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春の目覚め... ランゴー、芳しき、交響曲。 [2018]

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何だか、万葉への思いが、フツフツと湧いてしまっている、単細胞生物です。
いや、「令和」がなけらゃ、『万葉集』への関心なんて、なかなか沸かなかったよ。と、つくづく... そして、これまでの不勉強をですね、反省するわけです。でね、万葉が素敵過ぎて、今さらながらに、ビックリしております。初春の令月、風和らいで、梅は開花し、蘭が薫るのです(「梅披鏡前之粉」、「蘭薰珮後之香」、この見事な対が、たまらん!)。それも、ファンデみたいな梅の花の色に、フレグランスを付けたアクセサリーからさり気なく薫るみたいに蘭の香りが漂うというね、現代に通じる万葉のお洒落センス!ちょっと、素敵じゃない?「平成」には無かったよ、こういうロマンティック... てか、これまでも無かったのでは?厳めしくて元号、というイメージを覆す、『万葉集』というチョイス。万葉のたおやかさ、におやかさには、現代っ子感覚すら見出せる気がする(花見をしますよ、という扉書きに向かって、やれ国粋主義だ、やれ右傾化だって、アナタ、それこそエイプリル・フールだよ... )。そんな出典のままに、「令和」の時代が、しなやかで、多様性に溢れる時代となって欲しい!
という願いも籠めまして、令月、風和らいで、春が目覚めるブルーミンな音楽を... サカリ・オラモの指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏、アヌ・コムシ(ソプラノ)の歌で、ランゴー、交響曲、第2番、「春の目覚め」(DACAPO/6.220653)を聴く。

