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古典主義とロマン主義の狭間で、アイブラー、『四終』。 [2005]

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「令和」、と聞いて、まず、びっくりして、呑み込むのに少し時間が掛かった。なぜかというと、「平成」からすると、凄く上品(令夫人とか、令嬢とか、そういうイメージ?)に感じられたから... でもって、出典が提示されて、「令和」の二文字の背景を知ると、今度は、びっくりするほど、リリカル... "初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす"ということは、月が清んだ光を放つ夜、恋人を待つ、恋人に逢いに行く... みたいなニュアンスを感じたりしなくない?何だか、頭の中で、カスタ・ディーヴァが流れて来そう... で、月、風、花の絶妙なバランスが生む空気感たるや!万葉の先輩たちの、この繊細さに近付きたい!しかし、情感に富む「令和」から、「平成」の二文字を見つめると、何だかヤッツケ感を感じてしまう。平らに成るか... いや、このフラットさ、もの凄く庶民的で、それに慣れ切ってしまったからこその、呑み込むのに少し時間が掛かった「令和」なのだろう。それにしても、2つの元号が並ぶ姿に、不思議な感じがする。「平成」への気安さと愛着と惜別と、「令和」の少し刺激的で、凛とさせる上品なブランニュー感、いろいろが綯い交ぜになって、今は何とも言えない心地... これからひと月、そんな心地の中をたゆたいつつ、ひとつの時代が終わることを噛み締めて行くのですね。今は、頭の中、『ばらの騎士』の最後の三重唱です。は、さておき、当blog、今月も、四旬節対応...
ということで、17世紀、18世紀と、いろいろな教会音楽を聴いて来て、ここから、19世紀へと踏み込みます。ヘルマン・マックス率いる、ライニッシェ・カントライのコーラス、ダス・クライネ・コンツェルトの演奏、エリーザベト・ショル(ソプラノ)、マルクス・シェーファー(テノール)、ペーター・コーイ(バス)のソロで、アイブラーのオラトリオ『四終』(cpo/777 024-2)を聴く。

