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2018年、今年の音楽、ベリオ、シンフォニア。 [2016]

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クリスマスが過ぎました。後は、お正月に向けて、一直線ですね。さて、今年の漢字、"災"でした。はぁ、そうですか。という感じであります。ちなみに、昨年が"北"。ぶっちゃけ、"北(朝鮮)"に、"災(害)"って、能がねーなーと突っ込まずにおられません。毎年、清水寺の偉いお坊さんが出て来て、清水の舞台でしたためる今年の漢字、したためられる字の、含蓄の無さに、もはや脱力するばかり... って、公募で1番数の多かった字が自動的に選ぶのだから、仕方ない(漢字検定1級の人のみを対象に公募したら、おもしろいだろうなぁ... )のだけれどね... いや、公募で1番って、結局、一番つまらなかったりするのだなと... でもって、2番、3番の方によりセンスを感じること、多々あり(ちなみに、今年の2番が"終"、3番が"平"だったとのこと... )。そういうことが頭にあったか?公募しておきながら、公募であることをあっさりスルーしてみせた、JR東日本。山手線の新駅、"高輪ゲートウェイ"。スルーし過ぎて、ナンジャアコリャア?!誰が決めた?!となって、物議を醸す。いや、"災"にしろ、"高輪ゲートウェイ"にしろ、2018年の浅さ、軽さが、それらに表れているようで、かえって2018年を象徴しているのかも...
ということで、今年もやります。音のタイル張り舗道。が選ぶ、今年の音楽!もちろん、公募じゃないので、"高輪ゲートウェイ"を突き抜けた作品を選んじゃうよ!で、2018年の音楽は... ベリオのシンフォニア!ジュゼップ・ポンスの指揮、BBC交響楽団の演奏、シナジー・ヴォーカルズのヴォーカルで、ベリオのシンフォニア(harmonia mundi/HMC 902180)を聴く。