嗚呼、芳しい... 何てブルーミン!最初の一音から、ただならず豊潤で... 春の目覚め?というより、はっと気が付いたら、目の前から春が押し寄せて来るようなイメージ... 北欧の春の訪れは、こんな感じなのだろう。デンマークの不遇の天才、ランゴー(1893-1952)による、2番の交響曲、「春の目覚め」は、1912年、19歳の時に作曲が始められ、1913年、ベルリン・フィルが初演した1番の成功(未だ20歳!)を経て、1914年に完成している。まだ、ロマン主義が奔流に在った、第一次大戦前夜、ランゴーの音楽は、リヒャルト・シュトラウスを思わせるロマンティックに包まれて、さながら『ばらの騎士』(1911)の交響曲版。終楽章(track.3)では、ドイツの詩人、エミール・リッタースハウス(1834-97)による、春を綴る詩が、ソプラノによって歌われるのだけれど(ぱっと見、マーラーの4番の交響曲を連想させる?)、その花々しさは、まるで、ゾフィー(最後、ばらの騎士と結ばれる令嬢... )のために書かれた追加シーンのよう。1911年、『ばらの騎士』のドレスデンでの初演は、当時、ヨーロッパに一大センセーションを巻き起こし、ウィーンからドレスデンまで専用列車が走るほどのブームに... そして、ランゴーの2番、「春の目覚め」には、間違いなく、その影響が聴き取れる。そのあたりに、ランゴーの若さというか、青さを感じてしまうのだけれど、なればこその、素直に表現される、『ばらの騎士』的、芳しさには、魅了されずにいられない。一方で、リヒャルトの、糜爛してしまったようなオーケストラ・サウンドに比べると、ランゴーには抑制が効いていて、春の芳しさはより解り易く立ち上り、そのあたりに、ランゴーらしさは垣間見えるのか?いや、十分に豊潤でありながら、見通しの良さが保たれている、その手腕たるや!デンマークの音楽を切り拓いた、ゲーゼ(1817-90)、ニールセン(1865-1931)ら、偉大な先人たちを、すでに凌いでいたようにすら感じられる充実感!
という、「春の目覚め」を特徴付けるのは、2楽章(track.2)だろうか... 冒頭、デンマークのクリスマスの讃美歌のテーマが引用され、春の芳しさは、一端、落ち着き、宗教的な気分が広がる。そこには、終生、教会のオルガニストとして活動したランゴーの敬虔深さと、ちょうど父を亡くしての弔いの思いも反映されているとのこと... 厳かにして、やさしい表情にも充ち、静かに緩叙楽章が綴られて行く。が、その中間部、突然、楽しげな音楽が顔を出すのを合図に、ヴァイオリン・ソロが艶やかにメロディーを紡ぎ出し、夜の森に迷い込んだような、少しおどろおどろしい、ファンタジックな世界に引き込まれる。遠くで賛美歌が聴こえながら、昼間のとは違う、夜の鳥のさえずりを思わせるフルートのパッセージ... 突然、時空が歪むような奇妙な情景は、アイヴズ(1874-1954)のコラージュを思わせる、モダンなポリフォニーを織り成して、それまでの静かな流れに魔法を掛けるかのよう。ロマンティックでありながら、実験精神にも富むランゴーの音楽の片鱗を、早くも見出せる。そんなランゴーの2番、「春の目覚め」は、1914年、コペンハーゲンで初演されるものの、保守的なデンマークではウケが悪く、第1次大戦後、1821年、ドイツ、エッセンで演奏されると、一転、好評。ベルリン、ウィーンでも演奏される。さて、2番の後に、第一次大戦後、1919年から翌年に掛けて作曲された、6番、「天を切り裂いて」(track.4-10)が続く... それは、旧約聖書のイザヤ書、天から神が降りて来る場面を描く、より宗教色を強めた作品。でもって、主題と変奏という、交響曲の概念を取っ払った独特の作品で、ランゴーらしさが開花!新旧、様々なスタイルを屈託無く用い、神秘的でドラマティックな情景を巧みに響かせる。さらに、晩年の作品、14番、「朝」、2楽章(track.11)も取り上げられるのだけれど、まるで「春の目覚め」へと帰るようなブルーミンな音楽を響かせて、魅了される。
そんな、ランゴーの交響曲を、ウィーン・フィルで聴くという、意外さと、贅沢さ!指揮は、フィンランドのマエストロ、オラモということで、北欧のレパートリーはお手の物、実に手堅いのだけれど... オラモらしい、クリアかつ色彩感に富むアプローチが、ランゴーの魅力を丁寧に、何より、解り易く聴かせてくれる。特に、6番、「天を切り裂いて」(track.4-10)での、ヴィジュアライズされるような音楽のポップさとでも言おうか、モダニスティックではあっても、近代性が前面に立って主張して来ないランゴーの独特なスタンスが、オラモの音楽性にはまり、よりおもしろく聴かせてくれる。そして、ウィーン・フィル!このオーケストラならではの薫り豊かなサウンドは、「春の目覚め」(track.1-3)のブルーミンなあたりをより引き立てて、魅惑的!オーストリア視点からか、若きランゴーの音楽のリヒャルト色を強め、20世紀におけるロマン主義の展開を活き活きと響かせる。それから、「春の目覚め」の終楽章(track.3)で歌う、コムシ(ソプラノ)の、花々しくも力強い歌声も印象的... その可憐でドラマティックな表情は、まるでオペラ!で、びっくりさせられるのが、最後に、タンゴ・ジェラシー(track.12)が登場するところ!いや、ウィーン・フィルがタンゴの名曲を演奏するとは!てか、この名曲を作曲したのが、デンマークの人だったとは... 何だか、いろいろびっくりさせられた。という、ヤコブ・ゲーゼ(1879-1963)の1925年の作品、タンゴ・ジェラシー。ウィーン・フィルで聴くからか、よりヨーロピアンで、豊潤で、魅了されてしまう。また、どことなしに、ランゴーとの距離の近さも感じられる?ような...

RUED LANGGAARD Symphonies 2 & 6

ランゴー : 交響曲 第2番 「春の目覚め」 *
ランゴー : 交響曲 第6番 「天を切り裂いて」
ランゴー : 交響曲 第14番 「朝」 から 2楽章
ヤコブ・ゲーゼ : タンゴ・ジェラシー

サカリ・オラモ/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
アヌ・コムシ(ソプラノ) *

DACAPO/6.220653




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