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モーツァルト、ジュピター。 [before 2005]

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近頃、世の中、どんどんこんがらがってます。でもって、誰も、その"こんがらがり"を解こうとはしないのだよね... 解かねば、何も解決しないはずなのに、解こうとしない。それどころか、余計にこんがらがらせて、悦に入っているようなところもあって、いや、もうついて行けない。てか、そのこんがらがり様を、日々、目の当たりにさせられると、疲弊します。ところで、最近、風が強い日が多いような... いや、強いどころか、いろいろ被害をもたらすことも... 夜中なんかに、ゴォーッ、ゴォーッという、凄い音を耳にすると、恐くなる。けど、これって、今の"こんがらがり"を、大気が吹き浄めようとしているのでは?ふと、そんなイメージが頭に浮かぶ。もちろん、春、本格化を前にした気象現象に過ぎないのだけれど、ワーグナーの"指環"の最後に重なるような... 四夜に渡って、ただならずこんがらがってしまった古の世界は、ライン河の氾濫によって、全てが押し流され、清浄を取り戻すわけだけれど、ご都合主義に思えた、あの『神々の黄昏』のフィナーレも、今となっては、もの凄く、共感できる。って、それは、自棄が過ぎるか... そこで、風でも、洪水でもなく、"こんがらがり"を浄めるために、音楽を聴く!
ということで、モーツァルト... アマデウス、神に愛された天才が持つ無垢は、癒しを越えて、浄化を促す?ような気がして... ジョン・エリオット・ガーディナー率いる、イングリッシュ・バロック・ソロイスツの演奏で、モーツァルトが至った希有な境地を響かせる、最後の2つの交響曲、エモーショナルな第40番と、パワフルな41番、「ジュピター」(PHILIPS/426 315-2)を聴く。

18世紀後半、古典主義の音楽って、何だか金太郎飴っぽい印象を受ける。どこを切っても同じ... みたいな... けど、丁寧に聴き進めてみると、金太郎の顔は、いつの間にか坂田金時(金太郎が立派なモノノフとなってからの名前ね... 一応... )の顔になっていて、常に成長していたことに気付かされる。その古典主義の時代を、35年という短い生涯で走り抜けたモーツァルト(1756-91)。で、この走り抜けたことを意識しながらモーツァルトの音楽を聴いてみると、驚くべき成長と、さらなる進化が浮かび上がり、とても刺激的だったりする。そして、モーツァルトの音楽で、最も刺激的なのが、死の3年前、1788年に書かれた、最後の3つの交響曲、39番、40番(track.1-4)、41番、「ジュピター」(track.5-8)。なぜなら、そこには、モーツァルトの死後の音楽が展開されているから... 例えば、39番の1楽章、序奏の、これから何かが起こりそうな予兆めいた緊張感は、ベートーヴェンを思わせて、もはや「モーツァルト」のイメージを凌駕している。さらに凄いのが、ここで聴く40番の1楽章(track.1)。あの憂いを帯びた短調のお馴染みのメロディー... モーツァルトを代表するメロディーのひとつだけれど、そのメロディアスなあたりは、ロマン主義を予感させて、何だかメンデルスゾーンの交響曲を聴くような感覚もあるのか... いや、メロディアスかつ、しっかりとシンフォニックなサウンドを織り成して来るあたり、もはや19世紀の交響曲... 時代とともに成長を遂げ、やがて時代を突き抜ける進化を果たしたモーツァルトの音楽は、古典派にとっての未来の音楽だったかなと... いつものモーツァルトから、18世紀末当時の視点に立って、モーツァルトの進化をつぶさに見つめれば、それは、ただならない前衛、モーツァルトは、俄然、スリリングになるから、おもしろい。
さて、モーツァルトの最後の3つの交響曲を聴いて、まず印象に残るのは、そのスケール感だと思う。古典派の交響曲のイメージを脱して、より力強く、輝かしく、本当の意味でシンフォニックなサウンドを実現している。特に、3つ目、41番、「ジュピター」(track.5-8)は、その名の通り、ローマ神話の最高神、ユピテル=ジュピターのように神々しく、際立って壮麗(名付けたのは、モーツァルトではなく、ハイドンをロンドンに招聘したプロデューサー、ザロモンなのだけれど... )。41番まであるモーツァルトの交響曲の、その最後を飾るに相応しい堂々たるスケール感は、音楽史の範疇では捉え切れないようなところも... というのが、終楽章(track.8)、めくるめく繰り出される圧巻のフーガ!バッハばりの対位法を織り成しながら、圧倒的にポジティヴで、パワフルな音楽を響かせるのだけれど、改めて、そのポジティヴでパワフルなあたりに触れてみると、何かお薬を飲んでしまったのかな?なんて思えなくもなく... いや、そんな風に思えてしまうと、18世紀後半の音楽が、20世紀後半のサイケデリックのようなイメージを放って、ミニマル・ミュージックみたいに響き出す!そんなフーガを追っていると、何だか洗濯機に放り込まれたような気分になって、"こんがらがり"を忘れ、日々のネガティヴな感情が洗い落されるようで、すっきりする。いや、41番、「ジュピター」は、体感する交響楽?音楽を越えた聴き応えがあるのかも...
という、モーツァルトの交響曲を、ガーディナー+イングリッシュ・バロック・ソロイスツで聴くのだけれど、久々に聴くと、そのアグレッシヴなサウンドに、思考がマッサージされるようで気持ち良い!ガーディナーならではの明晰かつ、息衝くサウンドが、モーツァルトの全ての音符を活性化し、いつものモーツァルトとは一線を画す刺激を引き出して来る。そんなマエストロに応えるイングリッシュ・バロック・ソロイスツが、またすばらしく... メンバーのひとりひとりが、しっかりと自らの音を放って、細胞から輝き出すような、そんな交響楽を織り成して来る。おもしろいのは、細胞から輝き出すと、全体の輪郭がいつもと違って見えて来るところ。そもそもスケールの大きかった音楽が、明らかに、より大きく浮かび上がって、ちょっと驚かされる。一方で、音楽はけして大味になるようなことはなく、前衛としてのモーツァルトを捉え直す、エッジの効いた演奏が繰り広げられ、鮮やか... で、鮮やかなモーツァルトは、時代を超越してしまうから、ワクワクさせられる。

MOZART ・ SYMPHONIES NOS.40 & 41 "JUPITER"
ENGLISH BAROQUE SOLOISTS ・ GARDINER


モーツァルト : 交響曲 第40番 ト短調 K.550
モーツァルト : 交響曲 第41番 ハ長調 K.551 「ジュピター」

ジョン・エリオット・ガーディナー/イングリッシュ・バロック・ソロイスツ

PHILIPS/426 315-2




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