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マーラー、「巨人」、1893年、ハンブルク稿。 [2014]

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アレッサンドロ・スカルラッティ(1660-1725)がオペラの序曲として確立したイタリア式序曲(急―緩―急の3楽章構成のような形... )に遡る交響曲の歴史... シンフォニアと呼ばれたイタリア式序曲は、やがてオペラから独立し、サンマルティーニ(ca.1700-75)ら前古典派の手で丁寧に育まれ、われわれの知る「交響曲」に成長。18世紀末、古典主義の全盛期、モーツァルト(1756-91)の「ジュピター」(1788)、ハイドン(1732-1809)のロンドン・セット(1791-95)によって、最初の頂を迎える。が、19世紀初頭、ベートーヴェン(1770-1827)の登場で、新たな方向性がもたらされる。で、その方向性の先にあったのが、19世紀を象徴するロマン主義... なのだけれど、絶対音楽=交響曲と、ドラマティックなロマン主義の折り合いは、悪い。それをどう処理するか?考えに考え、21年もの歳月を要して完成されたブラームス(1833-97)の1番(1855-76)の交響曲は、折り合いの悪さを何とかして結び付けた、古典主義とロマン主義のキメラの怪物。これが、交響曲の歴史、最大の頂だったかなと... そして、その頂を越えた先に展開される、捉われない新たな交響曲に注目してみる。
ということで、ブラームスに続いてのマーラー... トーマス・ヘンゲルブロックが率いたNDR交響楽団の演奏で、マーラーの1番の交響曲、「巨人」の、第2稿にあたる、交響曲形式による音詩「巨人」(SONY CLASSICAL/8884305042)を聴く。

マーラー(1860-1911)が、最初の交響曲となる作品を構想するのは、1884年、24歳の時。前年にカッセルの王立劇場の指揮者のポストを得て、オペラ指揮者として注目を集め始めていた頃で、翌、1885年には、そのカッセルで開かれた音楽祭において、メンデルスゾーンのオラトリオ『聖パウロ』を指揮し、大成功!指揮者としてブレイクを果たす。そこから、プラハのドイツ劇場(現在のプラハ国立歌劇場... )の指揮者を経て、1886年には、ライプツィヒの市立劇場(現在のライプツィヒ歌劇場... )の指揮者となり、若きマエストロとして、忙しい日々を送る中、後に1番の交響曲に発展する作品は書き進められていた。その作品は、2部構成、5楽章からなる交響詩で、交響曲では無かったところがおもしろいところ... で、1番の交響曲、「巨人」の第1稿にあたる、この交響詩は、1888年に完成。マーラーは、その年、ブダペストの王立歌劇場(現在のハンガリー国立歌劇場... )の芸術監督に就任、翌、1889年、ブダペストで、完成された交響詩を初演するも、失敗。マーラーは、早速、改訂作業に入り、1891年、ハンブルク市立劇場(現在のハンブルク州立歌劇場... )の楽長に就任し、ハンブルクに移ってから2年後の1893年、ここで聴く、第2稿、交響曲形式による音詩「巨人」、という形にまとめる。
それはまだ「花の章」(track.2)を含む5楽章構成で、三管編成... 堂々、四管編成の交響曲に比べれば、少し古風なシンプルさを残すサウンドが特徴的... で、そのシンプルさを活かして、丁寧にドラマが紡ぎ出されるのが印象的。そうした中、「花の章」(track.2)の存在が、とてもナチュラル!時折、4楽章構成の交響曲に、無理くり挿入される「花の章」だけれど、その時に感じる、全体から浮いた感じが、音詩からは感じられず、かえって、全体に対し、その存在が説得力を持ち得ていて、音詩に籠められたドラマがスムーズに流れ出す。萌え出づる1楽章からの、夢見るような「花の章」(track.2)、快活なスケルツォ(track.3)、どこかアイロニカルな葬送行進曲(track.4)、そして、カタストロフから始まる終楽章(track.5)の、フィナーレへ向けての感動的な再生への歩み... 急緩急緩急、全5楽章が絶妙に起伏を織り成して、ナチュラルにドラマを推進する感覚が新鮮!何だろう、小説を丁寧に読み進めて行くような感覚?この音楽が、ジャン・パウル(1763-1825)の小説、『巨人』(1802)にインスパイアされたことを、改めて思い起こさせてくれる(ちなみに「巨人」というタイトルは、この音詩だけに付されたもの。交響曲のものは、通称... )。そういう文学的要素もあってか、ふとメンデルスゾーンの劇音楽を思わせる瑞々しさもあって、まったく違う音楽、というわけではないのに、交響曲では味わえない魅力が確かにある。
そのあたりを見事にすくい上げたヘンゲルブロック... ピリオド出身のマエストロならではの精緻さが、いつもの交響曲、「巨人」とは違う、音詩「巨人」の魅力を、活き活きと掘り起こしていて、惹き込まれる!で、この録音で用いられたスコア(国際マーラー協会新校訂版による... )というのが、ヘンゲルブロック自身も校訂作業に加わったものとのこと... それだけに、1893年のマーラーに肉薄しようという意志がひしひしと感じられ、独特の視界の良さが拓ける。というヘンゲルブロックに応えるNDR響も、スコアの隅々までを繊細に捉え、より豊かな表情を紡ぎ出し、交響曲の厚み、鮮やかさとは違う、よりパーソナルなマーラーの姿を浮き彫りとするのか... ロマン主義が煮詰まってしまったようなマーラーではなく、若々しく、それこそメンデルスゾーンの時代を思わせる、生まれたてのロマン主義を思わせて、爽快!マニアックな版による興味深さに留まらず、魅了。
それにしても、シンフォニスト、マーラーの出発点、1番の交響曲、「巨人」が、元々は交響詩だったことは、とても興味深い。絶対音楽=交響曲と、ドラマティックなロマン主義の折り合いの悪さを、半ば強引に解決させたのが交響詩(交響曲の形式に捉われず、シンフォニックなサウンドだけを継承し、ロマン主義を体現するドラマ性のある音楽を展開する... )であって、18世紀以来の交響曲からすれば、それは、ある意味、邪道。その邪道から交響曲を生み出すマーラーの大胆さ!いや、ブラームスら、先人達が苦悩した問題を、あっけらかんとスルーしてしまうマーラーの姿勢に、新世代であったことを再認識させられる。そんな掟破りの展開で生み出される交響曲が誕生するのは、音詩が発表されてから3年後の1896年、35歳の時。12年もの歳月を経て辿り着いた交響曲。マーラーのシンフォニストとしての人生が始まる。

MAHLER: SYMPHONY NO.1 "Titan" VERSION HAMBURG 1893
NDR SINFONIEORCHESTER THOMAS HENGELBROCK

マーラー : 交響曲形式による音詩 「巨人」

トーマス・ヘンゲルブロック/NDR交響楽団

SONY CLASSICAL/88843050542




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