SSブログ

生誕200年、オッフェンバックは、"シャンゼリゼのモーツァルト"! [before 2005]

4715012.jpg
運動会でお馴染みの『天国と地獄』に、よく映画などから聴こえて来る「ホフマンの舟歌」... クラシックという枠組みを越えて、誰もが知るメロディーを生み出したオッフェンバック。こういう、キャッチーなところ、気難しいクラシックに在って、突き抜けているのだけれど、作曲家、オッフェンバックとしての全体像は、あまり知られていないように思う。例えば、前回、注目した、国際的なチェロのヴィルトゥオーゾとしての一面とか... そもそも、オッフェンバックがどういうオペラを書いていたかも、丁寧に紹介されることは少ないのかもしれない。いや、漠然とオペレッタの作曲家として認識されるオッフェンバック... しかし、我々がイメージするオペレッタ(ヨハン・シュトラウス2世らによるウィンナー・オペレッタ... )と、オッフェンバックがオペラ作家への道の突破口としたオペレッタでは、随分と様子が違う。このあたり、生誕200年のメモリアルを迎えた今年、クローズアップされたらなァ。と、淡い期待を抱きつつ、オペラ作家、オッフェンバックのヴァラエティに富むその仕事ぶりを、今一度、見つめてみる。
ということで、マルク・ミンコフスキ率いるレ・ミュジシャン・デュ・ルーヴルの演奏、アンネ・ソフィー・フォン・オッター(メッゾ・ソプラノ)が歌う、オッフェンバックのアリア集(Deutsche Grammophon/471 501-2)。実に興味深く、最高に楽しいライヴ盤を聴く!

