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生誕200年、スッペで、おめでとうございます! [2012]

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明けまして、おめでとうございます。本年も、どうぞ、よろしくお願いいたします。
さて、例年ですと、今年のクラシックの顔は、こんな人たち... と、メモリアルを迎える作曲家たちを紹介するのですが、今年は、正月一日から、早速、聴くよ!というのは、"ウィンナー・オペレッタの父"、スッペの、生誕200年のメモリアルだから!もね、あの景気の良いマーチやら序曲は、正月一日を飾るのに相応しい!やっぱ、ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートは、スッペ盛りになるのだろうなァ。なんて、思っていたら、鮮やかにスルー!何でだろう?と、改めてスッペについて見てみると、どうもその出自に対して、疑義が出ているようで、1819年に生まれたというのも、今ははっきりしていないらしい。ウーン、肩透かし... だけれど、ま、1819年でもいいじゃないか!何しろ、スッペの音楽を聴くと、ぱぁっと花やぐ!まさに初春って感じ。とにかく、楽しい!ワクワクしちゃいます。そんな一年になりますよう、願いを籠めて、2019年はスッペで聴き初め!
ということで、ネーメ・ヤルヴィの指揮、ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団の演奏で、スッペの序曲と行進曲集(CHANDOS/CHSA 5110)。いやー、新年の乾杯のシャンパンのようにスパークリング!そんな演奏に乗って、2019年を始めます。

