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2人でゴルトベルク変奏曲を... ヴィオラ・ダ・ガンバのやさしい響きで... [2008]

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朝起きると、何となく頭痛がして、時折、眩暈のような感覚もあって、何だろうと思っていたら、テレビから、そんな症状の説明とともに、「秋バテ」という言葉が聞こえて来た。夏の酷暑の疲労が蓄積された状態のまま、季節の変わり目の寒暖差に晒されると、身体がその寒暖差に対応し切れず、バテてしまう?とか、そんな感じだったと思うのだけれど... いや、「秋バテ」というものがあったことに驚いた。それにしても、秋にまでバテるとは... ため息が出てしまう。で、ふと思う。秋のみならず、2018年、そのものにもバテてないか?次々に起こる災害、次々に明るみとなるスキャンダル、内に外に、右を向いても、左を向いても、ぞんざいな政治家たち、そして、右往左往の私たち、最悪なのは、煽らずにいられないメディア。自然界も人間界も、ワァーっとなって、何が何だかわからなくなっているような2018年。10月に入り、そんな2018年も4分の3が過ぎ、残すところ3ヶ月となった、今、完全に2018年に疲れている自分がいて... みなさんは、2018年バテ、してませんか?
ということで、10月は、癒しと浄化を求めて、音楽を聴いてみようかなと... その1枚目に、バッハ。クラース・ハルダースとジルケ・シュトラウフの演奏で、バッハのゴールドベルク変奏曲、2つのヴィオラ・ダ・ガンバ版(RAUMKLANG/RK 2807)を聴く。

