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生誕200年、グヴィ、フランス発、シンフォニストへの道... [2012]

今、ヨーロッパを悩ませているのが、イギリスのEU離脱問題。何だか、もう、じれったくなるばかりなのだけれど... 時代を遡って、ヨーロッパを見つめてみると、常に問題を抱えていたのが、フランスとドイツの国境線。いや、現在の西欧の枠組みができた時(フランク王国三分割!にーちゃん、真ん中。弟、東。後妻の子、西... で、にーちゃん、先に死ぬんだもの... )から始まる、イギリスのEU離脱なんて、屁って思えるくらい、延々と繰り返された真ん中帰属問題(解決の鍵が、EUだったり... )。ある時はフランスが東へ張り出し、ある時はドイツが西へ張り出し、時には、ドイツでもフランスでも無い空白地帯(その名残とも言えるのが、ベネルクスであり、スイス... )が出現したり... 一方で、この安定しない国境地帯こそ、西洋音楽の揺籃の地とも言えるから、おもしろい!中世音楽のコンセルヴァトワール、リエージュがあり、最古のミサ曲を伝えるトゥルネーがあり、ルネサンス音楽を牽引したブルゴーニュ楽派フランドル楽派を誕生させている。分断の国境地帯は、創造の結節地帯でもある事実。そして、この両面を体現し作曲家が、今年、生誕200年を迎える。フランスとドイツのハーフ、グヴィ...
フランスのマエストロ、ジャック・メルシエの指揮、グヴィの故郷、ザールブリュッケンのオーケストラ、ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、4枚に及ぶグヴィの交響曲全曲録音(6番までと、シンフォニエッタなど+3曲... )を、2回に分けて取り上げようと思うのだけれど、まずは、その前半、1番と2番(cpo/777 381-2)、3番と5番(cpo/777 379-2)を聴く。


ザールブリュッケンからパリへ、国境を越えて綯われる音楽性、1番、2番、

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ルイ・テオドール・グヴィ(1819-98)。
ナポレオン戦争が終結して間もない頃、フランス領からプロイセン領となったザールブリュッケンで生まれたグヴィ。祖父はベルギーのフランス語圏の出身で、ザールブリュッケンで製鉄業を起こした人物。ということで、グヴィは、裕福なブルジョワの家庭で育ち、そうした恵まれた環境の中で音楽にも触れる。が、音楽家の道を進むことはなく、ザールブリュッケンから程近い、フランス側の国境の街、サルグミーヌで、さらに、ロレーヌ地方(フランスとドイツが争った因縁の地!)、最大の都市、メスで、フランス語による教育を受けている(グヴィ家は、フランス人という意識が強かったのだろう... )。その後、パリへと出て、法律を学ぶものの、音楽への関心も強まり、本格的にピアノを学び始める。そして、1839年、法律で落第をしたことを切っ掛けに、音楽に本腰を入れる。のだけれど、フランス音楽の最高学府、コンセルヴァトワールへの入学は、プロイセン国籍であったがために叶わなかった。そこで、ドイツに活路を見出したグヴィ... 1842年から翌年に掛けてベルリンに滞在し、ベルリン・ジングアカデミーの指揮者にして作曲家、ルンゲンハーゲンについて学ぶ。1844年から翌年に掛けては、ブルジョワのおぼっちゃまらしく、グランド・ツアーへ、イタリアに滞在。ローマでは、ドイツからやって来た音楽家たちと親交を結び、刺激を受け、最初の交響曲の作曲に乗り出す。間もなく完成した1番は、1846年、グヴィの持ち出し(こういうところ、おぼっちゃま力を発揮!)で、パリのアマチュアのオーケストラにより、個人宅で、控え目に初演。で、好評を得ると、今度は、きちんとしたコンサートとして企画し、披露。批評家、そしてベルリオーズらが絶賛する。
という、1番(track.1-4)。メンデルスゾーン(1809-47)や、シューマン(1810-56)の交響曲を思わせる、手堅いロマン派の交響曲が繰り出されるのだけれど、ドイツの作曲家の交響曲とは、やっぱり一味違うのが、フランス側にいたグヴィならではのテイストなのだろう。交響曲として、きちんと構築しながらも、構築性からおもしろみを生み出してこそのドイツとは違い、より響き全体に注目し、フランスらしい美意識の高さを感じさせるのか... オーケストラ全体が醸し出す色というか、薫りとでも言おうか、ことさら強調することは無いのだけれど、そこはかとなしにフランス... で、そうあることが、交響曲でありながら、何とも言えないたおやかさを漂わせ、魅惑的。ドイツ流にきちんとしていながらも、フランス風のさり気ないこだわりが感じられるグヴィの交響曲。絶対音楽から、「絶対」の厳めしさを巧みに抑え、ソフトに仕上げてしまう妙。いや、フランスとドイツの子、グヴィの音楽性が、1番から、すでに明確に示されているようで、何より、それが気負わずに表現されていて、素敵。
続く、2番(track.5-8)。1番の評判に乗って、1848年に作曲された2番は、ドイツへと寄った印象を受ける。ガッシリと音楽を構築して、骨太の交響楽を繰り広げる!一方で、全体にメロディアスなのが印象的... それは、フランスのメローさとは違う、国民楽派調の民俗的な、少し泥臭い感じで、けど、キャッチー!まるで、ドヴォルザークを予感させる仕上がり(ちなみに、この2番が作曲されていた頃、ドヴォルザークは、小学校の校長先生にヴァイオリンを習い始めて... )。で、ついつい引き込まれてしまうのだけれど、1番のドイツとフランスの良さをさり気なく、それでいて、絶妙にバランスを取った音楽からすると、ちょっと惜しい気もする。一方で、音楽は引き締まり、交響曲として、より力強さを響かせる2番。そのあたりに、シンフォニスト、グヴィの成熟が窺えて... 1850年、ライプツィヒにて、ケヴァントハウス管によって初演された2番は、大成功!しかし、グヴィが望んでいたのは、パリでの成功... それが、なかなか難しかったから、切ない。