フランツ・フォン・スッペ(1819-95)。
"ウィンナー・オペレッタの父"が生まれたのは、クロアチアのスプリト。アドリア海に面した歴史ある港町は、随分とウィーンからは遠い... のだけれど、長い間、ヴェネツィア共和国の支配下にあり、その影響を大きく受けたことで、豊かな文化を育んでいたスプリト(1797年、ナポレオンによってヴェネツィア共和国が解体されると、一時期、フランスの支配を受けるものの、ナポレオン失墜後、1815年、ウィーン会議によってオーストリア領に編入... )。そうした街で生まれ育ったスッペは、早くから音楽の才能を開花させ、8歳の時に地元のカテドラルの聖歌隊に参加。そこで音楽を学び始めると、13歳にしてミサ曲(ダルマツィア・ミサ、後に改訂され、出版もされている... )を作曲!やはり、早熟でした... そんなスッペの人生が大きく動き出すのが、1835年、16歳の時。父が世を去ったことで、母の故郷である帝国の首都、ウィーンへ!やがて、ベートーヴェンの『レオノーレ』の初演を指揮したザイフリート(1776-1841)、ブルックナーも教えたゼヒター(1788-1867)に師事し、研鑽を積むと、1840年、ヨーゼフシュタット劇場の指揮者となり、歌付き喜劇の作曲家としても活動を始め、多くの作品を劇場に提供。1845年には、アン・デア・ウィーン劇場に移り、楽長を務め(-1865)、さらにカイ劇場、カール劇場と、ウィーンの劇場を渡り歩き、1882年まで、指揮者として活躍している。で、気になるワードが、"歌付き喜劇"?!オペレッタじゃなくて?そう、ウィンナー・オペレッタ前史としての、"歌付き喜劇"の存在が、なかなか興味深く...
ドイツ語による歌芝居、ジングシュピールに似て、より砕けた庶民的な楽しみを提供していたのが、歌付き喜劇。それは、ロッシーニのブレイクの足掛かりとなる、一幕モノの笑劇、ファルサに通じるものがあり、また、フランスのヴォードヴィル、レヴューのようなセンスも含み、鯱鉾張った枠組みは無かった(でもって、序曲で有名な『ウィーンの朝、昼、晩』(1844)、『詩人と農夫』(1846)は、この歌付き喜劇... )。そうした経験が、後の"ウィンナー・オペレッタの父"への下準備となる。さて、スッペと同い年のオッフェンバック(つまり、こちらも生誕200年のメモリアル!)が、パリにて、オペレッタ(非常に解り難いのですが、パリのオペレッタは、ウィーンの歌付き喜劇に符合するもの... そこから発展したオペラ・ブッフが、ウィンナー・オペレッタに符合するもの... パリとウィーンでは、オペレッタの意味が異なるのです!)の世界に進出。1855年、最初のパリ万博に合わせ、ブッフ・パリジャン座をオープンさせると、パリっ子たちはもちろん、万博に集まった観光客たちをも魅了!その人気はウィーンにも伝わり、1858年、オッフェンバックの『2人の盲人』(1855年、ブッフ・パリジャン座を沸かした作品のひとつ... )がウィーンでも上演されると、ウィーンっ子たちは熱狂!スッペは、その成功を目の当たりにし、ドイツ語による、ウィーン流のオペレッタを生み出そうと試みたのが、1860年の作品、ウィンナー・オペレッタ、最初の作品、『寄宿学校』。以後、『美しきガラテア』(1865)、『ボッカチオ』(1879)といった代表作を世に送り出す。が、ヨハン・シュトラウス2世という強力なライヴァルが出現(1871)、オペレッタの主座を奪われるも、その死の年まで作曲を続けた。
それでは、聴きます、ネーメとロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管による、スッペの序曲と行進曲集... 始まりは、『軽騎兵』序曲!いやー、お馴染みのファンファーレを聴くとテンション上がる!のだけれど、改めて聴いてみると、そのファンファーレ、ワーグナーっぽくない?ワーグナーが、『トリスタン... 』をミュンヒェンで初演した翌年、1866年のオペレッタだけに、影響もあるのか?いや、『トリスタン... 』というより、四半世紀ほど遡った『リエンツィ』(1842)に似ているのだけれど... そもそも、ワーグナーに似ているか似ていないかばかりでなく、思いの外、ドイツ的な響きを放つ『軽騎兵』序曲に、ちょっと驚かされる。ウィンナー・オペレッタなんて... と、小馬鹿にしていると、火傷する充実感。このあたりが、ザイフリート、ゼヒターに学んだスッペの手堅さだろう。ヨハン・シュトラウス2世の序曲には無い、しっかりした構築感を見出せるのが印象的。続く、『ボッカチオ』序曲(track.2)では、ヴェネツィアの影響下にあったスプリトの記憶だろうか、イタリアのオペラ・ブッファを思わせる明朗さに彩られ、カラフル!からの、オッフェンバックの風のオペラ・ブッフの景気の良さが表れて、軍楽調で盛り上がる!いや、そうしたあたりにスッペの音楽性が如何に育まれたかを見出せて、興味深い。またそこに、「ウィンナー」の個性が固まる前の多彩な表情が見て取れて、かえっておもしろい!で、その多彩さが充実感を生み、凄く、新鮮!
という充実感を、最大限に引き出して来るネーメが凄い!まさしく目から鱗... ウィーンに縁もゆかりも無い、エストニア出身のマエストロだからこそ、引き出せるものがあるのだなと... いや、ウィーンにこだわらず、ニュートラルに向き合って、スッペの音符ひとつひとつを丁寧に放てば、何とも言えず潔い音楽が繰り出されて、スパークリング!てか、イケイケで、ワクワクしてしまうばかり!再発見のスッペの音楽の充実感からの、イケイケで、ワクワクって、カッコ良過ぎ!しかし、万能なマエストロだということ、重々承知していたけれど、ウィンナー・オペレッタまで、こんなにも活き活きと鳴らして来るとは、息子たち(N響首席、パーヴォと、MDR響首席を務めていたクリスティアンね... )に、まだまだ負けてないよ、ネーメ... そんなマエストロに応える、ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管もすばらしい!ネーメ同様に、ウィーンから遠く離れたスコットランドのオーケストラだからこそのニュートラルさが感じられ... というより、北海の荒波が、スッペの音楽にドイツ流の質実剛健さを穿つようで、おもしろい!かつ、チャキチャキの演奏を繰り広げて、しっかりと粋でもあるのだよね... いや、ホント、最高!スッペ万歳!こんな音楽、演奏で新年を迎えられるとは、幸先が良いぞ!

SUPPÉ: OVERTURES AND MARCHES
Royal Scottish National Orchestra/Järv


スッペ : オペレッタ 『軽騎兵』 序曲
スッペ : オペレッタ 『ボッカチオ』 序曲
スッペ : オペレッタ 『ボッカチオ』 から 第3幕の行進曲
スッペ : オペレッタ 『スペードの女王』 序曲
スッペ : 「そこの丘から何が来た」によるユモレスク変奏曲
スッペ : 『詩人と農夫』 序曲
スッペ : オペレッタ 『ファティニッツァ』 序曲
スッペ : オペレッタ 『モデル』 序曲
スッペ : 演奏会用行進曲 「丘を上り谷を下って」
スッペ : オペレッタ 『イサベラ』 序曲
スッペ : オペレッタ 『美しきガラテア』 序曲
スッペ : オペレッタ 『ドンナ・ファニータ』 から 行進曲
スッペ : 『ウィーンの朝・昼・晩』 序曲

ネーメ・ヤルヴィ/ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団

CHANDOS/CHSA 5110




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