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バーンスタイン、ミサ。 [2009]

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さて、8月になりました。いや、7月でした。とか、言いたくなってしまうほど、梅雨明けちゃって、夏です。この先、どーなってしまうのだろう。と、心配になるものの、夏らしい夏に、魅了されるところも... ということで、夏っぽい音楽!今年、生誕100年のメモリアルを迎えるバーンスタインのミサ。ミサと言っても教会音楽ではなく、典礼音楽をベースにしながら、シアター・ピースに仕上げてしまった異色の作品。ある意味、バーンスタインにとっての『ジーザス・クライスト・スーパースター』なのかもしれない(奇しくも同じ1971年に初演された両作品... )。教会音楽で、近代音楽で、ロックに、ジャズに、全てをごちゃ混ぜにして、ミュージカルっぽく仕上げながら、ラヴ&ピースの時代の気分を反映して、新たな祭祀を創出するような、フェスっぽいような、奇天烈な作品!
悪魔悪魔悪魔と来てのミサなのだけれど、これも、ある意味、悪魔的?マリン・オルソップ率いるボルティモア交響楽団の演奏、ジュビランド・サイクス(バリトン)、モーガン州立大学合唱団らの歌で、バーンスタインの『ミサ』(NAXOS/8.559622)を聴く。

マーラーを熱っぽく振りながら、軽妙にミュージカルも作曲してしまう屈託の無さ... バーンスタイン(1918-90)は、まさにアメリカ的な指揮者で、作曲家だったと思う。けど、他のアメリカの指揮者たち、作曲家たちはどうだったろう?改めて、バーンスタインが活躍した時代、アメリカの音楽界を見渡してみれば、バーンスタインという存在が、極めて特異であったことを思い知る。ミュージカルの傑作を生み、オペラを書き、交響曲を書き、ジャズはお手の物で、ロックにも関心を寄せ... その幅の広さは、驚異的。一方で、クラシックという出自を抱えながら、常にトレンドを意識し、現代的でありたいともがいていたようにも思える。そんなバーンスタインを象徴する作品が、ここで聴く、歌手、演技者、そしてダンサーのためのシアター・ピース『ミサ』。1971年、ワシントン、ケネディ・センターの柿落としのために作曲されたこの作品は、ラテン語で歌われるミサをベースにしながら、形式的な信仰に対し疑問をぶつけ(司祭が聖餅箱を投げつけるという場面が物議を醸す!)、形では無い真の祈りへと至るという、極めて野心的な舞台作品。そして、その野心的なミサを、ありとあらゆる音楽で埋めて行く...
始まりは、ストラヴィンスキーの『結婚』(パーカッションとピアノとヴォーカルによる、異色のバレエ... )に似た、乾いたモダニズムが弾けるキリエ・エレイソン(disc.1, track.1)。その後で歌われるシンプル・ソング(disc.1, track.2)は、エレキをバックにロック調で... 続く、アレルヤ(disc.1, track.3)は、ジャズっぽく軽快にリズムを刻んで... そこにマーチング・バンドがやって来て、陽気に歌う第1入祭文(disc.1, track.4)。中世のカンティーガのようなトーンを見せる第2入祭文(disc.1, track.6)。その最後、エピファニー(disc.1, track.8)では、メシアンの鳥のさえずりも聴こえて来て、それから、それから... あらゆる音楽が混在し、錯綜し、聴き進めれば、聴き進めるほど、焦点は定まらなくなって来る。いや、どんなジャンルもこなせるバーンスタインの万能っぷりを、露悪的に展開したのが、この『ミサ』のように感じてしまう。初演時、批評家連には、そのやりたい放題が攻撃されたらしいけれど、わかる。間違いなく、トゥーマッチ!その目まぐるしさに、クラクラしてしまう。が、この目まぐるしさ、テレビをザッピングする感覚に似ている。いや、これは、テレビの時代を象徴する作品(バーンスタインの時代に活躍したアーティスト、ナム・ジュン・パイクの、並べられたテレビに様々な映像を映した作品を思い出す... )なのかも... 氾濫している音楽を片っ端から拾い集めて、その氾濫にこそ時代の本質を映す。それをミサという古い儀式に落とし込む大胆さ!この作品は、総音列音楽より、偶然性の音楽より、ラディカルかも...
しかし、やがて、落ち着きを見せ始める『ミサ』... 世代間の対立を煽るかのようにぶつかっていた異なるジャンルの音楽が、寄り添うような態度を見せ始め、錯綜していた音楽は、ひとつに撚られて行くような感覚が生まれる。そうした中、このミサを執り行って来た司祭による長いモノローグ、聖体分割式(disc.2, track.5)で、司祭の自問とともに、衝動的だった音楽は内面を見つめ始め、やがて沈黙する。そこに、鳥のさえずり(フルートによるメシアン風の... )が聴こえて来て、ボーイ・ソプラノが、まるで天使のように歌い出す、最後、聖餐式(disc.2, track.6)。それは、新しい朝を迎えるような、瑞々しさがあり、日常の喧騒が浄化されて行くよう。ボーイ・ソプラノの歌声は、さらに歌手たちが引き継いで、コーラスへとつなげられ、美しい聖歌となり、音楽は次第に感動的に盛り上がって、最もミサらしい雰囲気に包まれる。それは、穏やかで、明るさと温もりに充ち、未来への希望を抱かせるもの... 混沌とした状況をテンション高く突き進み、最後の最後で聴く者を否応無しに癒す。この締め方は、ズルい... てか、まさにアメリカ的!最後は確かな感動を用意する周到さ... 安易さとも言えるのか... アメリカのショービズの世界で結果を出して来たバーンスタインの性のようなものを、その感動に見出す。
という『ミサ』を、バーンスタイン門下、オルソップで聴くのだけれど、様々なスタイルの混在と、それらが錯綜する難しさを、飄々とまとめ上げる手腕は、さすが、バーンスタイン仕込み... こどもたちのコーラスに、バンドまでを含む巨大な編成を、物ともせずコントロールしているのも、感心させられる。それでいて、この『ミサ』特有のノリを、見事に活かし切って、フェスっぽい楽しさも引き出す妙。オルソップのナチュラルに砕けたセンスも効いている。そんなマエストラに万全の態勢で応えるボルティモア響も見事。ミュージカル調に、ロック風と並んで、近代音楽に、現代音楽に、ボルティモア響が対応しなければならない音楽の幅は、普段のレパートリーではあり得ないもの。それを自らの物とし、さらりと鳴らしてしまう屈託の無さは、印象的。しかし、最も印象に残るのは、この『ミサ』を司る司祭役、サイクス(バリトン)!クラシックのみならず、ジャズやゴスペルでも活躍するというだけに、その表現の幅が半端無い!オペラ的にも、ミュージカル的にも、よりポップにも歌える縦横無尽さ!この人の輝きがあるからこそ、『ミサ』は、混沌を突き抜けて、雄弁に語り掛ける。

Bernstein: Mass

バーンスタイン : 歌手、演技者、そしてダンサーのためのシアター・ピース 『ミサ』

ジュビラント・サイクス(バリトン)
アッシャー・エドワード・ウルフマン(ボーイ・ソプラノ)
モーガン州立大学合唱団、ピーボディ児童合唱団
マリン・オルソップ/ボルティモア交響楽団

NAXOS/8.559622




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