Theodore Gouvy ・ Symphonies 1 & 2 ・ Mercier

グヴィ : 交響曲 第1番 変ホ長調 Op.9
グヴィ : 交響曲 第2番 へ長調 Op.12

ジャック・メルシエ/ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団

cpo/777 381-2




交響曲から交響詩へとうつろう時代のシンフォニストの苦悩、3番から5番へ、

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メンデルスゾーンが、一躍、音楽センターに成長させたライプツィヒでの成功は、速報でパリに伝えられ、フランス楽壇を大いに沸かせた!その成功を引っ提げ、パリへと凱旋したグヴィは、1851年、フランス国籍を取得。名実ともにフランスの作曲家となったものの、オペラに、バレエに、劇場一辺倒だったパリの音楽シーンは、フランスの作曲家に交響曲を求めていなかった... こうした状況をベルリオーズは大いに嘆きつつ、シンフォニスト、グヴィの才能を手放しに称賛している。それから間もなく、1852年の夏、グヴィは、故郷へと帰り、3番(track.1-4)を作曲。そこには、ライプツィでの成功で得た自信がはっきりと聴き取れて、2番での泥臭さは抜け、古典へと回帰するような素振りも見せるのか、確かな洗練を感じさせる。その裏には、ドイツで成功し、晴れてフランス人となったことで、それまでの一筋縄には行かないナショナリティに起因する、どこかにあった迷いのようなものを吹っ切れての境地があるように思う。いや、グヴィが新たな段階へと入ったことを示す3番、肩の力を抜いて、自然に音楽を構築しながら、そこはかとなしに麗しさがこぼれ出し... 2楽章のラルゲット・コン・モルト(track.2)などは、ベートーヴェンを思わせる瑞々しさとベルリオーズに感じられる芳しさで織り成され、もう、聴き入ってしまう。が、1853年、パリでの初演は、演奏の質に問題を抱えていて、上手く行かず... が、翌年、再び、ライプツィヒ、ゲヴァントハウス管によって演奏されると大成功!作品の真価は、やはりドイツで証明されることになる。
という3番に続いて、5番(track.5-8)を聴くのだけれど、3番がライプツィヒで成功してから十数年、交響曲を巡る状況は変わりつつあった。ロマン主義はより深化し、リストに始まる交響詩の隆盛があり、古典主義の時代に確立された交響曲は、幾分、古臭くなったか?そうした中で、シンフォニスト、グヴィもまた、新たな方向性を模索しようといろいろ試みていた。そうして生まれたのが、交響曲と舞踏組曲(バロック期のフランス流といえば、これ!)の要素を融合した、後に5番となる「アレグロ、シシリエンヌ、メヌエット、そしてエピローグ」。が、1865年、ライプツィヒで初演が準備されるものの、影響力を持つ音楽雑誌、『新音楽時報』(かつてシューマンが主筆を務めた... )に、そのリハーサルに触れての微妙な印象を掲載され、グヴィは自信を失い、初演を取り下げる。そうして、原点に立ち返り、1868年、交響曲に鍛え直し、発表された5番、その遠回りは、音として表れるのか... ひとつひとつの楽章は、ますます魅力的になっている一方で、どことなしにまとまりに欠ける印象も... 最新のドイツ流の交響曲をフランス風にも響かせて、パリが付いて来られないほどの最前衛に立っていたはずが、ドイツでは交響曲がオールド・ファッションに... あたふたしてしまう、グヴィ。5番にはそうした苦悩が窺える。
そんな苦悩も、素直に響かせる?メルシエの指揮... フランスのマエストロならではの、フランスものへのこなれたアプローチが絶妙で、また、マニアックなものを掘り起こすことに余念の無いメルシエならではの、グヴィの音楽への丁寧な向き合い方が、番号を追って磨かれて行くその歩みを解り易く示す。なればこそ、5番の苦悩も浮かび上がるのか... そんなマエストロに応えるドイツ放送フィルの演奏。本拠地とする街が生んだ作曲家への自負が窺えて、揺ぎ無い。と同時に、国境の街のオーケストラであり、フランスになったり、ドイツになったりを繰り返した街が持つ音楽的DNA?ドイツのオーケストラにして、フランス的な透明感も見受けられ、グヴィの感性にぴったり。というより、餅は餅屋と言うべきか... グヴィの音楽に籠められた、ドイツらしさと、フランスらしさを、調和を以って引き立て、その魅力を豊かなものとする。

Theodore Gouvy ・ Symphonies 3 & 5 ・ Jacques Mercier

グヴィ : 交響曲 第3番 ハ長調 Op.20
グヴィ : 交響曲 第5番 変ロ長調 Op.30

ジャック・メルシエ/ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団

cpo/777 379-2




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