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春を接いで、ドビュッシー、ラフマニノフ、ストラヴィンスキー... [2017]

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音楽と四季の相性は、良いように思う。ヴィヴァルディの『四季』という傑作もあるし... いや、四季のうつろいは、目で認識されるものだけれど、四季を創り出すのは大気であって、大気を震わせる芸術、音楽は、より根源的に季節を表現できるのかもしれない。ふと、そんなことを考えたのは、4月に入って、音楽における"春"に注目してみて... 桜が象徴するように、春ほど視覚に訴えて来る季節は無い。が、春の麗(うるわ)しさ、麗(うら)らかさは、活き活きと音楽でも表現される。例えば、先日、聴いた、ランゴーの「春の目覚め」や、ベートーヴェンの「春」。そこから聴こえて来たのは、春ならではの空気感を知るからこそ感じられる、音楽が紡ぎ出す春らしさか... 特に、ベートーヴェンの「春」は、"春"を念頭に作曲されていなかったものの、後世、それを「春」と呼ばずにいられなかったことを思うと、人間は、季節の表情に、某かの音楽を聴いているのかもしれない。
ということで、春尽くしの1枚... ヴァシリー・ペトレンコ率いる、ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、ドビュッシーの交響的組曲『春』、ラフマニノフのカンタータ『春』、そして、ストラヴィンスキーの『春の祭典』(onyx/ONYX 4182)を聴く。