国際的なチェロのヴィルトゥオーゾとして、パリの音楽シーンに地歩を築いた矢先、1848年、二月革命が勃発。オッフェンバックは、一時、故郷のケルンに帰ることを余儀なくされる。が、革命によって登壇したのは、ナポレオン3世... そうして始まる、世にも金ピカな第二帝政(1852-70)!そうした中、パリへと戻って来たオッフェンバックは、チェロのヴィルトゥオーゾから、パリの音楽シーンの頂、オペラ作家に転身しようと挑戦を始めるのだったが、これが上手く行かなかった。その当時、パリには4つものオペラハウス(国際的な大巨匠がグランド・オペラを上演するオペラ座、人気のイタリア・オペラを上演するイタリア座、フランス伝統の歌芝居、オペラ・コミックを上演するオペラ・コミック座、そして、1851年にアダンが創設したコンセルヴァトワール出の若手エリートに門戸を開くためのリリック座... )が稼働!他のヨーロッパの都市に無い充実した環境が整っていたものの、リュリの頃のような許認可行政による厳格な規制があって、4つのオペラハウスは、厳密に棲み分けられ、作曲家にとっては、かえって他の都市よりも閉塞的に感じられただろう。そこで、オッフェンバックは、アンダーグラウンドでのオペラ上演に活路を見出す。そのアングラ・オペラを切り拓いたのが、コンセルヴァトワールを卒業し、リリック座で活躍していたフロリモン・ロンジェこと、エルヴェ(1825-92)。エルヴェは、より自由な創作を求め、規制を掻い潜るオペラっぽいショウ=オペレッタを自らの劇場(つまり、認可外オペラハウス!)で上演し、大評判となる。
規制によりコーラスは禁止、オーケストラの規模は制限され、登場人物の数も極端に制限され、一貫するストーリーすらあってはならぬという大変な制約の中で、一幕モノのおもしろおかしい歌芝居を、レヴュー(カンカン!)やら何やらでつないで、そのオムニバスのような出し物を、オペラになり切らないもの、オペレッタとして提供したエルヴェ。オッフェンバックは、エルヴェの成功に目敏く目を付け、エルヴェの劇場で作品を発表(『オヤヤイエ』、これが大成功!)する機会を得る一方で、自らも劇場経営に乗り出し、1855年、ブッフ・パリジャン座を旗揚げ。オッフェンバックのオペレッタは、国境を越えて大評判となり、1858年にはウィーンへの引っ越し公演(これが、ウィンナー・オペレッタのスイッチを入れる!)を行うまでに... という頃、政府がオペラにおける規制緩和の方針を打ち出し、認可外オペラハウスでも実質オペラが上演できるように!そうして誕生したのが、オペラ・ブッフ『地獄のオルフェ』。オペレッタの気分を残しながらも、オペラの規模を手に入れ、ひとつのストーリーに貫かれ、金ピカな第二帝政の胡散臭さを斬りまくったオペラ・ブッフは、パリっ子たちを虜にする。そして、1860年代、オッフェンバックは、"シャンゼリゼのモーツァルト"と呼ばれ、時代の寵児となった。が、金ピカは長く続かない...
1870年、フランスとプロイセンの間に普仏戦争が勃発すると、皇帝は呆気なく捕虜となり、第二帝政は崩壊。普仏戦争(1870-71)は、プロイセンの圧勝に終わり、フランス帝国に取って代わるようにドイツ帝国が成立。さらにパリ・コミューンの内乱があって、フランスは大いに打ちひしがれ、パリの音楽シーンの空気はガラっと変わる。アカデミックな面々は「アルス・ガリカ」を標榜し、ナショナリズムに傾倒。そうした延長線上で、戦勝国、ドイツ生まれのオッフェンバックへの攻撃もなされた。一方、戦争、内乱の悲惨を目の当たりにした市民は、オッフェンバックの社会風刺よりも、逃避的なメロドラマを好むようになる。そうした気分の変化に何とか対応しようと、オッフェンバックは、オペラ・ブッフから、より格式あるオペラ・コミックに軸足を移し、1873年、ゲテ座の経営に乗り出す。が、ブッフ・パリジャン座のようには上手く行かず、翌年には破産... イケイケだった1860年代からは一転、苦悩する1870年代のオッフェンバック。それでも、1879年、オペラ・コミック『鼓手長の娘』が久々のヒットとなるのだったが、これがオッフェンバックの最後の成功に... 翌、1880年、代表作にして遺作、グランド・オペラを夢見た作品、オペラ『ホフマン物語』を完成間近としながら、オッフェンバックは61歳でこの世を去った。
というのが、オペラ作家、オッフェンバックの歩み... それを、思いの外、丁寧に捉えるフォン・オッターとミンコフスキ。オッフェンバック、黄金期のオペラ・ブッフからのナンバーを中心にしながらも、レヴュー『カーニヴァルのレヴュー』(1860)の、未来の交響曲―婚約者たちの行進(track.6)など、オッフェンバックの初期のオペレッタの様子も垣間見せてくれて、実に興味深い。パリにおける最初のワーグナー・ブームにいち早く反応したこの作品は、人気を博したダンス、カドリーユ・デ・ランシエをワーグナー調で繰り広げながら、作曲家役のバリトン(ヴァルキューレの騎行を歌いながら登場!)が、オーケストラを炊き付けるという、音楽によるカリカチュアで、普段のクラシックでは、なかなか味わえないテイスト。いや、当時、こんな風にワーグナーをイジっていたかと思うと、粋な時代だったなと... それから一転、普仏戦争後、オペラ・ブッフ人気が陰った後のオペラ・コミック『ファンタジオ』からの2つのナンバー(track.4, 5)のしっとりとしたメロディーに触れると、すっかり丸くなってしまったことにガッカリさせられるところも... しかし、メロディー・メイカー、オッフェンバックのセンスは円熟期を迎え、極めつけは、やっぱり「ホフマンの舟歌」(track.8)。最後のオペラの、儚く、切なげな美しさは、沁みる。
そんな、オッフェンバックのヴァラエティに富むナンバーを、実に、実に魅惑的に、それでいて、極めて手堅く歌い上げるフォン・オッター(メッゾ・ソプラノ)、さすがです。トンデモ女大公(track.1-3)に、トンデモ王妃(track.9)、挙句、酔っ払い(track.15)などなど、濃いキャラの数々を、ヤリ過ぎになることなく、あくまでナチュラルに演じて、節度を以って笑いを引き出す絶妙さ!一方、けして、簡単なナンバーではないオッフェンバックの音楽のただならなさ... 安定した歌声があって、確かな技術が相俟って、初めて表現できる難しさを、サラリとこなしてしまうマエストラ然としたあたり、唸ってしまう。そんなフォン・オッターの脇を固めるナウリ(バリトン)、ラゴン(テノール)ら、勝手知ったるフランスの歌手たちが良い仕事をしていて、魅了。が、何と言ってもミンコフスキ+レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル!チャキチャキの演奏を繰り広げて、オッフェンバックの何とも言えないクリスピーさを存分に味あわせてくれる。そんなサウンドに触れていると、かつてのパリへタイムスリップした気分になる。いや、かつてのパリは楽しかった!というあたりが、切なくも感じる。

