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ベートーヴェン、幽霊。 [2007]

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さて、夏と言えば、怪談ですよね。ということで、『さまよえるオランダ人』、『幽霊船』『ロスト・ハイウェイ』と、怪奇なオペラを聴いて来ての、ズバリ、幽霊を聴く!って、ベートーヴェンの5番のピアノ三重奏曲、「幽霊」なのだけれど、なぜに「幽霊」と呼ばれるのか?未完のオペラ『マクベス』の、魔女の集会のシーンのために書かれた音楽を転用したから、という説と、2楽章の始まりが、当時の聴衆にとって、幽霊が出て来る音を思わせたから... いわゆる、日本で言うところの"ひゅうどろ"的なイメージだった?という説があって、なかなか興味深い。ま、魔女と幽霊は明らかに違うから、後者の方により説得力があるように感じるのだけれど、てか、2楽章は、始まりに限らず、幽霊っぽい。で、この幽霊っぽさが、当時、新鮮だった気がする。音楽史における、ベートーヴェンの「幽霊」以前の怪異な表現は、バロック・オペラ、定番の魔女たちや、『ドン・ジョヴァンニ』の騎士長のように、実態がはっきりとあって(足がある!)、解り易く、コワモテ... の、一方で、ベートーヴェンの「幽霊」は、日本の幽霊に近く、気配から入って来る。いや、ベートーヴェンが表現しようとしていたものが幽霊であったかどうかは、正直、微妙なのだけれど、当時の人が、そこに幽霊を見たとしたなら、それこそが、まさに幽霊な気がして来る。
ということで、「幽霊」です。で、そればかりでなく、ベートーヴェンのライヴァルも... ダニエル・ゼペック(ヴァイオリン)、ジャン・ギアン・ケラス(チェロ)、アンドレアス・シュタイアー(ピアノ)という、豪華、名手が揃ってのピリオド・アプローチによるトリオで、ベートーヴェンの3番と5番、「幽霊」と、フンメルの4番のピアノ三重奏曲、3曲(harmonia mundi/HMC 901955)を聴く。