ローマ賞を受賞(1884)したドビュッシー(1862-1918)が、ローマ留学中、1887年に完成させたのが交響的組曲『春』(コーラスのヴォカリーズを伴う2台のピアノによる作品で、帰国後、オーケストレーションさける... )。ここで聴くのは、紆余曲折あって、1912年、作曲者の指示の下、ビュッセルによってオーケストレーションされた交響的組曲『春』(track.1, 2)。それから、1番の交響曲(1895)の失敗により、しばらく落ち込んでいたラフマニノフ(1873-1943)が、2番のピアノ協奏曲の成功で、再び輝きを取り戻す、1902年に作曲されたカンタータ『春』(track.3)。そして、第一次大戦の前年、1913年に初演された、まさに近代音楽の春、ストラヴィンスキー(1882-1971)のバレエ『春の祭典』(track.4-17)。という3曲... "春"というタイトルの曲を探して来て、とりあえず3つ並べてみました的な印象を受けかねないのだけれど、いやいやいや、俊英、ヴァシリーだけに、そう安直なものには納まらない。というより、この3曲を並べることで、それぞれの作品の新たな可能性すら引き出せていて... またそこに春の恐さのようなものも見出して、ちょっとただならない一枚...
その1曲目、ドビュッシーの交響的組曲『春』(track.1, 2)。フィレンツェ・ルネサンスを代表する画家、ボッティチェッリ(1445-1510)の『プリマヴェーラ』にインスパイアされた作品は、ドビュッシーらしい匂やかなサウンドで、絵画そのままに春の訪れを美しく描き出すも、組曲後半、2曲目(track.2)に入ると、音楽は次第に『プリマヴェーラ』のイメージ以上に春の盛りを描き出し、『海』を思わせる躍動感で聴く者を圧倒する。で、その躍動に、『春の祭典』への伏線が敷かれるのか?続く、ラフマニノフのカンタータ『春』(track.3)が、このアルバムに、思い掛けないスパイスを効かせる!ニコライ・ネクラーソフの詩、「新緑のざわめき」(1863)を、バリトンとコーラスがオーケストラの伴奏を伴って歌うのだけれど、その内容が凄い... 不倫した奥さんを農夫が殺そうかと思案するというロシア的な陰鬱さがベースとなり、やがて春が訪れて、もうどうでもいいや!と解放されるという、一癖ある展開で春のパワフルさが強調されるカンタータ。冬、ウジウジと思案していたところに、春のざわめきがジワジワ押し寄せて... 単に季節がうつろうだけでないエモーショナルさを籠めるラフマニノフ。聴き所は、後半へ入って、フツフツと湧き上がるように至る、「殺せ、恥知らずな女を!」と捲くし立てるコーラス!基本、ロマンティックな音楽で描かれるカンタータ『春』なのだけれど、熱狂するコーラスには、『春の祭典』に通じるロシアのバーバリズムが聴き取れて、恐さすら覚える。いや、「殺せ、恥知らずな女を!」という熱狂の、箍が外れた姿は、ラフマニノフにとっての『春の祭典』なのかもしれない。そして、その熱狂は、すぐに春ならではの芳しいサウンドに吸収され、それまで渦巻いていた様々な感情は静まり、春の穏やかな風景が広がって、音楽は穏やかに閉じられる。
で、間髪置かずに『春の祭典』(track.4-17)が始められるのだけれど、カンタータ『春』の穏やかな終わりから、『春の祭典』、第1部の、どこかのどやかな序奏(track.4)へとナチュラルにつなげられて、まるでひとつの作品のように聴こえるから、おもしろい!いや、泣く子も黙る『春の祭典』が、身構えることなく始められるのが、新鮮。さらに、序奏の後もまた新鮮に感じられ... 1曲目のドビュッシーが、絵画にインスパイアされているからか、『春の祭典』も、どこか絵画的な印象を受け、2曲目のラフマニノフの、人間臭いあたりが、『春の祭典』にも作用して、近代音楽の尖がったところに、情感を掘り起こし、聴き知った『春の祭典』が、一味違うものに見えて来る。ドビュッシーの印象主義、ラフマニノフのロマン主義を経て、『春の祭典』へと至ると、近代音楽だけではない部分が強調されるのか、時代を挑発した刺々しさよりも、西欧から遠く外れたロシアのローカル性が味わいとして全体を彩り、リムスキー・コルサコフのファンタジーを思い起こさせて、魅惑的。
そんな、独特な感触を生み出すヴァシリー... やっぱり、この人のアプローチは、おもしろい。まさに、現代っ子、一切の気負い無く、飄々とスコアを捉え、屈託無く全体を見据え、変拍子に、不協和音に、というばかりでない、意外と伝統を踏襲している部分を大事に響かせる。だから、『春の祭典』に、リムスキー・コルサコフのファンタジーを思い起こさせるのかも... すると、そこはかとなしに"春"が感じられて、びっくりする。『春の祭典』とはいえ、この音楽に"春"を感じるなんて、これまで考えられなかったから... もちろん、ブルーミンな春ではない。ラフマニノフの春のような、箍が外れた春。冬の何も無いところから、あらゆるものが蠢き出す春の、冷静に捉えてみると異様というか、恐さを孕むような"春"のありのままの姿... とはいえ、近代音楽としてのエッジの鋭さも研ぎ澄まされていて、ロイヤル・リヴァプール・フィル(以後、RLPO... )の演奏も、攻めるべきところは、存分に攻めて来る。だから、表現の幅が半端無い... なればこそ、『春の祭典』を、ドビュッシーやラフマニノフと同じラインに並べて、ひとつの流れを生み出し得るのだと思う。それは、『春の祭典』のみならず、ドビュッシーでも、ラフマニノフでも活きていて... 色彩に富み、力強く、何よりクリアで、縦横無尽。RLPOもまた、現代っ子なのだと思う。どの作品も、キレッキレでいて、それが何か?と、あっけらかんとしている。そして、ラフマニノフでは、ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー合唱団が、パワフルな歌声を聴かせてくれて、圧巻!「殺せ、恥知らずな女を!」は、もうね、カタルシス感じまくり... ホゴソフのバリトンも雄弁で、ドラマティック。聴き入ってしまう。そんな声楽陣の活躍があって、『春の祭典』に引けを取らないインパクトを生むカンタータ『春』!最高。
しかし、おもしろい一枚!まるで春の狂気を煮出すような、ドビュッシー―ラフマニノフ―ストラヴィンスキー。てか、春の狂気を思い起こさせる一枚... いや、桜を御覧なさい。ある日、突然、枯れ木を花々が覆うのですよ?!冬から春への変化のパワフルさは、凄まじい。それを改めて気付かせてくれる、ただ美しいだけじゃない躍動する"春"の音楽の数々。躍動が、新たな躍動を呼び、躍動にも表情が生まれるケミストリー。これは、聴き手をただならず刺激して来るアルバム。

DEBUSSY ・ RACHMANINOV ・ STRAVINSKY ・ RLPO/PETRENKO

ドビュッシー : 交響的組曲 『春』 〔オーケストレーション : ビュッセル〕
ラフマニノフ : カンタータ 『春』 Op.20 **
ストラヴィンスキー : バレエ 『春の祭典』

ヴァシリー・ペトレンコ/ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団
ロディオン・ポゴソフ(バリトン) *
ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー合唱団 *

ONYX/ONYX 4182




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