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ワーグナー、さまよえるオランダ人/ディーチュ、幽霊船。 [2013]

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さて、夏と言えば、怪談ですよね。いや、恐い話し大好き!なぜって、怪異の在り様が、常識の斜め上を行って、創造性を刺激してくれるから... そんな恐い話しにワクワクしてしまう!ところで、クラシックなのだけれど、このジャンルに、どこか怪談めいたものを感じることがあるのです(とか言っていること自体が、もはや、怪談... 常識の斜め上を行っている自覚アリ... )。何しろ、100年も、200年も、300年も前に、場合によっては、それ以上前に作曲された作品が、現代を生きる音楽家たちの手によって、瑞々しく蘇るわけです。これって、幽霊に似ている気がする。ふわっと現れて、かつての時代の佇まいを現代の聴き手に示し、作品が終われば消えてしまう(となると、コンサートは、まさに降霊会... )。そんな作品の数々の集合体である、音楽史は、壮大なる因縁話にも思えて来る(ま、歴史とは因縁話そのものだけどね... )。そんな風にクラシックを捉えると、俄然、ワクワクして来ない?なんて、寝言(きっと、暑さのせいです... )は、さて置き、幽霊船のオペラを聴きます!
マルク・ミンコフスキ率いる、レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴルの演奏で、同じ題材による因縁孕んだ2作品、ワーグナーのオペラ『さまよえるオランダ人』と、ディーチュのオペラ『幽霊船』を、大胆にも並べてしまうという驚くべき4枚組(naïve/V 5349)を聴く。

1839年、26歳のワーグナー(1813-83)が、音楽の都、パリへやって来る。当時のパリの音楽シーンは、1830年の七月革命で天下を取ったブルジョワたちに支えられて、ゴージャス路線まっしぐら!ドイツ出身のマイアベーア(1791-1864)のグランド・オペラがオペラ座を沸かせ、一時代を築いていた。そのマイアベーアの紹介状を得て、若きワーグナーも、パリで必死に売り込みを掛けるものの、ドイツ語圏の辺境(現在はロシアの飛び地、当時は東プロイセンの中心都市、ケーニヒスベルクに、現在のラトヴィアの首都、当時は多くのバルト・ドイツ人が居住していたリガ... )で仕事をして来た若きワーグナーに、ほいほいとチャンスが巡って来るほどパリは甘くなかった(マイアベーアは、本場、イタリアで研鑽を積み、それを足掛かりにパリへと挑んでいるわけで... )。それでも、マイアベーア流のグランド・オペラ、『リエンツィ』を作曲(1840)し、何とかパリの趣味に沿おうと奮闘。けど、いきなりのグランド・オペラはさすがに難しいかと、もう少し軽めのオペラをと企画したのが、『さまよえるオランダ人』だった。リガからパリへと向かう船旅で嵐に遭い肝を冷やした体験を活かし、ハイネによる怪奇譚を翻案し自らで台本を書き、1841年、オペラ座に持ち込むと、買い取ってもらうことに!が、作曲は、オペラ座の指揮者、ディーチュ(1808-65)に任されることに... すでにかなりの部分を作曲していたワーグナーは、大いに落胆するも、かのオペラ座から興味を示されたことは、次なるチャンスの切っ掛けになったようにも思う。が、堪え性のないワーグナーは、その年の内に『リエンツィ』のスコアをドレスデンに送り、宮廷歌劇場での初演が決まる(のも凄いよなァ... )と、その初演に立ち合うため、1842年、パリを去り、以後、ドレスデンを拠点とし、ブレイクを果たす。
さて、ワーグナーがパリを去った年、1842年、オペラ座で初演されたディーチュの『幽霊船』(disc.3, 4)。今となっては、ワーグナーのパリとの因縁話の内で語られるのみだけれど、その音楽が実際に聴けるとなれば、興味津々!で、聴いてみたら、興味深かった!まず、その序曲(disc.3, track.1)、何となくワーグナーっぽい?序奏の仄暗さは、ドイツ・ロマン主義を思わせて、その後の嵐を思わせる音楽には、『オランダ人』序曲に通じる感覚も見出せるのか... いや、序曲のみならず、ワーグナーの何かに似ているような既視感に出くわして、おおっ?!となる瞬間も... ワーグナーは、台本のみならず、作曲におけるスケッチもオペラ座側に提示していたらしいから、もしかしたら、ディーチュの音楽には、ワーグナーの痕跡が残っているのかもしれない。けれど、全体から受ける印象は、ワーグナーより、もう少し時代を遡って、ウェーバーのようなトーンを見出す。ドイツ・ロマン主義のしっとりとした音楽、フォークロワを思わせるセンスを引き込んでのキャッチーさは、どこか『魔弾の射手』(1821)を思い起こさせる。とはいえ、『幽霊船』は、オペラ座で初演された作品だけに、フランス語で歌われるフランス・オペラ。なればこそマイアベーアのような流麗さがベースにあり、さらにはドニゼッティ(1840年代、イタリア座でパリっ子たちを沸かせていた!)のようなメロディアスさを伴ったドラマ性もあって、19世紀半ば、フランスにおける当世風というものを印象付けて来る。で、19世紀、フランス・オペラの個性が定まる前の、フランスにおける当世風というのは、インターナショナルだったのだなと... それは、ヨーロッパを集成するようで、おもしろい。
さて、ディーチュの『幽霊船』がパリのオペラ座で初演された頃、ワーグナーは、ドレスデンの宮廷歌劇場で『さまよえるオランダ人』(disc.1, 2)のリハーサルに入っていた。が、ワーグナーは、パリの二番煎じとなることを恐れてか、パリで完成されていたスコアを改稿、舞台をスコットランドからノルウェーに移すなど、様々に変更を加える。そうして生まれたのが、現行版となるのだけれど、ミンコフスキは、パリで書かれた初稿の方を用いる。だからか、どことなしにフランス・オペラっぽく聴こえる?兄弟作品とも言えるディーチュの『幽霊船』を体験してから、『オランダ人』の初稿を聴くと、不思議とフランスっぽく感じてしまう。ふわっと花やかなサウンドを放ち、『オランダ人』の暗さが、また一味違ったものに... このケミストリーがとても興味深い。しかし、『幽霊船』の後で、『オランダ人』を聴くと、ワーグナーの先進性というか、ドラマへの本気度というか、当世風にはない熱量に圧倒される。そもそもワーグナーは、このオペラを、オペラ座でのバレエ(ロマンティック・バレエ全盛期!)の幕間に上演してもらおうと、一幕モノとして構想をスタートさせているのだけれど、一幕モノに納まり切らないスペクタキュラーな怪奇譚を、無理に幕間劇のフレームに押し込むとどうなるか?ドラマは凝縮され、とても幕間劇とは思えないパワフルな音楽が息つく暇なく繰り出されることに... この勢い、後のワーグナー作品も含め、同時代のオペラには探せない気がする。いや、改めてこのオペラの背景も含め、丁寧に見つめれば、驚かされることばかり。
それにしても、おもしろい体験でした。『幽霊船』(disc.3, 4)と『オランダ人』(disc.1, 2)を、"二本立て"、4枚組で聴くという試み!並べて初めて見えて来るものもある。で、それを資料的なレベルに留まらず、目一杯、おもしろがって取り組むミンコフスキの威勢の良さというか、ノリの良さ!すっかり恰幅が良くなってしまって、巨匠の風情も漂わすミンコフスキだけれど、まだまだピリオド界の若手に負けていない!『幽霊船』(disc.3, 4)では、"当世風"にガチで向き合って、時代を鮮やかに解析するかと思えば、『オランダ人』(disc.1, 2)では、リュリのシリアスさ、ラモーの色彩感、グルックのドラマティックさ、そういうフランス・オペラの系譜の上に、"パリのワーグナー"を掘り起こしていて、おもしろい。で、何と言っても、ドラマが息衝く!他のワーグナー作品では味わえない、若きワーグナーの切っ先の鋭さを、見事に砥ぎ切って、ドラマが煮詰まれば煮詰まるほど、劇画調に捲くし立て、後の確立されたワーグナー芸術とはまた違う、チープさすら孕むライヴ感を生々しく展開して、エキサイティング!そんなミンコフスキに応えるレ・ミュジシャン・デュ・ルーヴルも、いい味を醸す!エストニア・フィルハーモニー室内合唱団も、表情豊かに歌い上げ、ドラマを大いに盛り上げる。もちろん、歌手陣も活き活きとドラマを織り成して、『幽霊船』(disc.3, 4)も合わせ、魅了されずにいられない!

