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生誕200年、グヴィ、母の死、戦争、そして、レクイエム... [before 2005]

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1871年、普仏戦争の敗北は、フランスを大いに揺さぶった。皇帝が捕虜になるという屈辱に始まり、第二帝政は崩壊、パリはプロイセン軍に包囲され、プロイセン国王がヴェルサイユ宮でドイツ皇帝に即位するというおまけ付き... フランクフル講和条約では、アルザス=ロレーヌ地方のドイツへの割譲が決定。それに反発した左派勢力が、パリ・コミューンを組織し、徹底抗戦の構えを見せると、ドイツ相手ではなく新政府との内戦に発展。第二帝政の上っ面ばかりの威光は吹き飛び、現実に向き合う時がやって来たフランス... パリ・コミューンの混乱が収束すると、それまで国内に充ちていたおざなりな気分は一変し、ナショナリズムが高まる。そして、影響は楽壇にも及び、国民音楽協会が創設(副会長にサン・サーンス!)されると、「アルス・ガリカ(フランス的芸術)」を目標に、それまでドイツに大きく立ち遅れていた部分、オペラ、バレエ以外の部分に取り組もうという動きが起こる。まさに、印象主義や、それに続く近代音楽が、ここで準備され、育まれることに... 普仏戦争の敗北は、フランス音楽史にとって、重要なターニング・ポイントとなったわけだ。そうした中で、いち早く交響曲に取り組んでいたグヴィは、どうしたか?やっと時代が追い付いたと意気揚々としていたか?いや、深く打ちのめされていた...
生誕200年、グヴィに注目しております、今月。交響曲(1-3, 5番と、4, 6番)に続いて、グヴィ再発見の切っ掛けを作ったアルバムを聴いてみることに... ジャック・オートマンの指揮、ロレーヌ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏、スコラ・カントルム・ウィーン(コーラス)らの歌で、普仏戦争から間もない1874年に完成した、グヴィのレクイエム(K617/K617 046)を聴く。