OFFENBACH: ARIES & SCENES
VON OTTER / LES MUSICIENS DU LOUVRE / MINKOWSKI


オッフェンバック : オペラ・ブッフ 『ジェロルスタン女大公』 から
   第1幕 合唱、レシとロンド 「担え銃!嗚呼、私、軍人が好き」
   第3幕 二重唱と宣言 「誰?将軍... 私たちが気付いたことを彼に伝えて」
   第1幕 軍人たちのシャンソン 「嗚呼!これが有名な連隊ね」
オッフェンバック : オペラ・コミック 『ファンタジオ』 から
   第1幕 バラード 「ごらん、黄昏の中」
   第1幕 二重唱 「なんと魅力的なささやきが突然聞こえてくるのだろう?」
オッフェンバック : 『カーニヴァルのレヴュー』 から 未来の交響曲―婚約者たちの行進曲
オッフェンバック : オペラ・ブッフ 『大公妃』 から 第2幕 アルファベットの六重唱 「S. A. D. E.」
オッフェンバック : オペラ 『ホフマン物語』 から 第3幕 ホフマンの舟歌 「美しい夜、おお、愛の夜」
オッフェンバック : オペラ・ブッフ 『美しきエレーヌ』 から 第1幕 娘達の合唱 「美しい青年たちの死に」 と エール 「崇高な愛」
オッフェンバック : オペラ・ブッフ 『青ひげ』 から
   第1幕 クプレ 「村には羊飼いの娘たちがいて」
   大オーケストラによる序曲
オッフェンバック : オペレッタ 『リッシェンとフリッツヒェン』 から 二重唱 「私はアルザス娘/私はアルザス男」
オッフェンバック : オペラ・ブッフ 『パリの生活』 から 第2幕のフィナーレ 「我らはこの家に入るのだ... 私は未亡人です」
オッフェンバック : オペラ・コミック 『鼓手長の娘』 から 第3幕 シャンソン 「輝かしい肩書なんて私にはいらない」
オッフェンバック : オペラ・ブッフ 『ラ・ペリコール』 から 第1幕 ほろ酔いのアリエッタ 「ああ、素敵な食事だったわ」

アンネ・ソフィー・フォン・オッター(メッゾ・ソプラノ)
マガリ・レジェ(ソプラノ)
ステファニー・ドゥストラック(メッゾ・ソプラノ)
ジル・ラゴン(テノール)
ジャン・クリストフ・ケック(テノール)
ジャン・クリストフ・アンリ(テノール)
クリストフ・グラッペロン(バス)
ロラン・ナウリ(バス)
コール・デ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル(コーラス)
マルク・ミンコフスキ/レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル

Deutsche Grammophon/471 501-2




nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 3

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。