まず、最初は、ベートーヴェン(1770-1827)の3番のピアノ三重奏曲(track.1-4)。ウィーンへとやって来て3年目、1795年、25歳の年に作曲されただろう作品は、未だモーツァルト(1756-91)が逝って4年後というだけに、ウィーン古典派流の端正さがまだまだ活きていて、明るく、朗らか。2楽章、アンダンテ(track.2)などは、モーツァルトを思わせるやわらかなテーマと、それをキラキラと変奏させて、うっとりするほど美しい!一方で、その美しさの中に憂いを浮かべたりして、まさにモーツァルト... アンシャン・レジームの麗しい思い出を響かせるかのよう。とはいえ、ベートーヴェンは、やはりベートーヴェン!1楽章(track.1)から、後のベートーヴェンをはっきりと意識させられる力強さが聴こえて来て、モーツァルトの一歩先へと踏み出した音楽が、とても輝かしく感じられる。いや、モーツァルトをベースにしながら、どこまで独自の音楽を響かせることができるか?改めて聴いてみると、若きベートーヴェンの挑戦する姿が浮かび上がるようで、刺激的。3楽章、メヌエット(track.3)は、まさに慇懃無礼なアンシャン・レジームを象徴する舞曲のはずだけれど、どこかフォークロワを思わせる感覚があって、ロマン主義を先取りするのか... さらに、4楽章(track.4)のキャッチーさと、ドラマティックさには、ショパン(1810-49)を予感させるようなところもあって、ロマン主義の時代が近いことを感じ取ることができる。
そして、「幽霊」(track.5-7)... 1808年、「運命」、「田園」、さらには、3番と4番のピアノ協奏曲、合唱幻想曲が初演された、38歳、自らの音楽性を確立したベートーヴェンが、乗りに乗っていた頃に書かれた作品は、ベートーヴェンらしい堂々たる音楽を繰り広げて、圧巻!3番のピアノ三重奏曲(track.1-4)の後だと、モーツァルトをベースにする必要のなくなったベートーヴェンの、自信に充ちた音楽が余計に際立ち、もうね、1楽章(track.5)の最初の一音でノック・アウト!てか、全然、幽霊なんて出て来る気配の無い「幽霊」の始まり。輝かしいヴァイオリンに、雄弁なチェロが力強く綾なし、そこに、ピアノが華麗さを加え、スケールの大きな音楽が展開される。その響きの豊かさは、ピアノ・トリオであることを忘れさせるほど... そういう1楽章(track.5)があってこそ、「幽霊」の2楽章(track.6)は、引き立つのだろう。打って変わって静かなその出だし、ヴァイオリンとチェロの不気味なハーモニーに、どこか哀しげなピアノが寄り添って、幽霊が出て来そうな暗さを創り出す。暗さは、やがて、しっとりとした空気感を漂わせ、まさに幽霊が出て来そうな気配... 具体的に何が出て来るかではない、気配... この感覚、どこかワーグナー(1810-83)の楽劇から窺える予兆めいたものに似ていて、興味深い。いや、ベートーヴェンは、幽霊の気配に古典主義を脱した次なる時代の音楽を生み出したか?幽霊は、本来、過去を生きた人物が、今に現れるものだけれど、ベートーヴェンの幽霊は未来からやって来るのが、おもしろい。
という「幽霊」の後で、その「幽霊」と同じ、1808年に作曲されたフンメル(1778-1837)の4番のピアノ三重奏曲(track.8-10)を聴くのだけれど、刺激的なベートーヴェンの後だと、実に保守的... ベートーヴェンがなれなかったモーツァルトの弟子、となったフンメルだけに、その音楽は、まさにモーツァルト仕込み!アンシャン・レジームの古き良き明朗さを湛えて、師、モーツァルトのようにキラキラとした音楽を紡ぎ出す。いや、ベートーヴェンの「幽霊」と同じ年の作品だとは、ちょっと思えない。というより、これこそ、アンシャン・レジームの幽霊なのでは?一方で、古典主義に留まるフンメルの端正なサウンドに触れると、ロマン主義へと踏み出したベートーヴェンの音楽が、とっ散らかって聴こえもするからおもしろい。いや、古典主義のカウンター・カルチャーとして登場したロマン主義の野卑さが明確になるよう。また、フンメルの古典主義は、ただ古典主義に留まっていたわけでなく、より響きを整理し、ウィーン古典派の偉大な巨匠たちよりも、古典主義を深化させて、より確固たる音楽を響かせるよう。一見、保守的に映るものの、フンメルもまた、一歩を踏み出している。そして、フンメルにはフンメルの歩んだ道があったのだなと、ベートーヴェンと並べることで強調されるその芸術性が興味深い。
で、この興味深い3曲のピアノ三重奏曲を聴かせてくれるのが、ピリオドで活躍するゼペック(ヴァイオリン)、シュタイアー(ピアノ)と、近現代音楽のスペシャリストにして、今やピリオドも難なくこなすマルチ・プレイヤー、ケラス(チェロ)。ゼペックの鋭く突き抜けて行くようなヴァイオリンに、ケラスの怜悧にして底堅いチェロ、そして、1824年製、コンラート・グラーフのピアノを掻き鳴らし、盛り上げるシュタイアー!3人の個性が、ひとつに撚られると、より強い音楽を生み出し、見事にスコアの隅々までを表現し切って、鮮やか!ピリオドとはいえ、モダンと遜色の無く、クリアで、なればこそ、若きベートーヴェンも、乗りに乗っているベートーヴェンも、フンメルも、その魅力を余すことなく響かせて、圧倒的。もちろん、ピリオドならではの、味もあり、クリアな中に瑞々しい表情を作り出し、それぞれの作品を引き立てる。でもって、やっぱり「幽霊」... 威勢のいい音楽が続く中で、2楽章(track.6)の気配は、秀逸。いや、3人が織り成す表現の幅に感服。

Beethoven Geister-Trio Hummel Piano Trio STAIER | SEPEC | QUEYRAS

ベートーヴェン : ピアノ三重奏曲 第3番 ハ短調 Op.1-3
ベートーヴェン : ピアノ三重奏曲 第5番 ニ長調 「幽霊」 Op.70-1
フンメル : ピアノ三重奏曲 第4番 ハ短調 Op.65

ダニエル・ゼペック(ヴァイオリン)
ジャン・ギアン・ケラス(チェロ)
アンドレアス・シュタイアー(ピアノ : 1824年製、コンラート・グラーフ)

harmonia mundi/HMC 901955




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