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生誕100年、ベルント・アロイス・ツィンマーマン。 [2016]

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11月も後半となり、紅白がどうのと話題に出て来ると、年の瀬感、俄然、出て来ます。となると、来年はどーなんだ?世の中的には、改元というビッグ・イヴェント(平成が終わるばかりでなく、明治以来の世が改まる... 何しろ、上皇さま、復活!)が待っておりますが、クラシック的には、どんな一年になるのかな?と、来年、メモリアルを迎える作曲家を、ざっと見渡してみた。ら、意外と少な目?ベルリオーズの没後150年が目玉になって来るとは思うのだけれど、今年に比べると、何となくインパクトに欠ける一年となるのか... モーツァルトではなく、そのパパ、レオポルトの生誕300年だったり、シューマンではなく、その妻、クララの生誕200年だったり... いや、こういう大家を支えた人物たちにスポットが当たることは、大家の新たな一面もクローズアップされ、大歓迎なのだけれど、やっぱり物足りない?とか思ってしまうのは、今年が、あまりにお祭り状態だったからだろうな... すでに10人のメモリアルを迎えた作曲家を取り上げたのだけれど、まだまだいる取り上げたい作曲家たち!
ということで、没後50年のピツェッティ、カステルヌウォーヴォ・テデスコに続いて、生誕100年、ベルント・アロイス・ツィンマーマンに注目... ペーター・ヒルシュの指揮、ケルンWDR交響楽団の演奏で、ツィンマーマンの1楽章の交響曲、ジョストラ・ジェノヴェーゼ、弦楽オーケストラのための協奏曲、ユビュ王の晩餐の音楽(WERGO/WER 7340-2)の4作品を聴く。

