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シューマン、ばらの巡礼。 [before 2005]

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5月です。そして、連休です。でもって、家にいます。
いや、輝かしき5月!今日は、ちょっと天候が優れないものの、太陽の光は燦々と降り注ぎ、花はあちこちで咲いていて、まさに、春爛漫の5月。それは、一年で、最も麗しい時期と言えるのかもしれません。そういう中で、家にいるって、どーなんだろ?いやいや、行楽地は、今頃、どこも大変なことになっているのだろうなァ。一年で、最も麗しい時期なればこその、麗しからざる混雑が生まれるというジレンマ... 一方で、家の周りは驚くほど静か!こうも静かになるものかと、ちょっと驚かされるほど... で、その静けさの中で感じる春爛漫は、ささやかながら、より麗しさが引き立つような... と、この間、線路際を散歩していて、ふと思う。ということで、5月な音楽を聴いてみようかなと... 作曲家たちも、5月から、いろいろインスパイアされているのだよね。モーツァルトの「五月の歌」を始めとして、ベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーン...
そして、今回は、マーカス・クリードが率いたRIAS室内合唱団と、クリスティアーネ・エルツェ(ソプラノ)、ビルギット・レンメルト(アルト)、ヴェルナー・ギューラ(テノール)、ハンノ・ミューラー・ブラッハマン(バス)らの歌、フィリップ・メイヤーズによるピリオドのピアノの伴奏で、シューマンのオラトリオ『ばらの巡礼』(harmonia mundi FRANCE/HMA 1951668)を聴く。

5月の新緑を纏い、咲き乱れる花々の中で... 第1曲、女声の三重唱が甘まやかに歌うその一節に、シューマンのオラトリオ『ばらの巡礼』の全てが表れているように感じる。どこか仄暗い印象もあるシューマンだけれど、この『ばらの巡礼』では、穏やかな春の陽の光を浴びて、微笑ましくキラキラと輝くかのような音楽が次々に湧き出し、ただただ優しく、芳しく... その様子は、ちょっと浮世離れしていて、ドイツ・ロマン主義の夢見がちなスウィートさだけを抽出して作られた、5月の香りのフレグランスのよう。で、ちょっと強い風が吹けば、一瞬にして雲散してしまいそうな儚さがあって、この存在感が魅惑的。てか、これってオラトリオ?聖書を題材に聖書の世界をよりわかり易く音楽で表現したオラトリオ、だから、説教臭くもなるオラトリオ、一方で、ドラマティックでスペクタキュラーな聖書の世界を音楽にすれば、意外とエンターテイメントに成り得てしまうオラトリオ、だから、四旬節などオペラ上演禁止の期間のその代用としても歌われたオペラティックなオラトリオ... そういうオラトリオの一般的な在り方からすると、まったく異なるベクトルを持つのが、ここで聴く、『ばらの巡礼』。そもそも、聖書を題材("ばらの巡礼"なんて言うと、中世のマリア信仰を思わせるのだけれど... )としておらず、シューマン(1810-56)と同世代のドイツの作家、モーリッツ・ホルン(1814-74)の同名の詩文に作曲されたもので、それは、まさにメルヒェン!
楽しげに恋について歌う乙女たちの姿に触れ、恋への憧れを抱いてしまったバラの精が、妖精の女王に懇願し、肉体を手に入れ恋を探す物語は、人魚姫の物語に似ていて、人魚姫のようなバッド・エンドにはならず、幸せな家族に迎え入れられ、恋も実らせ、やがて、雪女のように子を成して、雪女のように夫を恐がらせることはせず、満たされて天へと昇るというメルヒェン。メルヒェンだけれど、そこには、ドイツらしい教訓的なものがあり、甘いばかりでない人生のほろ苦さも盛り込まれ、オラトリオ的な性格も見出せるのか... しかし、音楽としては、やっぱりオラトリオっぽくはない。そもそも、サロンのような場で歌うことを想定して作曲されており、ピアノ伴奏というのも大きいかもしれない(1851年の作曲の翌年に、オーケストレーションされる... )。ピアノ伴奏で綴られるナンバーの数々は、歌曲のようであり、合唱曲のようであり、オラトリオらしいドラマティックな展開には欠ける。けれど、美しい挿絵に彩られた本を、1ページ、1ページ、丁寧に捲るようであって、独特な親密さに充ち満ちている。この親密さが、メルヒェンをより際立たせ、聴く者を夢見心地にさせる。そう、まさに夢を見るような感覚が、『ばらの巡礼』から漂い出す。幻想的で断片的な情景が次々にうつろって、瞬間、瞬間が、ただただ愛おしい...
そんな『ばらの巡礼』を、マーカス・クリードが率いたRIAS室内合唱団で聴くのだけれど、それはもう、ため息が出るほどの美しさを讃えていて... まず、ドイツならではの室内合唱のハイテク感!精緻を極めたハーモニーから繰り出されるドイツ・ロマン主義ならではの瑞々しさは、ただならない。それは、時に人間離れした佇まいすら見せて、バラの精の物語だけに、まるで"精"のような存在感。第1部、最後、女声で歌われる妖精の合唱(track.10)の透明感は、ちょっと人が歌っているとは思えないほど... 一方で、ソリストたちは、森で生活する素朴な人々の表情を丁寧に捉えつつ、優しく、美しく歌い紡ぎ、特に、エルツェ(ソプラノ)が歌うバラの精は、可憐で、健気で、魅了されずにいられない。で、欠かせないのが、歌手たちにそっと寄り添うマイヤーズのピアノ!1850年頃の製作になるシュトライヒャーのピアノのまろやかな音色!清らかな歌声に、温もりを添えて、ふわっと香りを引き出すのか、縁の下の力持ちながら、この作品のトーンを決める重要な屋台骨を担っている。で、それらを巧みにまとめるクリードの手腕... 楚々として、清らかでありながら、唯美的で、どこか危うげにも感じられるあたりに、シューマンらしさも滲み出て、魅了されずにいられない。

SCHUMANN Der Rose Pilgerfahrt RIAS-KAMMERCHOR

シューマン : オラトリオ 『ばらの巡礼』 Op.112

クリスティアーネ・エルツェ(ソプラノ)
ビルギット・レンメルト(アルト)
ヴェルナー・ギューラ(テノール)
ハンノ・ミューラー・ブラッハマン(バス)
フィリップ・メイヤーズ(ピアノ : 1850年頃製作、シュトライヒャー)
マーカス・クリード/RIAS室内合唱団

harmonia mundi FRANCE/HMA 1951668




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