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ザルツブルク、宮廷楽士長、ミヒャエル・ハイドンのナチュラル! [before 2005]

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桜が咲き出しましたね。けど、また寒くなったりで... 三寒四温、行きつ戻りつなのが、桜の頃らしい。一方、当blogは、四旬節、一直線!世俗音楽を控えております。キリスト教徒でもないのにね... けど、楽しい!って、かつての教会音楽は、それほど充実していたということなのだよね。いや、改めて、教会音楽、あるいは、教会で演奏された音楽と向き合ってみると、かつての教会は音楽センターであったことを思い知らされる。さすがの総本山、濃密なローマに、リトル・イタリー?なインスブルック、束縛の無いヴェネツィア、意外にインターナショナルなミュンヒェン、とにかく豪奢なドレスデン、敏腕楽長による充実のエステルハーザ... それぞれ、宗教的背景が異なって、カラーがあり、実にヴァラエティに富んでいたなと... いや、ちょっと旅する気分。で、次に向かうのは、注目すべき宗教都市、ザルツブルク。その楽士長を務めた、ミヒャエル・ハイドンによる教会音楽。
ゲーリー・グレイデンが率いる、ストックホルムの合唱団、聖ヤコブ室内合唱団、ミア・パーション(ソプラノ)らの歌、ピリオド管楽アンサンブル、アンサンブル・フィリドールの演奏で、ミヒャエル・ハイドンの聖ヒエロニムスのミサ(BIS/BIS-CD-859)を聴く。

