 902244




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