ところで、今年は、ベリオの代表作、シンフォニアが初演されて50年目のメモリアル!1968年、ニューヨーク・フィルの創立125周年を記念して委嘱された作品、シンフォニアは、その年の10月10日、作曲者の指揮によって、ニューヨーク・フィルにより、ニューヨークで初演さる。ちなみに、同じく、ニューヨーク・フィルの創立125周年を記念して委嘱され、その前年に完成、初演されていたのが、武満のノヴェンバー・ステップス!となると、まさに、戦後「前衛」が爛熟期を迎えた頃で、現代音楽が、"ゲンダイオンガク"として、俄然、尖がっていた時代... いや、時代そのものが、尖がっていたのが1968年... プラハの春(東側、チェコスロヴァキアで起こった民主化運動だったが、8月、ソヴィエトにより軍事的に制圧されてしまう... )、公民権運動の指導者、キング牧師の暗殺(4月4日)、パリの五月革命(学生運動がゼネストに発展し、パリは騒乱状態に... )、そして、新宿騒乱(ベトナム戦争に対する反戦運動が盛り上がる中、10月21日、国際反戦デーに新宿駅に運動家が集結。反戦のはずが、新宿駅は戦争状態となり、駅構内各所が破壊される... )。世界を破壊した第二次大戦後、東西両陣営は、復興に邁進するも、それが強引だったのだろう、表面上は復興し得ても、社会そのものには大きな歪を生み、歪は不満を蓄積させ、やがて沸点を迎える。それが1968年... 歪をより敏感に感じ取っていた若者たちは、歪を生み放置する大人たちに反抗を試みる。が、若者たちの有り余るエネルギーは、結局、的を居ず、撒き散らされるばかりで、撒き散らされて残ったのは、傷付いた街の風景であり、騒動に疲れた市民であり、理想に届かなかった若者たちの屈折した心だったように思う。そんな混沌とした時代を、映し取った作品が、ベリオのシンフォニア。
オーケストラと8人のヴォーカリストによる、5つのパートからなる異色の管弦楽作品、シンフォニア。それは、まさに混沌とした音楽... レヴィ・ストロースの神話理論から『生のものと火を通したもの』だったり、ベケットの『名づけえぬもの』だったり、ハーバード大学の学生の会話に、ソルボンヌ大学に書かれたスローガン、家族や友人たちとのベリオ自身のおしゃべりを、ヴォーカル・アンサンブルが語り、囁き、歌い、ボイパのように繰り出し、時に叫び、オーケストラの響きに、一筋縄には行かない声を乗せてゆく。それは、まるで、混線した国際電話のようで... いや、こんな音楽、ちょっと他に探せない。一方、オーケストラの方も、様々な音楽を引用し、山場となる第3部(track.13)が、凄い... てか、コラージュ祭り!マーラーの「復活」、第3楽章のユーモラスなテーマをベースに、ラ・ヴァルスは登場するし、『ばらの騎士』が聴こえて来るし、『春の祭典』に、『海』に、それから、バッハに、ベートーヴェンに、シュトックハウゼンに、ブーレーズに、恐るべきごった煮!で、その様が圧巻!そこには、過去から現代(1968年、当時... )まで、音楽史が逆巻いていて、まるで音楽の台風の中に投げ込まれるような感覚を味わう。知っているメロディー、どこかで聴いたメロディーが次々に耳元を掠めて、パっと遠くへ飛んで行き、形は成さない。「シンフォニア(≒交響曲)」なんて言うと、構築的な音楽を思い浮かべてしまうのだけれど、1968年の時代を象徴するかのように、脱構築的な音楽を織り成すベリオ... そして、脱構築の混沌こそが、1968年のシンフォニーだったのだろうなと、納得でもある。いや、時代の騒々しさを、シンフォニーとして捉えるベリオの鋭敏な感性に感服。そんな姿勢に、50年後を生きる我々は、大いに刺激を受けることにもなる。1968年と、どこか似た表情を持った2018年... 言い知れぬ不安感と閉塞感の中、四方八方から雑音が聴こえて来て、それらはぶつかり合い、増幅され、ノイジーな中で生きざるを得ない現代人。ベリオのシンフォニアは、まだまだ意義深い...
そんな作品を、実に表情豊かに、何より味わい深く響かせるポンス、そして、BBC響。この錯綜した音楽を演奏し切ることだけでも難しいだろう... そんな作品を、明晰に捌いてみせるのが、近現代のスペシャリストらしいアプローチであり、腕の見せ所だと思うのだけれど、ポンスは、明晰に処理するよりも、作品のこんがらがったあたりこそを魅力と捉え、その混沌を素直に表現し、迫力とし、聴き手を惹き込む。だから、"ゲンダイオンガク"特有の冷たさが生まれない... それどころか、全体が、どこか戯画化されて、難解でありながらも、おかしみを含み、得も言えず、魅惑的な仕上がり。異色の作品の、異色であるところをおもしろがって、どんどん盛り上げる。そんなポンスに応えるBBC響がまた見事!マエストロが明晰さにこだわらないとしても、明晰に音符を捉えなければ、ただのこんがらがりに終わるシンフォニアだけに、BBC響は、ベリオの複雑なスコアを慎重に解き、明確に音符を鳴らしてもいて... なればこそ生まれる余裕が、ポンスの表現の幅をより広いものとし、十二分におもしろい音楽を響かせる。いや、こういう演奏に触れると、初演から半世紀という時間の重みを感じてしまう。異色の作品も、今や20世紀の古典であり、その理解も、半世紀前よりも、格段に進んだわけだ。そして、この異色の作品に欠かせないのが、ヴォーカル・アンサンブル!シナジー・ヴォーカルズの自在なヴォイス・パフォーマンスもまた、冴えていて... ひとりひとりの絶妙な表情と、アンサンブルとしての澄んだハーモニーもしっかりと聴かせてくれるから凄い。シンフォニアのヴォーカルというと、初演者、スウィングル・シンガーズのイメージがしっかりとある中で、それを越えて行くような自在さを見せて、より楽しませてくれる。で、魅了されずにいられない。
さて、シンフォニア(track.11-15)の前には、ベリオがオーケストレーションした、マーラーの歌曲集『若き日の歌』(track.1-10)から、10曲が取り上げられるのだけれど、これがまた乙!ベリオならではの、ちょっとユーモラスでカラフルなアレンジが、マーラーの歌謡性を拡張し、何だかポップに響かせてしまう。それでいて、「復活」、3楽章へのテーマがベースとなる、シンフォニア、第3部につながって、前奏曲のような形を取るのが素敵... という、マーラーの歌曲を歌うのが、ゲルネ(バリトン)!いやはや、ドイツ・リートのスペシャリストを、ベリオのオーケストレーションにどんと据えてしまうのだけれど、さすがはゲルネ、物ともせず、堂々と歌って、惹き込まれる。というより、ベリオのオーケストレーションがあって、よりゲルネの瑞々しく深い声が引き立つところもあって、おもしろい。裏を返せば、ベリオのオーケストレーションは、歌うことを知り尽くしてのものと言えるのかも... さすがは歌の国、イタリアの出身。そういうイタリア的感性に引き立てられての、ドイツ・リートのスペシャリストのパフォーマンスの鮮やかさたるや!まさにケミストリー...

BERIO Sinfonia

マーラー : 歌曲集 『若き日の歌』 から 10曲 〔オーケストレーション : ベリオ〕
ベリオ : シンフォニア

マティアス・ゲルネ(バリトン)
シナジー・ヴォーカルズ
ジュゼップ・ポンス/BBC交響楽団

harmonia mundi/HMC 902180




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