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没後50年、ピツェッティとカステルヌウォーヴォ・テデスコ。 [2009]

さて、11月も半ばになろうとしております。で、秋は、深まっているのでしょうか?ここのところ、変に気温の高い日があって、戸惑います。が、それでも、暦の上では、2018年の終わりが見えて参りました。そこで、今年、メモリアルを迎える作曲家を、改めて見つめてみようかなと... でもって、これまで取り上げて来た中(没後400年のカッチーニ、生誕350年のクープラン、生誕200年のグノー、没後150年のロッシーニ、没後100年のドビュッシーなどなど... )でも、最も新しいメモリアル、没後50年の作曲家に注目!20世紀、イタリア近代音楽を彩った2人の作曲家、ピツェッティとカステルヌウォーヴォ・テデスコ... 師弟関係にありながらも、1930年代、ファシズムが2人の運命を分かつ。師、ピツェッティは、体制に接近し、ユダヤ系のカステルヌウォーヴォ・テデスコは、アメリカへと亡命を余儀なくされる。が、奇しくも、同じ年、1968年に亡くなった2人...
クレイグ・ヘッラ・ジョンソンが率いるアメリカの合唱団、コンスピラーレの、ピツェッティのレクイエムを含む、近現代のレクイエムを集めたアルバム、"Requiem"(harmonia mundi/HMU 807518)と、アレッサンドロ・マランゴーニが弾く、ピアノでイエスの物語を綴る、カステルヌウォーヴォ・テデスコの『エヴァンゲリオン』(NAXOS/8.573316)の2タイトルを聴く。


没後50年から振り返る、保守派、ピツェッティ、いとも真面目なる擬古典主義の美しさ...

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イルデブラント・ピツェッティ(1880-1968)。
ピアノ教師を父に、パルマで生まれたピツェッティ。父からピアノを習い始めるも、当初は文学に関心を寄せ、戯曲を書いたりと、音楽よも熱心だった。が、1895年、15歳でパルマの音楽院に入学。1897年に、音楽院の院長に就任する音楽学者、テバルディーニ(1864-1952)から、ルネサンス期の音楽など、古楽を学び、大きな影響を受ける。卒業後は、かつての文学への関心が再び高まり、『聖セバスティアンの殉教』で知られる詩人、ダヌンツィオ(1863-1938)と交流。ダヌンツィオとのコラヴォレーションにより、オペラ『フェドーラ』(1905)などを作曲、オペラの世界で活躍している。一方、1907年、母校、パルマの音楽院で作曲を教え始めたのを皮切りに、後人の指導にも力を入れ、1908年からはフィレンツェ音楽院(1917年に院長に就任... )で教え、ここでは、この後で取り上げるカステルヌウォーヴォ・テデスコを輩出。1924年からは、ミラノ音楽院の院長を務めている。さて、第1次大戦後、イタリアは、ムッソリーニ率いるファシスト党が政権を掌握(1922)。ピツェッティは体制に接近し、1925年に出されたファシスト知識人宣言に署名。1936年には、ローマへと移り、サンタ・チェチーリア音楽院で教え始めると、1939年、王立アカデミーのメンバーに選出され、保守的な場所からイタリアの楽壇に影響を与え続けた。でもって、ピツェッティ、1940年、日本からの委嘱により、皇紀2600年を祝う交響曲を作曲しており、浅からぬ縁も... とはいえ、第2次大戦中のことだけに、なかなか注目し難い縁でもあるのか...
という、ピツェッティの代表作のひとつ、レクイエム(track.10-14)を聴くのだけれど... それは、1920年、妻を亡くした悲しみを歌うレクイエムで、1922年に完成したア・カペラによる作品。いや、ア・カペラならではの清廉なハーモニーを活かした、本当に美しいレクイエム。1920年代、狂騒の時代に、こういう音楽が生まれていたことに、まず驚かされる。アンチ・ロマン主義として古典へ回帰する擬古典主義が興隆する時代ではあるけれど、イタリアの擬古典主義の特徴というべきか、ピツェッティの音楽は、フランス6人組のようにパロディーとしての古典ではなく、大真面目で古典に向き合い、古楽の復興として、新たな音楽を響かせるかのよう。ディエス・イレ(track.11)では、グレゴリオ聖歌(あの不穏なテーマ... )をそのまま用いたり、続く、サンクトゥス(track.12)は、完全にルネサンス・ポリフォニーを思い起こさせる瞬間があって、ピツェッティの古楽研究が遺憾無く発揮されている。一方で、オーセンティックに古楽の復興を目指すわけではなく、例えば、流麗なアニェス・デイ(track.13)は、遠い過去のルネサンスのヘヴンリーさと、近い過去の19世紀のメローさが絶妙に融合され、フォーレのレクイエム(1888)を思わせるところも... 何か、新たな「古雅」なイメージを創り出されるようで、不思議。
その不思議さを際立たせるのが、ヘッラ・ジョンソン+コンスピラーレ。ヨーロッパの室内合唱のストイックなハーモニーとは違い、ふわっとやわらかな響きを紡ぎ出すのが彼らの魅力。クリアに音符を捉えながらも、人の声が持つ温もりを以って、作品をより豊かに響かせてしまう魔法。ここで聴くアルバムは、ピツェッティのみならず、近現代における様々なレクイエムを収録しているのだけれど、それらがまた美しい!イギリスの教会音楽で活躍したハウエルズ(1892-1983)のレクイエム(track.1-6)に始まり、バーチャル合唱団で人気を集めたアメリカの作曲家、ウィテカー(b.1970)の『3つの信仰の歌』からの2曲(track.7, 8)と、幅広い作品を取り上げる。一方で、どの作品も、彼らの歌声の美しさを存分に味合わせてくれる作品ばかり... レクイエムをテーマにしながら、哀しさは後ろに控え、浮世離れした美しさでアルバムを充たし、死の翳を消し去るかのよう。それが、21世紀流のレクイエムの作法?いや、このライトな仕上がりこそ、21世紀のリアル?ヘッラ・ジョンソン+コンスピラーレによる"Requiem"、実は、刺激的な1枚なのかも...