ベルント・アロイス・ツィンマーマン(1918-70)。
第1次大戦、ドイツ軍が最後の大攻勢に出る前日、1918年、3月20日にケルン近郊で生まれたツィンマーマン。が、戦況は次第に悪化、社会不安は沸点に達し、ドイツ革命、そして敗戦... 平和こそ訪れたものの、ドイツ社会は多額の戦争賠償金の支払いに苦しみ、借金のかたにルール占領(1923)を招き、ハイパー・インフレ!追い打ちを掛けるように、大恐慌(1929)!そうした混乱を突いてのナチスの台頭と、踏んだり蹴ったりの頃に、こども時代を過ごしたツィンマーマン。多感な10代は、まさにそのナチス・ドイツが支配する1930年代。そうした中、1938年、20歳となって、ケルン音楽大学で作曲を学び始めるも、翌年には第2次大戦が勃発(1939)。ツィンマーマンも徴兵(1940)され、一時、音楽から離れることに... その後、大学へ戻り、再び作曲と向き合う中、1945年、再びの敗戦。戦後の混乱の中、ラジオでの作曲の仕事をこなしつつ、1947年に学位を取り、さらなる研鑽を積むため、1948年からダルムシュタット夏季現代音楽講習会に参加。現代音楽の最前衛に身を置き、作曲家として新たな一歩を踏み出す。のだけれど、現代音楽は、戦後こそ激動期!戦後間もない頃までメインストリームだった擬古典主義に留まるツィンマーマンを尻目に、より若い世代(1920年代半ばに生まれた、ブーレーズ、ノーノ、シュトックハウゼンら... )は、音列音楽へと突き進み、現代音楽の方向性を決定付ける。
そんな、より若い世代に対抗意識を燃やしたツィンマーマン... 擬古典主義から挑戦状を突き付けたのが、1951年の作品、このアルバムで聴く、1曲目、1楽章の交響曲。それは、第2次大戦の闇を経験した擬古典主義とでも言おうか、フランス6人組のような洒脱さは微塵も無く、表現主義的な要素も滲み、何ともビター。ところどころでオルガンが響き、どこか黙示録的で、ショスタコーヴィチの交響曲を思わせる表情も見受けられ、音列音楽の真逆を行って、渾身の音楽を紡ぎ出す。が、1960年代、戦後「前衛」は、偶然性の登場で、ますますラディカルに盛り上がると、ツィンマーマンの擬古典主義は、ますます分が悪くなって... そうした頃、1962年の作品、ジョストラ・ジェノヴェーゼ(track.2-6)が続くのだけれど、何だ、これは?ギボンズやバードなど、イギリスのルネサンス期の舞曲を素材に、飄々と音楽が編んで来る。そこには、もはや、対抗意識は感じられず、自虐というか、自棄というか... いや、この脱力が、かえってインパクトを持つに至っているから、おもしろい。そんな音楽の後で、擬古典主義がメインストリームにあった最後の頃、1948年の作品、弦楽オーケストラのための協奏曲(track.7-9)が取り上げられる。何の疑いも無く、自信を持って繰り出される擬古典主義の瑞々しさたるや!このピュアなサウンドに触れてしまうと、その後の苦悩がより際立ち、何だか切なくなってしまう。時の流れとは、残酷。
そうして行き着いた先、1966年の作品、不条理劇の原点ともされるジャリの戯曲『ユビュ王』に基づくバレエのための音楽として書かれた、ユビュ王の晩餐のための音楽(track.10-17)。ルネサンスに、バロックに、古典主義に、ロマン主義に、近代音楽に、現代音楽に、民俗音楽に、ジャズに、もう、ありとあらゆる音楽がコラージュされて、次から次へと、どこかで聴いたメロディーが溢れ出し、ごった煮のような異形の音楽。例えば、ルネサンスの舞曲(と言っても、ジョストラ・ジェノヴェーゼの引用... )から、唐突にフリー・ジャズに切り変わったかと思うと、ラデツキー行進曲(track.11)が聴こえて来て、ラジオのチューナーを誰かが悪戯しているような感じ?いや、壊れた受信機が、あらゆる電波を拾い過ぎてしまって、スピーカーが洪水を起こしている状態?これは、ラジオで仕事をしていたツィンマーマンならではの形なのかも... そして、録音技術の発達により、音楽が世に溢れ出す戦後の有り様を象徴するかのよう... で、強烈なのが、最後、洗脳行進曲(track.17)。シュトックハウゼンのクラヴィーアシュトゥック IXを下敷きに、ヴァルキューレが飛んだと思ったら、断頭台への行進(幻想交響曲ね... )が始まった!って、そこには、シュトックハウゼンへの批判があって... 執拗に繰り返されるピアノの打音(これが、クラヴィーアシュトゥック IX... )に、ツィンマーマンの呪いを感じてしまう。そして、凄い、迫力...
という、ただならぬ音楽を、切れ味鋭く鳴らして来る、ヒルシュの指揮、WDR響。20世紀の錯綜する時代を生き、その人生の、上がったり、下がったり、を、そのまま音楽に反映させてしまったような、ツィンマーマンによる一筋縄には行かない4曲... こんなのと、どう向き合えばいいのよッ?!となりそうなところを、まあ見事に対応し、捌き切り、4曲全てで、納得の聴き応えをもたらすWDR響。どんなに錯綜しても、確かな説得力を以って、音楽をまとめて来るヒルシュの手腕。改めて聴いてみると、唸ってしまう。で、ますますおもしろくなるツィンマーマンの音楽!おもしろくなって、困難な時代がありありと浮かび上がり、ツィンマーマンの苦悩や怒りが、ビンビン伝わり、また切なくなってしまう。しかし、戦後「前衛」の時代に、擬古典主義で、音列音楽に喧嘩を売ったツィンマーマンの大胆さたるや!結局、喧嘩に負けて、1970年、自ら命を絶ってしまうのだけれど、もし、1980年代まで生きていたなら、喧嘩が負けでは無かったことが証明されたはず... ツィンマーマン、多様式主義のシュニトケが持て囃された頃まで、諦めずに作曲していたなら... 戦後「前衛」が行き詰った後こそ、輝いたはず!そう思わせる、ヒルシュの指揮、WDR響の、輝かしくすらある演奏、見事。

Bernd Alois Zimmermann Sinfonie in einem Satz (1. Fassung)

ツィンマーマン : 1楽章の交響曲
ツィンマーマン : ジョストラ・ジェノヴェーゼ
ツィンマーマン : 弦楽オーケストラのための協奏曲
ツィンマーマン : ユビュ王の晩餐のための音楽

ペーター・ヒルシュ/ケルンWDR交響楽団

WERGO/WER 7340-2




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