交響曲の父、ハイドンの弟、ミヒャエル(1737-1806)。兄、ヨーゼフ(1732-1809)、同様、幼い頃からウィーンの聖シュテファン大聖堂の聖歌隊で歌い、音楽を学び、成長すると、1757年、20歳にして、グロースヴァールダイン(当時はハンガリー、現在はルーマニアのオラデア... )の司教の楽長となり、音楽家としてのキャリアの第一歩を踏み出す。そして、1763年、ザルツブルク大司教の宮廷の楽士長に就任、以後、ザルツブルクを拠点とする。というザルツブルクは、今でこそオーストリアの一部だけれど、当時は、ザルツブルク大司教領として、オーストリアからは独立したひとつの領邦。それも、君主たるザルツブルク大司教は、アルプス以北において、教皇の代わりを務める権利を有するという、他の司教たちよりも上位にあった存在。ということで、ザルツブルクは、古くから重要な宗教都市としての地位を築いていた。当然、音楽面でも歴史と伝統を誇り、バロック期には、ビーバー(1644-1704)や、ムッファト(1653-1704)が活躍。さらに、教会音楽のみならず、ウィーンの宮廷の副楽長、カルダーラ(1670-1736)が、度々、訪れ、オペラも上演されるなど、音楽都市としても、十分にその存在感を放っていた。そこへやって来たミヒャエル... 音楽に熱心だった大司教、シュラッテンバッハ伯、ジグムント3世(在位 : 1753-71)は、優秀な音楽家たちを抱え(モーツァルト親子!)、ザルツブルクの音楽を大いに盛り上げた。その次の大司教、コロレド伯、ヒエロニュムス(在位 : 1771-1804)の時代、1777年に作曲された聖ヒエロニムスのミサ(track.1-9)を聴くのだけれど、これが実に個性的な編成のミサでして...
キリエに始まり、9つのパートからなる堂々たるミサは、古典主義の時代らしい、朗らかさに包まれ、聴いていると、ポカポカして来るような音楽。で、それを強調するのが、管楽アンサンブルによる伴奏。いや、結構、驚かされる要素... で、1777年、ザルツブルク大聖堂での初演も、大司教をはじめ、集った人々を大いに驚かせたとのこと... 一方で、管楽アンサンブルは、オルガンに近い感覚を生み、またオルガンよりも歌声に寄り添って、何とも言えない気の置け無さも醸し出す。その初演に立ち合ったモーツァルトの父、レオポルト(1719-87)は、このミサを、「オーボエ・ミサ」と呼び、大いに評価している。まさに!オーボエの朗らかな音色に導かれて、キャッチーなメロディーを4人のソロとコーラスが歌いつないで行く音楽は、実に良くできている。カトリックならではの慇懃無礼さは無く、どことなしに愛らしくて、それでいて、とても上品。当然ながら、モーツァルトのミサと通じるセンスがあり、モーツァルトよりもこなれた展開を見せて、全てがナチュラル!何より、端々、耳を捉えるニュアンスに溢れ、魅了して来る。兄、ヨーゼフは、交響曲の大家として知られていたわけだけれど、弟、ミヒャエルは、教会音楽の大家として名声を博していた事実... そのあたり、兄やらモーツァルトに隠れて、なかなか注目されないものの、この聖ヒエロニムスのミサを聴けば、納得。何より、オーボエとファゴットをメインとした温かみのあるサウンドを、大胆にチョイスしたミヒャエルのセンス!大胆だけれどナチュラルな仕上がりに、確かな技量を見出す。
ところで、モーツァルトの人生を追った時、まるで天敵のように登場するのが、大司教、コロレド伯、ヒエロニュムス。そういうイメージのせいか、保守的な堅物のように思われがちなのだけれど、実際は、モーツァルトに理解を示したヨーゼフ帝の啓蒙主義に心酔し、大司教でありながら、教会の伝統に縛られない世俗的な統治を目指した改革者でもあった人物。そうしたあたりは、教会音楽にも反映され、ミサをよりシンプルに、解り易いものへと改め、また、ザルツブルクの市民が理解できる言葉、ドイツ語による聖歌を導入してみたり、あるいは、言葉そのものを前面に押し出すため、伴奏を排したり... ということで、聖ヒエロニムスのミサの後には、大司教、コロレド伯、ヒエロニュムスの指針に準じた、ミヒャエルによる改革教会音楽が取り上げられるのが興味深い点。で、これがまた魅力的!ア・カペラで歌われる「来たれ創造主なる聖霊よ」(track.11)、「キリストはおのれを低くして」(track.12)、「幸いなるかな点の女王」(track.14)は、北欧の合唱作品を聴くような透明感、瑞々しさが漂い出し、かつてのパレストリーナ様式の伝統に帰るようでありながら、より新しい音楽を響かせていて、ハっとさせられる。しかし、美しい!シンプルに美しい!その美しさに触れていると、大司教だとか、ザルツブルクだとか、ミヒャエルだということは忘れてしまい、ただただ音楽に惹き込まれる。恐るべし、もうひとりのハイドン...
そんな、ミヒャエル・ハイドンの教会音楽を聴かせてくれるのが、スウェーデン合唱界の伝説、エリクソンの下で研鑽を積んだアメリカ出身の合唱指揮者、グレイデンと、彼が指揮者を務める、聖ヤコブ室内合唱団(ストックホルムの聖ヤコブ教会とストックホルム大聖堂を拠点とする... )。ウーン、やっぱり北欧の合唱は、一味違う。そのクリアなハーモニーと、そこから生まれる独特な瑞々しさ... 清廉でありながら、どこで温もりを保ち、音楽への愛情が、そこはかとなしに広がる。そんな歌声に包まれる喜びたるや!ミサ(track.1-9)では、まるで花々が咲き誇る春の野原を訪れたようで、後半のア・カペラの作品(track.11, 12, 14)では、山の頂に立ったかのような清々しさを味合わせてくれる。そして、北欧の実力派ソリストたち!パーション(ソプラノ)を筆頭に、癖の無い歌声を響かせ、ミヒャエルの音楽を丁寧に、そしてやさしく彩る。そこに風合をもたらしてくれるのが、フランスのピリオド管楽アンサンブル、アンサンブル・フィリドール。ほのぼのとしたオーボエと、朴訥としたファゴットがいい味を醸し出し、ミヒャエルの大胆なチョイスを引き立てる!なればこそ、ますます魅力的なミヒャエル・ハイドンの教会音楽集... ハイドン、モーツァルトばかりでない古典主義の時代を鮮やかに呼び覚まし、ザルツブルクの教会音楽の風景を活き活きと響かせ、魅了されずにいられない。

Michael Haydn: Sacred Choral Music - St. Jacob's Chamber Choir/Graden

ミヒャエル・ハイドン : 聖ヒエロニムスのミサ **
ミヒャエル・ハイドン : 主のすべての聖人らは主を畏れよ **
ミヒャエル・ハイドン : 来たれ創造主なる聖霊よ MH 328
ミヒャエル・ハイドン : キリストはおのれを低くして MH 38
ミヒャエル・ハイドン : 来たり給え、創造主なる聖霊よ MH 161 *
ミヒャエル・ハイドン : 幸いなるかな天の女王 MH 140

ミア・パーション(ソプラノ)
カティヤ・ドラゴイェヴィッチ(アルト)
フレデリック・ストライド(テノール)
ラース・ヨハンソン(バス)
ゲーリー・グレイデン/聖ヤコブ室内合唱団
フィリドール・アンサンブル *
ウルフ・セーデルベリ(オルガン) *

BIS/BIS-CD-859




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