Requiem CONSPIRARE

ハーバート・ハウエルズ : レクイエム
エリック・ウィテカー : 望み、信仰、命、愛 〔3つの信仰の歌 より〕
エリック・ウィテカー : 神よ、この素晴らしき日に感謝いたします 〔3つの信仰の歌 より〕
ドナルド・グランサム : 私たちは彼らを思い出す
イルデブランド・ピツェッティ : レクイエム
スティーヴン・ポールズ : 家路
イライザ・ギルキィソン : レクイエム

クレイグ・ヘッラ・ジョンソン/コンスピラーレ

harmonia mundi/HMU 807518




没後50年から振り返る、カリフォルニアのカステルヌウォーヴォ・テデスコの美しさ...

8573316
マリオ・カステルヌウォーヴォ・テデスコ(1895-1968)。
フィレンツェの裕福なユダヤ系の銀行家の家に生まれたカステルヌウォーヴォ・テデスコ。さながら、イタリア版、メンデルスゾーンといったところ?で、メンデルスゾーン同様、早くから音楽の才能を開花させ、9歳で作曲したというから、驚かされる。そんな、カステルヌウォーヴォ・テデスコは、まず、ピアノを学ぶため、フィレンツェ音楽院に入学。1914年、ピアノ科を修了した後、作曲科に入り、前述のピツェッティに師事。在学中から、その作品は注目を集め、1918年、音楽院を卒業する頃には、イタリア近代音楽の雄、カゼッラ(1883-1947)によって広く紹介されたことで、一躍、新進作曲家として、ヨーロッパ中にその名が知れ渡り、フィレンツェではピアニストとしても活躍し、1920年代のカステルヌウォーヴォ・テデスコは、輝いていた!しかし、1930年代になると、ファシズムの広がりが、ユダヤ系のカステルヌウォーヴォ・テデスコにプレッシャーを与え、次第に活動の場は狭まり、1939年、第2次世界大戦が勃発する目前、アメリカに亡命する。アメリカでは、シェーンベルクら、多くの亡命者を受け入れていたカリフォルニアを拠点とし、映画音楽を手掛けながら、ロサンジェルス音楽院で作曲を教えていた。が、作曲家としては、次第に過去の人物に... 音楽においては、戦後こそ激動期。戦後「前衛」が席巻する中、果敢にも十二音技法などに取り組むこともあったが、かつての輝きを取り戻すことはなかった。
そんな、カステルヌウォーヴォ・テデスコの戦後の作品、1949年に作曲された、28の小品によるこどもたちに語られるイエスの物語、『エヴァンゲリオン』を聴くのだけれど... エヴァンゲリオンです!まず、タイトルにザワついてしまう?いやいやいや、本来の意味、福音書、そのものであります。使徒は襲って来ません。幼時(track.1-6)、人生(track.7-14)、言葉(track.15-21)、受難(track.22-28)の4つのパートからなり、受胎告知に始まって、最後、復活までを、丁寧に、ピアノのみによって綴る。それは、まさにこどもたちに語り掛けるような、表情に富む音楽が次々に繰り出され、映画音楽を手掛けての経験が絶妙に活きているように感じられるもので... また、1920年代、カステルヌウォーヴォ・テデスコが輝いていた頃の響き、師、ピツェッティの真面目な擬古典主義の面影があり、カゼッラらの、イタリア近代音楽が持つ色彩の明るさが感じられる、『エヴァンゲリオン』。戦後「前衛」のラディカルな音楽とは完全に切り離されたライトさが広がり、何とも耳に心地良い。それは、こども向けだから?いや、それだけではない、カリフォルニアのオプティミズムが醸し出す雰囲気... 古き良き時代に留まり、それを独自に洗練させて行っての心地良さ... 今、改めて、この心地良さに注目すれば、カステルヌウォーヴォ・テデスコの、実にニュートラルな感性を見出せて、興味深い。いや、思い掛けなく魅力的!
という『エヴァンゲリオン』を、イタリアのピアニスト、マランゴーニのピアノで聴くのだけれど... 澄んだ響きの中に、イタリア的な色彩、明るさを感じさせるマランゴーニのタッチが、カステルヌウォーヴォ・テデスコの音楽に、思いの外、しっくり来る。そうして喚起されるイメージは、ヨーロッパではなく、カリフォルニア... 聖書の重々しさ、キリストの生涯の劇的さよりも、ひとつひとつの小品の響きの美しさに焦点が合わせられ、全体のイメージは、実に淡々としている。けれど、これくらいのスタンスだからこそ、カステルヌウォーヴォ・テデスコによるイエス・キリストの物語に、瑞々しさが生まれ、独特の味わい深さも生まれる。いや、マランゴーニのピアノは、受難曲でのナレーター、エヴァンゲリスト=福音史家のよう。カステルヌウォーヴォ・テデスコが綴った音符、ひとつひとつを、丁寧に押さえ、ありのままを今に伝える。そこに、イタリアでも、ユダヤでもない、新鮮な、カリフォルニアのカステルヌウォーヴォ・テデスコが現れていて、とても、新鮮。

CASTELNUOVO-TEDESCO: Evangélion

カステルヌウォーヴォ・テデスコ : 28の小品によるこどもたちに語られるイエスの物語 『エヴァンゲリオン』

アレッサンドロ・マランゴーニ(ピアノ)

NAXOS/8.573316




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