WAGNER DER FLIEGENDE HOLLÄNDER DIETSCH LA VAISSEAU FANTÔME OU LE MAUDIT DES MERS
Les Musiciens du Louvre ・ Grenoble Marc Minkowski

ワーグナー : オペラ 『さまよえるオランダ人』 〔初稿版〕

オランダ人 : エフゲニー・ニキティン(バス・バリトン)
ゼンタ : インゲラ・ブリンベリ(ソプラノ)
ジョージ : エリック・カトラー (テノール)
ドナルド : ミカ・カレス (バス)
舵手 : ベルナール・リヒター(テノール)
マリー : ヘレン・シュナイダーマン(メッゾ・ソプラノ)
エストニア・フィルハーモニー室内合唱団

ディーチュ : オペラ 『幽霊船』

トロイル : ラッセル・ブラウン(バリトン)
ミンナ : サリー・マシューズ(ソプラノ)
マグニュス : ベルナール・リヒター(テノール)
バルロー : ウーゴ・ラヴェク(バス)
エリク : エリック・カトラー(テノール)
舵手 : ミカ・カレス(バス)
エストニア・フィルハーモニー室内合唱団

マルク・ミンコフスキ/レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル

naïve/V 5349



1859年、20年ぶりにワーグナーはパリを訪れる。ドレスデンの宮廷歌劇場の指揮者(1843-49)を務め、『タンホイザー』(1845)、『ローエングリン』(1850)といった作品が、各地で上演されるようになり、満を持しての再びのパリは、新作、『トリスタンとイゾルデ』のプロモーションが主目的だった。が、1861年、思い掛けない話が舞い込む。フランス皇帝、ナポレオン3世の勅命により、オペラ座で『タンホイザー』の上演が決定。見事、ワーグナーは、20年前のリベンジを果たす。が、オペラ座向けにグランド・オペラに仕立て直された『タンホイザー』を指揮したのが、20年前と変わらずオペラ座の指揮者であったディーチュ!そして、大失敗!この結果には、ディーチェの力不足ばかりでなく、政治的な思惑、反ワーグナー勢力など、複雑に絡み合っていたようだけれど、そういうものも含めて、やっぱりパリはワーグナーにとって因縁の地なのだなと... いや、幽霊よりも恐い、人間。いろいろな怪人たちの巣窟、オペラ座だったのだろう。仮面を付けた怪人が復讐するなんて、その程度の話しでは無かった、実際のオペラ座。これこそが、音楽史の怪談かなと...




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サンフランシスコ人

ハンス・ホッターとレオニー・リザネクの『さまよえるオランダ人』が62年前にサンフランシスコでありました....

http://archive.sfopera.com/reports/rptOpera-id1674.pdf
by サンフランシスコ人 (2018-07-24 05:47) 

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