夜、眠れぬ、カイザーリンク伯爵のために、バッハに師事していたゴルトベルク(1727-56)が弾いたという、ゴルトベルク変奏曲(1741)。秋の夜長に聴くには最高の作品なのかもしれない。けれど、不眠症のための睡眠導入剤としては、ちょっと微妙な気もする。主題であるアリアは、密やかだけれど、聴き入ってしまうほどに魅惑的だし、30ある変奏に関しては、どれも個性が際立ち、中にはド派手(チェンバロの金属的なサウンドとも相俟って... )なものもあり、寝ている場合ではない?というより、対位法の大家、バッハだけに、その変奏はただならず気合が入っており、万華鏡のように展開してみせて、やっぱりバッハの腕はただならない。って、今さらの話しなのだけれど... そういう堂々たる音楽を2つのヴィオラ・ダ・ガンバで奏でるとどうなるか?ゴルトベルク変奏曲は、チェンバロに限らず、様々な楽器(ピアノはもちろん、ハープに、ギターに、パイプ・オルガンとか、アコーディオンとか... )、編成(弦楽三重奏だったり、弦楽オーケストラだったり... )で取り上げられていて、ヴィオラ・ダ・ガンバでも、フレットワークがコンソート(6つのヴィオラ・ダ・ガンバによる合奏... )で取り上げていたりするのだけれど、ハルダース、シュトラウフによる2つのヴィオラ・ダ・ガンバ版は、2人だからこその親密さ、素朴さに留まっているところが絶妙で、バッハが鍵盤のために書いた音符を2挺で丁寧に拾いつつ、二重奏だからこそヴィオラ・ダ・ガンバという楽器の特性がしっかりと感じられて、味わい深く、何と言っても、響きが、やさしい。
いや、始まりのアリアの最初の一音から、あまりのやさしさに、じんわりしてしまう。チェロに似て、やっぱりチェロとは違う、古楽器、ヴィオラ・ダ・ガンバ... チェロよりも真っ直ぐな音色が印象的で、その真っ直ぐなあたりがヴィヴィットにも感じられ、かえってチェロの渋い響きの方が古めかしく感じられるところも... 一方で、その真っ直ぐさに、アルカイックな表情も見て取れて、古雅。そういう古雅を以って、始まりのアリアを歌うわけだ。それも、2人で... ひとりがメロディーを歌い(奏で... )、もう一方が伴奏する。そうすることで、1台のチェンバロを弾いていては味わえない「歌」がしっかりと浮かび上がり、音楽がよりしっとりと聴き手に届けられるよう。で、おもしろいのは、アリアの古風さが際立つところ... ゴルトベルク変奏曲は、バッハ晩年の傑作だけれど、それはつまりナポリ楽派の華麗なるアリアがヨーロッパを沸かせ始めていた頃であり、そうした時代を俯瞰すれば、バッハが用意したアリアは、まるでモノディーが発明された頃(イタリア古典歌曲の世界... )に遡るようで、極めて異質。けれど、ヴィオラ・ダ・ガンバの音色は、その異質さをナチュラルに受け止めて、オールド・ファッションのバッハではなく、イニシエに生きるバッハを解き放つかのよう。すると、ゴルトベルク変奏曲は、チェンバロで聴くのとは違う落ち着きを纏い、ルネサンスの頃の作品のような穏やかな佇まいを見せ、ファンタジックにも響き出す。
アリアに続いて、第1変奏(track.2)が始まると、何かの物語の読み聞かせを聴いているような雰囲気に包まれる。かのバッハの音楽が、ヴィオラ・ダ・ガンバという楽器によって、不思議な気の置け無さを放ち、豊かなイマジネーションを喚起させるよう。そうして、ひとつひとつの変奏を聴き進めれば、まるで物語のページをめくるようで、ワクワクさせられる。そんな感覚を味わってしまうと、変奏曲という堅苦しさはどこかに消え去ってしまい、まさにファンタジック!さらに、第4変奏(track.5)、ピチカートでバッハの音符を捉えれば、まるでリュートのよう!それまでの弓を用いた響きとは一変する音色に、魔法が掛かったかのような効果を生む。さらに、第18変奏(track.19)でもピチカートが用いられるのだけれど、こちらはヴァージナルのような、ハープのような印象があって、おもしろい!で、このピチカートが、30にも及ぶ変奏にアクセントを加え、しおりのようであり、間奏曲のようであり、いい具合に切り返しとなって、全体を引き締める。という風に、巧みに展開される2つのヴィオラ・ダ・ガンバ版、ゴルトベルク変奏曲。いやー、惹き込まれる!惹き込まれて、浮世を忘れさせてくれる魔法がある。これならば、カイザーリンク伯爵も眠れそう?眠ってしまうには、あまりに勿体ない音楽だけれど...
そんなゴルトベルク変奏曲を聴かせてくれた、ハルダースとシュトラウフによるヴィオラ・ダ・ガンバの二重奏。彼らの素直な演奏がとにかく沁みる。人懐っこさを感じながらも、無垢のようで、達観しているようで、30もの変奏を繰り広げれば、どこか諦念も滲むようなところすらあって、ファンタジックなのだけど、切なくなってしまう。けれど、こういうテイストが、2018年バテの身には、たまらない。癒される。で、ふと思う。晩年のバッハを取り巻く世界... どうしようもないほどに時代遅れに陥った老大家の心象が、このゴルトベルク変奏曲には表れているのではないかと... それでいて、カイザーリンク伯爵を癒すためばかりでなく、バッハ自身をも癒す音楽だったのではと... いや、ハルダースとシュトラウフによる2人のヴィオラ・ダ・ガンバ版は、チェンバロ以上にゴルトベルク変奏曲の真理に迫るのかも。バッハの心象を映すものなのかも。秋の夜長にいろいろ思いを巡らすことのできる好盤... やさしい響きには、ただならぬ深みがある。

BACH Goldberg-Variationen arranged for 2 viola da gambas Claas Harders Silke Strauf

バッハ : ゴルトベルク変奏曲 BWV 988 〔2つのヴィオラ・ダ・ガンバ版〕

クラース・ハルダース(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
ジルケ・シュトラウフ(ヴィオラ・ダ・ガンバ)

RAUMKLANG/RK 2807




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