ヨーゼフ・レオポルト・アイブラー(1765-1846)。
ハイドン(1732-1809)、モーツァルト(1756-91)と、深く交流を持った人物として記憶されるアイブラー... そのあたり、改めて見つめてみると、なかなか興味深い。まず、学校の教師で、聖歌隊の指揮者だった父が、ハイドン家と親交があり、アイブラーは、これが縁で、後に、ハイドンから様々な支援を受けている。で、そのハイドンを通じて紹介されたのがモーツァルト... この希代の天才に付いて多くを学び、『コジ・ファン・トゥッテ』(1790)の初演では、リハーサルを手伝ったりと、信頼も厚く、モーツァルトが遺作、レクイエムを完成させることなく世を去ると、モーツァルト夫人、コンスタンツェは、アイブラーに補筆を託している。が、モーツァルトへのリスペクトが強過ぎたか、結局、完成させることができず、我々が知る通り、ジュスマイヤー(サリエリの弟子で、『皇帝ティートの慈悲』『魔笛』の写譜を務めていた... )が仕事を引き継ぐことになる。ちなみに、ジュスマイヤーという人選の正統性を宣伝するためにでっち上げられたのが、"モーツァルトの弟子"という肩書(って知った時は、びっくり!そう古い話しじゃないっス... 汗... )。ジュスマイヤーは、モーツァルトの臨終に立ち会い、レクイエムをどう完成させるか指示を受けたことになっている(は、フィクサー、コンスタンツェの、その"妹"による回想に基づく。ってのが、怪しかったわけだ... )が、実際に病床のモーツァルトの傍らで世話をし、最期を看取ったのは、アイブラーだったらしい。って、ちょっと切なくなる話し... さて、モーツァルトの死の翌年、1792年、カルメル会の教会の聖歌隊の指揮者に就任したアイブラー。1794年には、ショッテン修道院の楽長となり、ここをベースに、教会音楽の世界でキャリアを積んで行く(『コジ・ファン・トゥッテ』の初演で、劇場の裏側のドロドロを目の当たりにし、オペラ作家にはならない!と、決意... )。1801年、ハイドンの後押しと、皇后の支持があって、ハプスブルク家の宮廷音楽教師に... 1804年には、宮廷楽長代理となり、1824年、とうとう宮廷楽長へと上り詰める。
そして、ここで聴く、オラトリオ『四終』は、1810年、オーストリア皇帝、フランツ1世(在位 : 1804-35)の委嘱による作品で、ゾンライトナー(『フィデリオ』の台本を書いたひとり... )による台本は、その前年に世を去っていたハイドンのために用意されていたもの(1801年に初演された『四季』の次が、『四終』だった?)。で、"四終"とは?キリスト教が説く、世の終わりに行われる公審判、"死"、"審判"、"天国"、"地獄"の、四つの終わり、行き着いた状態を意味し、アイブラーは、それを、終末(disc.1, track.1-10)、最後の審判(disc.1, track.11-20)、その後の贖い(disc.2)の三部構成で描き出す。いや、カタストロフを描くだけに、実にドラマティック!第1部の序曲から、ただならない... 不穏な空気が立ち込める長い序奏から、力強い音楽が炸裂する後半、この展開は、もはや、ロマン主義!ワーグナーすら予感させる瞬間もあって、ドキっとさせる。いや、ハイドンが逝った次の年に、こういう音楽が書かれていたとは... ハイドンの最後のオラトリオとなる『四季』には、すでにロマン主義を思わせる躍動があったけれど、アイブラーの音楽は、その躍動を引き継ぎ、より明確にロマン主義的なドラマティシズムを繰り出して、聴く者を引き込む。序曲の後の最初のコーラス(disc.1, track.2)の冒頭なんて、まさに終末!そこから、厳めしいフーガが織り成されれば、これぞオラトリオ... ソプラノが歌う第2の大天使のアリア(disc.1, track.6)は、美しく朗らかで、まだまだウィーン古典派の伝統は息衝いているのだけれど、テノールが歌う第3の大天使のレチタティーヴォ・アッコンパニャート(disc.1, track.9)から、第1部の最後のコーラス(disc.1, track.10)への流れは、ロマン主義のオペラを見るかのよう。てか、聖書のカタストロフが音楽を炊き付けて、よりドラマティック... 18世紀のオラトリオとは明らかに異なる緊張感が漲り、どこかオラトリオの黎明期=対抗宗教改革の時代に帰る、熱さと解り易さがあって、聖書の世界への独特な真摯さも見出せるのか...
穏やかだった18世紀が、フランス革命(1789)によって揺さぶられ、それにより始まったナポレオン戦争(1803-15)では、ヨーロッパ中が戦場となり、この『四終』が初演される前年、1809年、ウィーンは、フランス軍に包囲され、砲撃され、戦争の恐怖を味わっている。そういう生々しい経験が、このオラトリオに真摯さと、ロマンティックな劇性をもたらしているように思う。いや、ロマン主義とオラトリオの相性は良いのかもしれない。オラトリオの傑作がいろいろ誕生している19世紀を振り返ると、ふと、そんな風に思う。で、アイブラーの『四終』は、その端緒だったか... 一方、アイブラーの音楽のおもしろさは、古典主義とロマン主義が上手いこと結ばれているところでもあり... 古典主義のカウンター・カルチャーとして登場したロマン主義のはずが、アイブラーの音楽においては、新旧2つのイズムが対立することはなく、というより、古典主義がロマン主義へと変容して行くようで、興味深い。いや、まさに過渡期なのだろうけれど、過渡的であることに、無理が無いというか、古典主義の良さとロマン主義の良さの間を飄々と渡ってみせて、最大限に効果を生み出す妙。カタストロフが迫り来る第1部(disc.1, track.1-10)、第2部(disc.1, track.11-20)では、よりロマン主義的に、一方、その果てに広がる第3部(disc.2)では、古典主義へと回帰して行くようで... 浮世が揺さぶられ、崩壊する姿はロマン主義=19世紀で、あの世は古典主義=18世紀... 聖書の世界を描きながらも、どこかフランス革命で一線を画した18世紀/19世紀のヨーロッパのパノラマを映すようでもあり、そうした時代背景を含めて見つめると、また刺激的... という『四終』は、皇帝夫妻を前に宮廷で初演された後、ウィーンの音楽家協会でも歌われて、大成功する。
さて、この知られざるオラトリオを取り上げるのが、マニアック担当、マックス!で、いつもながら、マニアックなレパートリーを活き活きと繰り出して、堂々たる音楽を響かせる。その迷いの無いアプローチは、作品を息衝かせ、マニアック云々を越えて、聴き手をしっかり捉えて来るから凄い。いや、1810年、大成功したオラトリオの魅力をしっかりと蘇らせていて、なぜこの作品が忘れ去られてしまったのか不思議に思えてしまう。で、最も印象に残るのが、ダス・クライネ・コンツェルトの演奏!ピリオド・オーケストラならではのクリアさと、19世紀に入ってのスケール感も響かせながら、ロマン主義を躍動させる!アイブラーによる世の終わりの見事な描写を、鮮やかに音にし、背景だけでも十分に聴かせてしまう。そこに、ピリオドの世界で活躍する実力派の3人のソロが、また活き活きと歌い... 上品なショル(ソプラノ)、ほのぼのとしたシェーファー(テノール)、瑞々しいコーイ(バス)と、魅了されずにいられない。そして、忘れてならないのが、ライニッシェ・カントライのコーラス。起伏のある音楽を表情豊かに歌い切り、惹き込まれる。いや、マックスによる録音に触れていつも思うのだけれど、マニアックな作品を掘り起こすことだけでもなかなか大変なことのはずなのに、それを意識させることなく、作品の真価を遺憾無く表現し切る凄さ!『四終』もまたそう... で、凄い作品です。

Joseph Eybler ・ Die vier letzten Dinge
Das Kleine Konzert ・ Rheinische Kantorei ・ Hermann Max

アイブラー : オラトリオ 『四終』

第2の大天使/エーファ : エリーザベト・ショル(ソプラノ)
第3の大天使 : マルクス・シェーファー(テノール)
第1の大天使/アダム : ペーター・コーイ(バス)
ライニッシェ・カントライ(コーラス)
ヘルマン・マックス/ダス・クライネ・コンツェルト

cpo/777 024-2




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