なかなかパリの音楽シーンに受け入れてもらえなかったシンフォニスト、グヴィ... 閉塞的な状況を打開しようと、1862年、とうとうオペラを書くことを決心する。そうして選んだ題材が、フランスの古典を代表するひとり、コルネイユの戯曲、『ル・シッド』。オペラは、翌年に完成するものの、パリの劇場での初演は叶わず(フランスの若手作曲家に門戸を開くため開場されたリリック座も、この頃、経営不振に陥り、路線変更... )、交響曲同様、ドイツへと向かわざるを得ないグヴィ... ドレスデンのゼンパー・オーパーでの初演を取り付け、新たにドイツ語で準備されたのが、オペラ『デア・シィット』!しかし、1865年の初演は、流れてしまう... タイトルロールを歌うはずだったテノール、ルートヴィヒ・シュノル・フォン・カロルスフェルト(1864年、『トリスタンとイゾルデ』の初演で、トリスタンを歌った... )の急死を受けて、キャンセルとなり、お蔵入り(何と、初演は、2011年!)に... その年の年末、ライプツィヒで、やがて5番の交響曲に改訂される「アレグロ、シシリエンヌ、メヌエット、そしてエピローグ」がリハーサルを迎えるも、自信を失い、初演を取り止めてしまう。そんなナイーヴさを抱えていたグヴィを打ちのめしたのが、1868年、多くの愛情を傾けてくれた母の死... グヴィは、大きな喪失を抱えながら、故郷、オンブール・オーへと帰る。のだったが、1870年、普仏戦争が勃発!フランス系の父、ドイツ人の母の間に生まれ、パリでの成功を夢見、ドイツで高い評価を受けていたグヴィにとって、両国が衝突することは、そのアイデンティティを引き裂かれる思いであったろう。さらに、グヴィが生まれたザール地方(ドイツ)、育ったロレーヌ地方(フランス)が戦場となり... グヴィは、安全なスイスに避難するも、戦後、オンブール・オーに戻れば、そこはフランスではなく、ドイツとなっており(アルザス=ロレーヌ地方のドイツへの割譲... )、こうした戦争の現実を前に、どんな思いでいただろう?
という不運と哀しみを経て作曲されたのが、母の死を悼むレクイエム。入祭唱の重々しい序奏は、まさに死者のためのミサの始まりに相応しく... 続いて、静かに歌い出すコーラスの姿は、どこか古典的でもあり... いや、この古典性こそ、交響曲でも触れて来たグヴィならではの魅力。それが、この入祭唱にアルカイックな雰囲気を漂わせ、哀しみのロマンティシズムと絶妙なバランスを取って見せる。そうして、よりスケールの大きい音楽が展開される。いや、母ばかりではなかったのだろう... 故郷も戦場となった、普仏戦争の犠牲者にも捧げられていることは容易に想像が付く(戦後、フランス各地では、戦没者を悼む記念碑が建てられている... )。フランス、ドイツ、両方にルーツを持つグヴィならではの、より深い哀しみが浮かび上がりつつ、死を悼むばかりでない、残された者たちを癒すかのような入祭唱... 続く、ディエス・イレ(track.2)は、「怒りの日」だけに、一転、激しい音楽が繰り出されるのだけれど、その激しさにも、モーツァルトのレクイエムを思い出させる古典的なシャープさがあり、かえってインパクトを生む。また、トゥーバ・ミルムでは、ベルリオーズを思わせる奇しきラッパの吹奏があり、その後のコーラスでは、ん?ワーグナーちっく?かと思うと、ヴェルディっぽくドラマティックに盛り上げもする。グヴィの巧さは、いろいろな要素をさり気なくひとつにまとめて来るところ... フランスにしてドイツという、グヴィが常に置かれていた状況が育んだ、希有な総合力。ここまで苦しんで至ったからこその独特な懐の大きさを感じる音楽...
しかし、聴き応えのあるレクイエム!このレクイエムが、グヴィの死後、埋もれていたなんて、信じられない。いや、振り返ってみると、レクイエムの名曲は少ない気がする。特に、フランス革命以後、教会の力が落ちてからは、ベルリオーズ(1837)、ヴェルディ(1874)、フォーレ(1887)くらいなもので... そうした中、ヴェルディのレクイエムが初演された1874年に完成されるグヴィのレクイエム(初演は、1876年、パリにて... )は、貴重なレパートリーとなり得るはずだ。ロマン主義の時代ならではのドラマティックさがあり、ベルリオーズに続くダイナミズムがあり、フランスらしいキャッチーなメロディーに彩られる瞬間もあり、輝かしくも温もりに充ちた感動を呼ぶオッフェルトリウム(track.5)、教会音楽らしい壮麗さを放つサンクトゥス(track.6)、ホザンナのフーガは、見事に伝統を踏襲し、教会音楽らしさを炸裂させる。最後は、入祭唱を巧みに引き込んで、再び深い哀しみに静かに落ちて行くアニュス・デイ(track.8)。ウーン、唸ってしまうほどの力作!そんな、グヴィのレクイエムに触れると、19世紀、フランスにおける教会音楽の流れというか、ベルリオーズのレクイエムからフォーレのレクイエムへと至る道筋が浮かび上がり、思い掛けなく興味深い。一見、対極を成すようなベルリオーズとフォーレだけれど、間にグヴィを挿むと、ひとつの線で結べてしまうからおもしろい!ベルリオーズのインパクトを受け継ぎ、フォーレのポエジーを先取りしたグヴィのレクイエム... このあたり、もっともっと注目されるべき点のように強く感じる。
そして、このすばらしいレクイエムを、長い眠りから呼び覚ましたオートマン。グヴィが育ったロレーヌ出身のマエストロだけに、思い入れも一入なのだろう。ここで聴く1994年の復活蘇演による録音には、静かな意気込みが漲っていて、ひたひたと感動が打ち寄せて来るような感覚がある。で、そんなマエストロに、きっちり応えるロレーヌ・フィルがすばらしい!彼らのシャープで澄んだ響きには、フランスにして、ドイツ的な感性も息衝くのか、そのあたり印象深く、グヴィの感性にも共鳴するよう。で、レクイエムには欠かせないコーラスを歌うのが、スコラ・カントルム・ウィーン。教会音楽を得意とするだけに、レクイエム本来の宗教的な厳かさを大切にしながら、19世紀の音楽ならではのドラマティックな魅力もきちんと歌い上げ、曲が進めば進むほど、調子を上げて行く印象。そこに、すばらしい4人のソロ!それぞれに、ナチュラルに揺ぎ無く、瑞々しい歌声を聴かせてくれて、グヴィの音楽の美しさを見事に際立たせる。何だろう、単にひとつの作品を奏で歌うのとは違う、復活蘇演なればこその、そこはかとなしに感じられる思い入れ... この思いが束となって生まれる、より大きな感動に揺さぶられる思い... ここから始まったグヴィ・ルネサンス!説得力ある納得の歌と演奏。

Théodore Gouvy Requiem

グヴィ : レクイエム Op.70
グヴィ : カンタータ 「春」 Op.73 **

シェリ・グリーンワルド(ソプラノ) *
エルザ・マウルス(メッゾ・ソプラノ)
ジェラール・ガリーノ(テノール)
マンフレート・ヘム(バス)
スコラ・カントルム・ウィーン(コーラス)
オンブール・オー男声合唱団 *
ジャック・オートマン/ロレーヌ・フィルハーモニー管弦楽団

K617/K617 046




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